その91の1『胸きゅんきゅんの話』
「あっ、五郎丸だ」
桜ちゃんの家で遊んだ帰り道、亜理紗ちゃんは散歩している犬の五郎丸を見つけました。飼い主さんにお願いして、わしわしと毛並みを手でなでさせてもらってます。五郎丸も触られるのには慣れているので、抵抗もせずに黙ってなでられていました。
「ちーちゃんも触る?」
「私はいいけど……」
ぼさぼさになった五郎丸の毛並みをなおして、飼い主さんにも手を振ってお別れします。それから少し行くと、亜理紗ちゃんは小さな橋の下を流れる川にお魚を見つけました。
「あれ、なんってお魚かな?」
「コイじゃない?」
「コイって、なんかマロンチックな名前だ」
流れの遅い川に黒い魚が漂うさまを亜理紗ちゃんが見ています。そんな亜理紗ちゃんを知恵ちゃんは観察しています。急に亜理紗ちゃんが知恵ちゃんの方へと視線を移すと、ビックリして知恵ちゃんはお魚へ顔向きをさげます。
「かわいいね。お魚」
「まあ……うん」
知恵ちゃんは普段からテンションが低いので、動物を見ても顔色の1つも変えません。知恵ちゃんの家にはプードルのモモコがいるのですが、襲われるようにじゃれていることはあっても、溺愛している様子は見た試しがありません。
「そういえば、ちーちゃんって、なにか心もぞもぞしたりするの?」
「心もぞもぞ?」
「かわいいワンちゃんとか見たりしたら、心もぞもぞする」
知恵ちゃんは心もぞもぞの感覚が解らず、亜理紗ちゃんも上手く説明ができず、2人は黙って空を見上げます。改めて、知恵ちゃんは亜理紗ちゃんに尋ねました。
「心もぞもぞ?」
「あとほら、マロンチックなものとか見ると、心もぞもぞしない?」
「しない……」
「むう。ちーちゃんは心もぞもぞしない人か……」
家の前で亜理紗ちゃんとお別れをして、知恵ちゃんも自宅へと入ります。空は少し暗くなってきていて、リビングにも電気がついています。お母さんに声をかけてから、知恵ちゃんはソファで寝ている犬のモモコを見つめました。
「知恵。どうしたの?」
「……お母さん。心もぞもぞするって、どういう時なの?」
「よく解らないけど……カゼの時とか?」
お母さんの返答を受けて、亜理紗ちゃんは具合が悪かったのかもしれないと知恵ちゃんは心配になりましたが、次の日の朝になると亜理紗ちゃんは元気な姿で家にやってきました。
「おはよう。ちーちゃん」
「アリサちゃん。元気?」
「うん。いつも通り」
カゼを引いていたわけではないと知り、心もぞもぞの謎は更に深まりました。通学路でノラ猫を見つけると、また亜理紗ちゃんはネコの行き先を探るようにながめています。
「ねこって、あんまり触らせてくれない……」
「ノラ猫は触っちゃダメだって、お母さんが言ってたし……」
亜理紗ちゃんは動物に限らず、お花や、雲の形まで見て、かわいいと言います。そのたびに、知恵ちゃんは可愛いか可愛くないかを判定しなければなりません。ほとんどのものは少なからず可愛い要素を発見できたのですが、水に浮かぶ葉っぱを可愛いと言われた時だけは、少し判断に時間を要しました。
「おはよう。知恵」
「おはよう」
亜理紗ちゃんと別れて自分のクラスへ入ると、同じクラスの桜ちゃんが声をかけてくれました。昨日、遊びに行った時に読ませてもらったマンガの話になります。遅れて百合ちゃんもやってきました。
「知恵ちゃん。おはよ~」
「おはよう。百合ちゃん」
「知恵。昨日、うちのマンガ、どこまで読んだっけ?」
「知恵ちゃん、桜ちゃんの家に来たの?」
「アリサと一緒に来たんだ」
知恵ちゃんと亜理紗ちゃんは桜ちゃんの家でマンガを借りて読んでいたのですが、その内容は高校生の恋愛ものでした。読んだ範囲で、どこが見所だったのかと考え、知恵ちゃんは月並みな感想を述べます。
「たまに出てくる先生のキャラが面白かった」
「あれ……恋愛の話の方は?」
「恋愛?」
「桜ちゃん。知恵ちゃんたちと、どんなマンガ読んだの?」
「胸キュン系のマンガなんだけど……」
「あ~、胸キュンキュン系だ」
胸キュンというワードを聞いて、知恵ちゃんは目をぱちくりさせています。なんで、亜理紗ちゃんがロマンチックなお話を帰り道でしていたのか、その理由に気づくと共に、心もぞもぞという聞きなれない感情についても予想がつきました。そんなことを考えながら、ぼーっとしている知恵ちゃんに気づいて、桜ちゃんは不思議そうに声をかけます。
「知恵。どうした?」
「そっか……胸キュンだ」
「……?」
その91の2へ続く






