脱出、49seconds
月面スレスレを飛んでいる串ダンゴ。笑える画だ。
球体を3つ束ねた姿を、そう揶揄される一式宙域練習機TS-1。
アクセントこそ赤トンボと同じだが、そこには優美も郷愁も感じられない。
もちろん、見た目など気にしている場合ではない。あがく操縦手は真剣だ。
なにしろ、逃げ切らなければ──死んでしまうのだから!
*
最後の通信を切断する直前に、小声で付け足された言葉が気になっていた。
「月のアイドルが本作戦に協力している可能性がある。本当だとすれば、多分ろくなことにならない。気をつけろよ……!」
それっきり無線封止になったから、アイドルというのがコードネームなのか、それとも何かの暗号か、いまだに分からない。
協力を嫌がるニュアンスも理解できなかった。「アイドルとの共同作戦♪」という、語感だけで心躍るイメージの通りなら、むしろ歓迎したっていいはず──そう思っていた。
しかし、楽観的な想像というものは、たいてい間違っている。
確かに、ろくでもないことになった。すでに巻き込まれてしまったが、この事態は異常だ。基地司令に騙されたのか、途中で作戦変更があったのか知らないが、はっきり言って生命の危機。やり場のない苛立ちを込めて叫んだ。
「ファ○ク!」
自分を含めた軍人にとって、この状況から逃げるだけというのは、不本意に決まっている。しかし、こいつら二人の命を救えというのが最優先の命令だ。
おそらく残された時間は60秒もない。
要救助者を収容すると同時に、待機状態だったLNGエンジンに点火する。
ドドンっ!
衝撃とともに強烈なGがかかり、背中がシートに押し付けられた。
だが死地を脱するには、まだ足りない。リミッターカバーを叩き割り、スロットルを限界まで踏み込む。身体全体がシートに沈み、背骨がきしんだ。安全基準を超えた加速で機体は振動し、握りしめた操縦桿にもガタガタと伝わってくる。
救助されたくせに「この野郎! 操縦をオレに替われ!」と泣き喚く後席のバカ先輩は相手にせず、通話回線を切って返事とした。
月面に墜ちつつあるトパーズは、後方ディスプレイ上で次第に小さくなり、脱出を図る救難チームから置き去りになっていく。
逃げろ! できるだけ早く、より遠くへ──!
急加速に伴い、軌道高度が上がりそうになる。手動に切り替え、機首を無理やり押さえつけた。訓練でも飛んだことのない低空飛行だ。前方視界の下半分、いや8割方は砂が白く反射する月面で、宇宙で見慣れた黒い空間はわずかばかり。視点が低いため地平線に丸さも感じない。そのまま巨大な岩山に突っ込みそうな錯覚と恐怖を振り払う。
飛べ! もっと速く、もっと低く──!
トパーズに残った船長がどうするつもりかは聞いていない。しかし、そのとき──おそらく船が爆発四散するとき、その光景が地平線の上に見通せたなら──この機体も、光速で追いつく衝撃に巻き込まれてしまう。
月面の丸さを活かして地平線の下に隠れるには、できるだけ距離をとり、高度を下げるしかない。
プルアップ、プルアップ!
対地高度計が、高さを維持するよう警告を出す。
しかし、後方から追いついて右前方へ出た隊長機は、さらに高度を下げるよう要求してきた。
「来るぞ! もっと下だ! 月の引力に逆らうな!」
「マジっすか、リーダー!」
「大マジだよ!」
隊長機のイオンスラスターがパパッと灯った。これが見本だとばかり、つんのめるように前転し、機首を垂直に下げて逆立ちする。そのまま月面に激突する勢いでダイブしていった。こちらから見て右後方に流れ落ち、みるみる距離が離れる。
「フル加速で高度を下げるなんて気違い沙汰だ……」
追いかけるのを躊躇して振り返った──その横顔を狙いすましたように、後方の地平線から日の出のような烈光が射し、機体は大きく跳ね飛ばされた。