その15の3『水の話』
お風呂場へと入り、知恵ちゃんはフタごしに湯舟の中の音を聞いています。しばらくはシンとして静かでしたが、耳が静けさに慣れてくると、水の揺れる音がザザザと小さく聞こえてきました。ほとんど閉まっているお風呂のフタを開けてみます。しかし、お風呂の底はなくなっていて、青々とした光を放つ澄んだ水が奥深くまで続いていました。
知恵ちゃんはお風呂場の電気をつけてみます。そうすると、電球の光を受けたお風呂の水は更に透明になり、その中にあるものを揺らめかせながらも映し出しました。ジッと知恵ちゃんは水の中をのぞきこんで、さっき洗面所で聞いた高い音の主を探しています。何をしているのか知りたがって、部屋の外から亜理紗ちゃんの声が聞こえてきます。
「ちーちゃん。なにかいた?」
「なにか、水の中で動いてる……」
「そっち、行っていい?」
「あっ、ダメ!」
知恵ちゃんはお風呂場から出ると、洗面所に置いてある下着を持ってリビングへと向かいました。洗濯場に置き忘れていた下着をお母さんに渡し、知恵ちゃんはキッチンから食パンを一枚だけ持って戻ってきました。
「あげる」
「別にお腹すいてないけど、なんで?」
「一枚全部は使わないから」
知恵ちゃんは持ってきた食パンの耳の一かけらをちぎると、それ以外を亜理紗ちゃんにあげました。その後、2人でお風呂場へ入ると、知恵ちゃんは亜理紗ちゃんと一緒に水の中の生き物を探し始めました。
「ちーちゃん。すごい!海みたいになってる!」
水面が揺れていても、水の中は水槽のようにハッキリと映し出されています。見た事もない色のカラフルな魚が泳いでいて、魚たちは緑色の水草をつっついていました。それを見物しつつパンを食べている亜理紗ちゃんの横で、知恵ちゃんは食パンのカケラをお風呂の水に浮かべました。
「釣りするの?」
「釣らないけど、なにか来るかもしれない……」
泳いでいる魚を近くで見るため、知恵ちゃんはパンで水面に引き寄せようとします。しかし、魚がいる場所は少し遠くて、水面にあるパンまでは気づいてくれません。
「アリサちゃん……パンは?」
「今は、もうない」
亜理紗ちゃんはパンを食べ終わってしまって、もう手元には一かけらも残っていません。次第に、浮かべたパンのカケラは水を吸って重くなり、徐々にお風呂の中の海へと沈みかけています。その時、お風呂場の外から知恵ちゃんのお母さんの声が聞こえてきました。
「知恵。なにしてるの?」
「あ、お母さん……」
知恵ちゃんと亜理紗ちゃんが脱衣所の方へ振り返った瞬間、甲高い鳴き声と共に水がはじけ飛びました。お風呂から何が出て来たのか、ずぶ濡れになりながらも2人は視線を戻しますが、そこに残っていたのは何の変哲もないお風呂の残り湯だけです。もう、沈みかけていたパンのカケラも、輝きを放つ海のような水もなくなってしまいました。
「お風呂、まだ掃除してないんだから……なんで濡れてるの?」
服まで水びたしになっている知恵ちゃんと亜理紗ちゃんを見て、知恵ちゃんのお母さんはバスタオルを探し始めました。そして、それを2人に渡すと、すぐにお風呂の栓をとって、残り湯を捨ててしまいました。
「着替え持ってくるから、シャワー使って」
シャワーを浴びるよう2人に言うと、知恵ちゃんのお母さんは着替えを取りに行ってしまいました。その間も、2人は少しずつ減っていくお風呂の水を見つめていました。
その16へ続く






