その91の5『胸きゅんきゅんの話』
「キツネさん、帰らないんだけど……」
「キツネさん、ちーちゃんになついたのかな」
ピンクのキツネは庭に穴をほったことを許されても、まだ知恵ちゃんの横にしゃんとして座っています。たまに知恵ちゃんの顔を見上げて、指示を待つようにして亜理紗ちゃんにシッポを振っています。
「キツネさん……帰らないの、なんで?」
「……う~ん」
知恵ちゃんは肩をすくめながら、キツネさんのとなりにしゃがみ込みます。それをマネして、キツネさんも体を縮こませながら、知恵ちゃんに視線を返していました。亜理紗ちゃんはキツネさんの考えを読み解き、想像ながらに知恵ちゃんへと伝えました。
「ちーちゃんはキツネさんの師匠に認められたから、胸キュンを教えてほしいのかも」
「え……胸キュンを?」
知恵ちゃん自身が胸キュンを解っていないのに、キツネさんに伝授するよう言われてしまいます。知恵ちゃんが困ってしまっているので、亜理紗ちゃんが胸キュン監督として指示を出すようです。
「あっちで遊ぼう」
亜理紗監督は舞台を家の庭にすると決め、移動を開始しました。知恵ちゃんが小さな歩幅で歩くと、キツネさんも後ろをちょこちょことついてきます。亜理紗ちゃんは後ろ向きに歩きながら、知恵ちゃんとキツネさんの歩くさまを観察しています。
「ちーちゃんの後ろをついてくるキツネさん。これは胸キュンだ」
「胸キュンなの?」
亜理紗ちゃんは早くも胸キュンを見つけ、指で四角を作りカメラのファインダーをマネています。
「ちーちゃんの胸キュンポイントは、私が一番、知ってるんだ」
「アリサちゃんは、私のなんなの……」
「……あ。ちょうちょだ」
ちょうちょが飛んできました。白くてキレイなちょうちょですが、知恵ちゃんは虫が全般的に苦手です。ながめる分にも問題ありませんが、顔へ目掛けて飛んでくると逃げ腰になってしまいます。キツネさんも知恵ちゃんの後ろにかくれて、ちょうちょの行方に注意しています。
「アリサちゃん……助けて」
亜理紗ちゃんが近づくと、ちょうちょはヒラヒラと去っていきました。知恵ちゃんとキツネさんは身を寄せ合って、遠くへ消えていったちょうちょを見送ります。
「ちーちゃん。大丈夫?」
「うん。全然、大丈夫なんだけど……」
ちょうちょがいなくなった途端、急に強がる知恵ちゃんとキツネさんを見て、また亜理紗ちゃんは胸キュンに気づきました。その後は庭に出て、2人はキツネさんと一緒にボールで遊んだり、おいかけっこをしたりしていました。
「……」
ボールを取れない知恵ちゃん。キツネさんに追いつけない知恵ちゃん。走るとすぐに疲れてしまう知恵ちゃん。知恵ちゃんのマネをしているキツネさん。ただ遊んでいる中でも、亜理紗ちゃんは胸キュンをたくさん見つけます。
「ぴゅぴゅん……」
30分くらいすると、キツネさんも知恵ちゃんの弱さと、小ささと、守ってあげたさが解ってきたので、追いかけっこやボール遊びに手加減を加えます。それに気づいて、やはり知恵ちゃんが一番、胸キュンなのだと亜理紗ちゃんは再確認しました。
「つかれた……」
「ぴゅぴゅん……」
知恵ちゃんが家の壁のそばにしゃがみ込んで休み始めたので、遠目に亜理紗ちゃんとキツネさんは知恵ちゃんの姿をながめています。楽しく遊んでいたキツネさんも、そろそろ帰る時間のようです。体を小さく丸めて、両手をあわせながら、亜理紗ちゃんと知恵ちゃんに何度も頭を下げています。キツネさんも胸キュンのわびさびが解ったようなので、これではれて免許皆伝です。
「またね」
「ぴゅぴゅぴゅん……」
亜理紗ちゃんが手を振るとキツネさんは家の正面へと走っていき、その足音はすぐに聞こえなくなりました。キツネさんが帰ってしまったのを知り、知恵ちゃんも役目を終えたとばかりに立ち上がりました。
「私も帰ろうかな……」
「え……帰っちゃうの?時間あるのに……」
色々あって疲れたので、もう家に帰ろうと知恵ちゃんが歩き出します。すぐに亜理紗ちゃんは、小さな声で知恵ちゃんを呼びとめました。
「ちーちゃん……帰っちゃう?」
「……」
さみしそうな亜理紗ちゃんの様子を不意に見て、知恵ちゃんは立ち止まりました。あんな顔をされては、帰る気持ちもなくなってしまいます。疲れのドキドキではない別の感情を胸につかんで、知恵ちゃんは亜理紗ちゃんに返答しました。
「……じゃあ、まだいる」
「ありがとう!うちでお菓子、食べよう」
「……うん」
その92へ続く






