その99の10『旅の話』
知恵ちゃんの横やりにも負けず、亜理紗ちゃんは部屋の進行速度を上げていきます。走る木々を部屋はぐんぐんと追い抜いていき、森の奥にある街灯りにも似た光をとらえました。森を抜けた先、疾走する木々の先頭へと、全力前進の末に到着しました。
「わあ……」
「うわあ……」
窓から少し離れた場所に、巨大な木が見えてきました。森を先導している木は他の木の10倍以上も大きく、地をはっている根っこも1本1本が竜のようです。空をおおうほどの葉や枝には大きな実がなっていて、その実は木々の群れを導くようにして内部より灯りをもらしていました。
「ちーちゃん!動くクリスマスツリーだ」
「な……夏なのに」
亜理紗ちゃんは額の汗をふきながらも、部屋の前を走る大樹の姿をクリスマスツリーに例えます。しかし、知恵ちゃんたちのいる部屋は夏の真っただ中なので、クリスマスツリーには時期が外れています。やや暑苦しそうな視線で、知恵ちゃんは大樹の光を観賞していました。その中で、ふと大樹の異変に気がつきます。
「アリサちゃん。なにか……こぼれてない?」
「ん?」
大樹の木の枝についた実から、どろどろとした液体がこぼれ落ちています。ピンクや黄緑色の光る液体が地面に落ちて、足あとのようにして線を残していました。その次第に、木についている実が落下します。突然、亜理紗ちゃんたちのいる部屋の窓が黄色で覆われ、前が見えなくなってしまいました。
「何も見えない……ちーちゃん。これなに?」
「なんだろう……」
亜理紗ちゃんは部屋を前進させる作業から手が離せないので、知恵ちゃんが窓に顔を近づけて黄色いものの正体を探ります。液体の中には微細な輝きがあり、ぬめぬめと波を立てているのが解ります。液体自体が光を放っているので、夜空を見上げた時よりも部屋は明るい状態です。
「ちーちゃん。解った?」
「解った。これ、クリスマスツリーのかざりだ」
黄色く輝く窓には続けて、紫色の液体がはりつきました。黄色と紫で混ざり合って、ぐにゃぐにゃとマーブル模様を作り出します。部屋の周囲からはズサズサと土の崩れる音がしており、まだ森の木々が近くにいるのは間違いありません。落っこちた木の実が作った液だまりの中へ、知恵ちゃんの部屋が入り込んでしまったようです。
「ぐちゃぐちゃだ……ちーちゃん。キレイにできないかな?」
「だって、よごれてるのは窓の外だし……」
汚れを拭こうにも、窓は押しても開きません。内側からはどうにもできず、たた亜理紗ちゃんは部屋の進行を続けるばかりです。輝かしい黄色と紫、それに加えて黄緑もまとわりついてきます。その汚れから一転して、今度は部屋の窓が茶色く染まりました。
「……汚れが取れた」
「取れた?」
ピカピカと光っていた窓が茶色く染まり、亜理紗ちゃんは汚れが取れたと錯覚します。でも、木の実の汚れから脱出はできたものの、一向に景色は見えてきません。窓の外にある濃い茶色のものが何かを探る為、知恵ちゃんは部屋の電気をつけました。
「……」
亜理紗ちゃんの手元にある地図を見ると、森が移動を続けているのは確認できました。しかし、部屋の動きは完全に止まっています。このままでは森を見失ってしまう考え、なんとか抜け出そうと亜理紗ちゃんは方向を変えながら地図に指を押しつけていました。しかし、うんともすんともいいません。
「全然、進まなくなった……」
地図を見ると、もう森は亜理紗ちゃんたちの現在地にはなく、どんどん遠くへ離れているのが見て取れました。森に隠されていた部分が徐々に明らかとなり、何か黒い一帯に部屋が位置しているのが2人には解ってきました。
「……」
もう一度、窓を覆っている茶色いものを観察します。部屋の蛍光灯の光を受けて、どろどろとした液体の粘度がうかがえます。その液体の動きから、こころなしか部屋が沈んでいっているようにも思えてきます。液体の中に石ころや草が混じっているのを目撃し、亜理紗ちゃんは大方の予測を立てました。
「泥に落ちた」
「泥……出られる?」
「……う~ん」
上に向けて動き出そうにも、どちらが上で、どちらが下か。今、どちらを向いているのかすら解りません。
「……」
「……」
「……ちーちゃん。おかし食べよう」
「うん」
難しい問題は置いておくとして、2人は地図を折りたたみ、テーブルに乗っているチョコスナックの袋を開きました。
その99の11へ続く






