その2の3『雨の話』
「行こう。ちーちゃん」
緑色のレインコートを被った亜理紗ちゃんが家の中から出てきました。彼女は黒い長靴をはいてはいましたが、傘は手に持っていませんでした。
「亜理紗ちゃん。ぬれちゃうよ?」
「うん。ちーちゃんのに入れてもらいたいから」
「二人とも、クルマに気をつけていきなさいよ」
亜理紗ちゃんのお母さんに見送られて家を出ると、二人は身を寄せ合って傘の下を歩きました。近所は住宅が多く、広い歩道が作られています。道にハメこまれた赤レンガの隙間に雨が流れ、あふれた水が側溝へと落ちていきます。
「ちーちゃん。見て」
亜理紗ちゃんが傘のビニールを指さし、それを知恵ちゃんが見上げます。半透明な赤い傘を通して灰色の空が広がり、その中を大粒の雨がはじけます。知恵ちゃんが傘を動かすと、雨だれがカーテンのようになびいて揺れました。
「水たまりだ」
「ちーちゃん。何か光ってるよ」
近所の家庭菜園には雨が染みこんでおり、ところどころに水たまりができています。その中に何かを見つけると、傘を持つ知恵ちゃんの手を亜理紗ちゃんが握り、一緒に水たまりの近くへしゃがみこみました。
「なにかな」
「……音がする。聞こえる?ちーちゃん」
水たまりに落ちた雨が、不規則なリズムで音を鳴らします。それは次第に数を増やしていき、水たまりの表面には虹色の波紋が広がり始めました。急に暗くなった空に気づき、知恵ちゃんは視線を持ち上げました。
「知らない場所だ……」
気づくと、2人は薄暗い洞窟のような場所にいて、ただでも傘には水滴が落ち続けていました。洞窟の石つららから無数の水滴が零れ、水の振りそそぐ軌道に従って光の線が描かれます。水気を帯びた岩道に水が落ち着けば、そこには透明な花が咲いて散り、同時に楽器では表すことのできない旋律が響きました。
「少し寒い……」
「ちーちゃん。あっちから出られるかも」
二人で傘を持ちなおし、触れ合った手を握りしめます。まっすぐ前を向くと、その先に柔らかな白い光が見えました。足をすべらせないよう注意しながら、亜理紗ちゃんは知恵ちゃんをつれて洞窟の先へと進みました。
二人の歩く速度に関わらず、光は徐々に近づいてきます。それにあわせ、水の音も更に鮮明に耳へ入ってきました。白い光が体を包み込んだ次の瞬間、知恵ちゃんと亜理紗ちゃんは自分たちの家の前にいるのに気づきました。
「ちーちゃん。傘に入れてくれて、ありがとう」
「うん。ありがとう。またね」
「うん。またね。ちーちゃん」
亜理紗ちゃんを傘の下に入れたまま、知恵ちゃんは玄関まで亜理紗ちゃんを送っていきました。お別れをすると、亜理紗ちゃんは家の中へと入っていきます。
その後、一人になった知恵ちゃんは雨の中で瞳を閉じてみます。亜理紗ちゃんの手の温かさと、先程の美しい水音が、しっとりと体の中に残っているのを感じました。