その99の19『旅の話』
「……あ」
自転車の車輪が回る音を聞き、亜理紗ちゃんは地図を閉じました。窓の外にあった異世界の風景が消え、いつもの景色が戻ってきます。亜理紗ちゃんと知恵ちゃんは窓から顔をのぞかせ、亜理紗ちゃんのお母さんが自転車に乗って帰ってきたのを見つけました。
「アリサちゃん。もう5時になるよ」
「……ほんとだ!」
時計を確認します。時間を忘れて島を探検していたせいで気づきませんでしたが、もう少しで亜理紗ちゃんは家に帰らなくてはならない時間です。もう一度、亜理紗ちゃんは地図を開いて、島のまだ行っていない場所を調べてみます。
「まだ行ってないところ、たくさんある」
「また、今度にする?」
「……」
島の探索は4分の1も終わっておらず、地図には目印らしきマークがいくつも描いてあります。今日で全ての場所へ行くのは無理ですが、少しでも先を見ておきたいという気持ちから、亜理紗ちゃんは地図に示された現在地へと指を押しつけました。
「あとちょっとしか時間ないけど、どこに行くの?」
知恵ちゃんが地図を見ながら、これからの進路を尋ねています。谷や山は超えることはできない為、ずっと回り込んで平地へ出るか、迷路のようなトゲトゲの地形をさまよいながら進まねばなりません。ですが、亜理紗ちゃんは部屋の正面を青い海へと向けました。
「海に出てみよう」
「海?」
最初に島に来た時、部屋は湖の上に浮いていました。なので、海の上にも出られると考え、亜理紗ちゃんは砂浜を超えて、窓の外に広がる視界を青い世界へと染めていきました。
「……あれ?ちーちゃん。これ、水じゃないよ」
「青いつぶつぶだ」
海だと思って上に乗ったものは、大量の細かな青いつぶでした。それは宝石にも似て太陽の光をはね返しながら泡のように大きさを変え、青い一面に低い波を立てています。
「……下に何かいる」
「……どれ?」
知恵ちゃんの指先へ、亜理紗ちゃんが目を向けます。大量のつぶの下に魚影らしきものが動いていて、魚は2つの手らしきものをうねうねと動かして、青いつぶの中を泳いでいます。もしくは、掘り進んでいるかもしれません。その生き物が出てこないかと2人は窓の下を見ていましたが、最後まで顔を見せずに生き物は影を散らして消えてしまいました。
「……この先、どうなってるんだろう」
正面に目を向け直し、星の輝く青空へ亜理紗ちゃんは疑問を投げました。ゆっくりと青いつぶの海を進んでいきます。その次第に空は茶色くくすみかがっていきます。
「……あ」
「アリサちゃん?」
「落ちた!」
青いつぶが崩れ落ち、部屋が落下を始めました。茶色い世界の中に、ふわふわとした線が浮かんでいます。それらが窓の上へ上へと流れていきます。部屋は、どこまでも落ちていきます。
「……」
窓の外にあった茶色い世界が、徐々に暗くなっていきます。そして、亜理紗ちゃんの手元にある地図が、少しずつ消えていくのを知恵ちゃんは見つけました。地図を記した紙のふちには線をつむいだような模様があり、それが窓の外に浮いていたものと似ている事にも気づきました。
「……戻ってきた」
そうした亜理紗ちゃんの声を受けて、知恵ちゃんはまばたきながらに窓の外へと意識を向けました。やや暗くなり始めた空が映し出されます。見慣れた街があります。そこへ、知恵ちゃんの家のインターホンの音が聞こえてきました。お母さんが迎えに来たのだと亜理紗ちゃんは気づいていましたが、まだ地図の質感をおぼえている指元へと目を向けたまま、じっと座り込んでいました。
「アリサちゃん。お母さんが迎えに来てくれたよ」
部屋の外から、知恵ちゃんのお母さんの声が届きます。やっと2人はベッドから降りて、亜理紗ちゃんのお母さんが待つ玄関へと向かいました。
「じゃあね。ちーちゃん」
「うん」
玄関でお別れして、知恵ちゃんは自分の部屋へと戻ってきました。もう、地図の切れ端すらも部屋には残っていません。地図がなくなってしまったので、楽しかった島の旅もおしまいです。でも、知恵ちゃんは寝る前まで何度も、部屋の中に地図がないかと探し続けていました。
「ちーちゃん。おはよう」
「あ……おはよう」
次の日の朝、学校へ行く前に亜理紗ちゃんが知恵ちゃんの家へやってきます。地図が消えて探検が続けられなくなり、もっと残念そうにしていると知恵ちゃんは思っていたので、亜理紗ちゃんの普段通りの態度に意外そうな顔を見せています。
「ちーちゃん。探検した島のこと、おぼえてる?」
「おぼえてるよ」
通学路へ足を進めながら、亜理紗ちゃんは島で見たもののことを1つ1つ、思い出しつつ話し出しました。まだ見ていない場所について語った後、知恵ちゃんにこう言いました。
「学校が終わったら、一緒に、あの島の地図を作ろう」
「……うん」
そうすれば、またあの島にいけるのかは解りません。でも、ちょっとでも旅の記憶を残しておきたいという気持ちから、知恵ちゃんは亜理紗ちゃんの誘いにうなづいて見せました。
その100へ続く






