その88の3『迷い人の話』
こんなところにいては命がいくつあってもたりない。早く知っている場所に戻らねば。しかし、目が覚めた場所には帰れそうな道もなかったし、木に登って見ても不思議な建物が遠くの景色まで延々と続いている。幸い、俺は草でも食っておけば生き延びられるから食べ物には困らないが、あの柱の上についた線にとまっている謎の黒い鳥は非常に怖い。
それに、俺は正義の探検家だ。あの平たいものの中に捕まったやつらを放ってはおけない。黒い髪の魔女は俺を探して、キョロキョロしながら歩いている。びっくりさせれば、あの平たいものを落とすかもしれない。俺は木の上から狙いを定めて、飛び掛かるタイミングを見計らった。
「ちーちゃん。あの子、プチトマト嫌いだったのかな」
「でも、ヘタまで食べてたし……」
もう一人の方はまた、あのオレンジ色の果実を持ってきている。今のところ体に影響はないが、あのすっぱさを思い出すだけでツバが出てきてしまう。俺はオレンジ色の丸いものを見ただけで、ツバが出てくる体にされてしまったのだ。恐ろしい呪いだ。こちらも魔女かも解らない。
「……」
黒い髪の魔女が立ち止まり、再び平たいものを開いて中の動物たちをながめ始めた。今だ!俺は木の上からジャンプし、平たいもの目掛けて飛び掛かった。
「……ッ!わああ!」
「にゅにゅん……ッ!」
しまった!紙一重で外した!黒い魔女の手元から外れ、俺はボテンと道路に落ちてしまった。しかし、これしきのアクションは冒険者なら日常茶飯事。当然、受け身は取ったものの、ぶつけてしまって腰が少し痛い。
「ちーちゃん。たぬき!」
「ビックリした……」
痛みに耐えて顔を上げると、黒い魔女は平たいものを道路に落としていた。チャンスだ!俺はパッと足を立て、落ちている平たいものへと顔をのぞかせた。
「……」
俺に似た姿の四足歩行の生き物が、平たいものの中の1枚1枚に入っている。だが、においをかいでみても、そういった生き物特有のにおいはしない。むしろ、今までにかいだことのない変なにおいがする。塗料か。これは……絵だ。
「……アリサちゃん。あのタヌキさん、本を読んでる」
「仲間だと思ったのかな?」
ただの絵だと解ったら、緊張が抜けてしまった。じゃあ、あの黒い魔女は、ただの絵描きだし、隣の人は果物屋さんではないか。紙の束を鼻先で押して返しつつ、俺は木の陰に戻って寝転んだ。しゃがみこんで、果物屋さんが俺を観察している。絵描きの方も絵と俺を見比べていた。
「ちーちゃん。タヌキさん。もう寝るのかな?」
「……図鑑を見ても、似た生き物がいないんだけど」
「また、変な世界から来たのかもしれない」
「そんな気がする」
今日は疲れた。知っている世界に帰る方法も探したいが、まずは少し眠ろう。そんな俺の気持ちを察してか、2人は立ち上がって手を振った。
「もう寝ちゃいそう。ちーちゃん。あとは、そっとしておこう」
「うん。ばいばい」
またまた、果物屋さんは俺の前にオレンジ色の果物を置いていった。それはもういい……のだが、2人が去ったあと、そっと口に入れてみた。やはり、すっぱい……が、慣れてきたら、それなりに美味しく感じてきた。これもまた、俺の環境適応能力の勝利と言えよう。
「にゅん……」
天気がいい。雨が降ったあとだからか、湿気も温かさも上々だ。気持ちよく体を脱力させる。すると、木陰の中に何か生えているのに気がついた。あれは……キノコだ。丁度いい。すっぱくなった口を整えよう。そう考え、キノコを口に入れた。もう眠い。すぐに眠気が襲ってきた。
「……」
目が覚めると俺は森の中にいた。ここは確か……島の最南端に位置する幻の島だ。伝説で幻の草刈りガマが眠る遺跡を探して、俺は長い旅の末に島へとやってきたのだった。
「……」
やはり、あの見慣れない世界は夢だったのか。それはともかく、お腹が鳴った。たくさん眠ってお腹が空いたようだ。遺跡探しの前に食べ物を探しに出かけよう。さて、何を食べようか……。
「……にゅん」
ああ……すっぱいもの以外なら、なんでもいいか。
その89へ続く






