その14の3『嵐の話』
廊下の電気をつけて、知恵ちゃんは2階にある自分の部屋へと向かいます。階段を上がって少し行くと、廊下の先には2つ部屋があり、通路の左奥にあるのが知恵ちゃんの部屋です。廊下の右側には窓が連なっていて、激しい雨が屋根から流れ落ちているのが見えます。
『……』
階段を上り終えて知恵ちゃんが廊下を進むと、また雨音の中に声のようなものが聞こえてきました。知恵ちゃんはトランシーバーを持ち上げますが、電源は切れていて耳を当ててみても何も聞こえません。
何を言っているのか解らない不可解な声に足を止めたものの、その声はささやきにも似て穏やかで、知恵ちゃんは誰かの声に怖がる素振りを見せません。自分の部屋を目指して足を進めると、今度は蛍光灯がチカチカと点滅を始めました。
「……?」
知恵ちゃんが点いたり消えたりする蛍光灯を見上げ、そのまばたきにあわせて光は何度か光を途絶えさせます。そして、ついに電気は光を失い、知恵ちゃんは暗闇の中に誘い込まれました。暗くなった視界の中で、再び誰かの声が聞こえてきます。
『……』
知恵ちゃんは呼ばれるように窓の外へと視線を移します。窓ガラスの外に、とても大きな明るいものが輝き、濡れて曇ったガラスは次第に水を落としていきます。
「……」
あれほど土砂のように降り続いていた雨は、いつしか音もなく止んでいました。知恵ちゃんが光を求めて空を見上げます。水気のはけたガラス窓の向こう、夜空には今にも落ちてきそうな大きな月が浮かんでいて、その陰影が、まるで目を動かすように大きく揺れました。
知恵ちゃんは何か、大きなものに見つめられたように身をかため、眠そうだった目と口を大きく開いて月と見つめ合いました。風の音もなく、雨が空気を洗い流したように静かです。その中で誰かの声がうなり、それを聞こうと知恵ちゃんが意識を強めて目を閉じました。
『……』
そのマバタキを終えた時には既に、廊下の電気は明るさを取り戻していて、先程より弱まった雨が窓ガラスに打ちつけられていました。もう、雨の中に声は聞こえません。空には明かりの一つも見えません。すぐに知恵ちゃんはリビングへと戻り、お父さんに声をかけました。
「お父さん。今、停電した?」
「……いや?全然」
「蛍光灯、切れたんじゃない?」
「どれどれ」
お父さんがお母さんに言われて席を立ち、2階の廊下の蛍光灯をつけたり消したりしに行ってみましたが、その光はチラつきすらなく全く問題はありません。
「う~ん。問題なさそうだから、安心しなさい」
「うん」
それからは、雨と雷の音だけが家の外で鳴っており、その音を聞いている内に知恵ちゃんはベッドの中で眠りについていました。翌日、カーテンの隙間から差す太陽の光は透き通っていて、空には雲の一つも掛かってはいませんでした。
『台風は温帯低気圧へと変わりました』
テレビでは昨夜の台風が消えたことを告げており、それと同時に台風による被害は大きくなかったことも報道されていました。知恵ちゃんの家でも壊れたものはなく、隣の家の庭では亜理紗ちゃんのお母さんが庭の掃除をしているのが見えます。
「ちーちゃん。学校、行こう!」
いつものように亜理紗ちゃんがやってきて、知恵ちゃんと一緒に登校を始めます。もちろん、昨日の台風の話題が一番先に亜理紗ちゃんの口から出ました。
「台風の目を見たかったのに、なんにも見えなかった……」
「私は、ちょっと見たんだけど……」
「ほんと!?写真とった?」
「撮ってない……」
「口はあった?」
「……」
夜に雨の中から聞こえた声が何を言っていたのか、どうしても知恵ちゃんには思い出せませんでした。ただ、でも、あの生き物が強い嵐を抑え込んでいた。そんな予感は知恵ちゃんの心に残っていました。
その15へ続く






