技術試験衛星
先日ここへ取材に来た老ジャーナリストは「ロケット発射は何度見ても飽きない」とニコニコ笑っていた。
確かに私も一生に一度くらいは発射場を見に行きたいと思っている。しかし、今回もそれは叶わず、上昇していくH-5Aは、デスクのモニターに映し出された中継映像の中にポツンといるだけだ。それも、もうこんなに小さい。
話通りなら、彼は今ごろ爆煙の足元で、この打ち上げを見守っているはずだ。
インタビューに来たはずなのに、やがて興奮を抑えかね「車椅子を転がしてでも現場の感動を体験したい」とか「それぞれの衛星は自分の子供に等しい!」と、力説しはじめた姿を見て、宇宙が仕事のジャーナリスト、根っからのマニアとはそういうものだと、軽く受け流していた。
しかし、今この瞬間になってみると、自分が興奮していることを素直に認めざるを得ない。この興奮、いや無事に上がってくれと成功を祈る気持ちは、彼の影響を受けたからだけではないだろう。なにしろあの先端には自分たちの子供、我が国が悲願としていた『戦闘艦』が載っているのだ。手には汗がにじんでいる。
開発は決して順調ではなかった。
『ウォーターカッターを搭載し、敵性飛翔体に接舷して船体を破壊する』
非公開の付属資料によれば、この構想が持ち上がったのは、私が入省するより前のようだ。ようだ、というのは、公文書として上がってくる以前から、近いアイデアを妄想していた研究者がおり、実現に向けて奔走していたことが示唆されているからだ。しかし、官僚にとって公文書に書いていないことは知らぬこと。私が知っているのは、予算化されて以降のことだ。
馬鹿げた妄想だの、射程1cmの水鉄砲だの、教育予算に回せだの散々に言われていたが、十余年の計画遅延を来しながら、昨年ようやく完成に漕ぎつけた。
もちろん、できあがったのは「技術試験衛星だ」というのが政府公式見解だった。
開発機構のサイトにも「宇宙空間で使っても問題が少ない『水』で既存衛星を修理する新技術を採用。純水の使用で電子機器のショートを防ぎます。切削加工に使った水は蒸散してしまい宇宙空間に影響を与えません。壊れてしまった衛星の延命・リサイクルを図るエコな工作衛星。それが、宇宙工作技術習得試験衛星(LETS=レッツ-G)です」と書いてある。使用フォントは「やわらかいイメージだから」という理由で見るに耐えない丸文字だ。
だが、いまさら誰がそんなことを信じるものか。計画目的隠蔽のために、わざわざ技術習得試験衛星レッツシリーズを立ち上げ、G号機でやっと手にしたのに、あの腰掛け大臣め。「敵性国家を攻撃するためのものではない」と、言わずもがなのことを答弁するから世論に火がつき、すでに大問題となってしまったではないか。「違う」と否定するほど野党・マスコミに「真相追求だ」と騒がれ、タマムシ色の解決を図ってみたところで通用するわけがない。
ふとモニターを見ると中継は切り替わっていて、まさに反対派のデモが報道されている。わざわざ発射場の近くまで遠征するとはご苦労なことだ。太鼓に合わせて奇声を発する群衆をバックに、レポーターがしたり顔で「政府の対応が注目されます」などと述べている。どうせデモの内容が入れ替わっても、やっていることと参加メンバーはだいたい同じだ。それに、わざわざ報道してくれなくても、この庁舎の下で同じことをしている。
うんざりしてモニターから放送のタブを消すが、ほっと息をつく間もない。
「安藤次官、防衛省からホットラインです」
秘書の頭だけがドアからヒョコっとのぞく。
「つなぐな」
「実はもう『打ち上げ中で忙しい』と断ったのですがしつこくて」
「要件は言わなくてもわかる。例の件だろ」
「まあそうですが」
「もう終わった話だ。放っておけ」
彼女の顔がドアから引っ込み、なにごとか電話で話す声が漏れ聞こえてくる。うぶな顔立ちをしているが、あれで結構な年……いやベテランだ。弁が立つと噂の防衛省幹部も、彼女相手ではノラリクラリと上手く逃げ切られてしまうだろう。本気を出されたら、我が省きっての口八丁を自認する私でさえ、論破されかねないのだから。
しかし、防衛省の連中は何度言ったらわかるのだ。名目だろうとなんだろうと、工学的な試験衛星なら我が文部科学省の管掌だと。
*
発射から15分37秒後、第三段エンジンから切り離されたレッツGは予定軌道へ移り、打ち上げは成功したものとみなされた。この時点で、プロジェクトの責任は打ち上げロケット担当の民間会社から文部科学省に移り、衛星には公募によって選ばれた「たくみ」という愛称が与えられた。最後まで衛星を自分たちの管掌にしたかった防衛省は地団駄を踏んで悔しがった。
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それにしても、たかが長径6メートルの衛星に、主力戦艦を表す旧国名を付けたがった防衛省はどうかしている。「そんなにやりたきゃ自分たちで作ればいいんだ」と小さな声で悪態をつく。
疲労感が押し寄せてきた。打ち上げ成功への安堵か、次々に寄せられる下らない自己主張への苛立ちか、自分でもよくわからない、長いながい溜め息が出た。