その99の8『旅の話』
地図が描かれている紙の裏側、その黒い面を広げると、窓に映る島の様子が夜景へと変化しました。部屋の向きを少し上向きにしてみれば、遠く輝く小さな月の光が、うっすらと部屋に差し込みます。
「……あっち、なにか光ってるよ」
亜理紗ちゃんが部屋の方向を山から背けると、森を抜けた先に街の灯りのような、キラキラしているものが見えました。まばらな木々の間を抜けて、そちらへと部屋を進行させます。まだ地面には、雪のカタマリがごろごろしています。
「……」
地図から指を離し、ふと亜理紗ちゃんは部屋の動きを止めました。現在地を示す印は地図上で白く光っており。そちらを知恵ちゃんはのぞいていましたが、なぜ止まったのかと気にして窓へと視線を戻します。目の前をさえぎっているものなどは、特にありません。
「アリサちゃん。どうしたの?」
「なんか、そこで光ってたんだけど……」
亜理紗ちゃんは窓から少し身を離しながら、怖々と部屋の外をうかがっています。知恵ちゃんも暗い森の中に目をこらしますが、どこにも光っているものは発見できません。
「……何があったの?」
「なんか……光ってて、ふわふわしちるのがいたんですけど……」
亜理紗ちゃんの説明は漠然としているのですが、しりすぼみになっていく亜理紗ちゃんの声を聞いて、知恵ちゃんは光っていたものに目星をつけます。
「……きっと幽霊だ」
「ちーちゃん……見てきて」
変な生き物や見た事もない場所には臆せず接していくのに、なぜか亜理紗ちゃんは幽霊や妖怪だけは怖いのです。亜理紗ちゃんから地図をもらい、知恵ちゃんは指をつけて慎重に部屋を発進させます。
「……」
知恵ちゃんが運転を始めると、急に部屋が真上に向いてしまいました。もやか雲のかかった空が、どこまでも澄み渡って広がります。しかし、さすがに空へは進んでいけないので、どんなに進行しようとしても、ぐらぐらと窓の外の風景は揺れるばかりです。
「……」
なんとか上向きから体勢を立て直しますが、そのまま部屋は引っ繰り返ってしまいました。知恵ちゃんの部屋の中の重力はそのままに、窓の外の風景だけが逆さまになって映し出されています。逆さまに見た雪山は、まるで空から生えているかのようです。
「ちーちゃん……私がやるよ」
「お願い……」
知恵ちゃんは部屋の運転が上手くないのだと再確認し、地図は改めて亜理紗ちゃんへと返されました。紙を広げ直し、亜理紗ちゃんが指を押しつけます。部屋の向きを正しく直すと、その窓の外を何かが通りすぎていきました。
「アリサちゃん。いた。幽霊だ」
「……目をつむっておくから、ちーちゃん見て」
声を震わせている亜理紗ちゃんに頼まれ、知恵ちゃんは窓へと近づきます。光っているものをまじまじと観察したところ、それは丸くてふわふわしていて、まるで風船のように浮きながら漂っているのが解りました。人魂のようにも見えましたが、光には細長いヒモがついてました。それを目で辿って、知恵ちゃんは視線を地面まで下げます。
「……」
小さな2つの光が、地面の間際に浮かんでいます。次第に光っている部分以外の形もハッキリと目視できてきます。丸く光っているのがシッポの先で、2つの小さな光は目です。シッポが長く、毛がぼさぼさした四つ足の生き物がいます。
「幽霊じゃなかった」
「そうなの?」
幽霊でないと知り、亜理紗ちゃんも変な生き物を観察します。しっぽの光る生き物は2人に気づかず、のそのそと前足と後ろ足で歩いていきます。亜理紗ちゃんは生き物のあとをおうようにして、ゆっくりと部屋を前に移動させていきます。
「……」
生き物は光るシッポで前方を照らし、のそのそと土や雪を踏みしめています。そんなシッポのまわりに、白いちょうちょがやってきました。
「わ……虫だ」
「キレイな、ちょうちょだ」
ちょうちょは2匹……3匹と集まってきます。それを見て、亜理紗ちゃんは虫を集めているのだと予想しました。
「……食べるのかな?」
「虫を食べるとか……」
光で虫をおびきよせて、そこを食べるつもりなのではないかと、亜理紗ちゃんは動物の動向に注意しています。シッポの光る生き物は、ひらひらと光の近くを飛んでいる虫を見上げています。いつ牙をむくのか、2人は息をのんで見守っています。
「……ぎっ……ぎっぎっ」
生き物は鳴き声にあわせてシッポを振り、ちょうちょを振り払いました。そして、雪にまじって生えている草を口に含ませました。またちょうちょが集まってきてしまい、それをぶんぶんと追いはらっています。その内、生き物は諦めたようにして、しっぽの光を消してしまいました。
「……」
頃合いを見て、また生き物はシッポの光を再燃させます。すると、やはりちょうちょが集まってきて、また生き物は追い払うようにシッポを振り始めました。
「ぎっ……ぎっ……」
「ちーちゃん……すごい戦ってる」
「戦ってるね」
本人はイライラしているのですが、見ている分にはキレイで可愛いので、しばらく2人は生き物とちょうちょの戦いを見守っていました。
その99の9へ続く






