その88の1『迷い人の話』
俺は世界を股に掛ける冒険者だ。長い旅の中で呼ばれた名前の数は100にもおよび、会ったやつは俺を好き勝手に呼ぶ。体の色を見てクロシマと呼ぶ者もいた。チビと呼ぶやからもいた。そして、自分ではレジェンド・オブ・グレートと呼んでいるが、みなは恐れをなしてか、この名を口にはしない。
冒険者は自由だ。時には森を駆け、海を渡り、空をも飛ぶ。もう世界の8割は見たと断言しよう。あとの2割が、どのくらいの広さなのかは男のロマンである。ああ……俺が古代遺跡に眠るお宝を巡って、盗賊団タヌヌヌと戦った話は、もうしただろうか?きっと、したな。じゃあ、いい。
そんな俺が迷い込んだ場所は、偉大なる冒険者の俺ですら見た事のない摩訶不思議な世界だった。どうして、このような場所に自分がいるのか、経緯を思い出そうにも思い出せない。記憶を呼び覚まそうとすると頭が痛くなるし、気を失う前に変なキノコを食べたことくらいしか思い出せないが、それは今回の件とは恐らく関係ないと思われる。
「あ……ちーちゃん。なんかいるよ」
「え……虫?」
ここは地面も石でできているし、建物は異様に四角い。そんなヘンテコな世界で、かつて見た事のない姿の人と俺は遭遇を果たした。2人とも髪が長く、体の大きさは俺の5倍はある。しかも、手には布のついた棒らしき武器を持っている!戦ったら勝ち目はないだろう。この場合の賢明な判断とは何か。長年の冒険と、生まれ持ったセンスで得た俺の行動は、これだ。
「にゅんにゅんにゅーん……」
「ちーちゃん!変な鳴き声のトラだ!」
「……トラ?」
そう。媚びるのだ。自分に好意を向けている相手を、そうそう邪険にはできない。それが人情というものである。勝てない戦いはしない。勝てる戦いもなるべくしない。それが長く生きるコツだと、実家の隣の爺さんが言っていた。その爺さんは自分の名言にたがわず、今も1日に5回は飯を食うくらいの健在ぶりである。
「かわいい……つれて帰りたい」
「のら犬に触ったらダメって、お母さん言ってたよ」
言語は解らないが、2人は何か相談をしているらしい。手前にいる方の人は俺をかばっているようだが、後ろの黒くて長い髪の人は眼光が鋭い。どうやって俺を食べようかと相談しているのか?まずいぞ。俺はまずい。俺も食べられたくはないし、きっと食べてもまずいからして、誰も得をしない。それは絶対に阻止せねばならない。そのために俺ができることは……。
「にゅんにゅんにゅーん……」
「ほら。甘えてる。悪いトラじゃないよ」
「かわいいけど……これ、なんの生き物なの……」
ひとまず、下手に出ることで相手の敵意を削ぎ、手に持っている武器をさげさせることには成功した。しかし、ヤリのような形をしているが、見慣れない武器だ。どうやって使うのか。俺が草の影から身を出すと、葉についていた水滴かパシャパシャと落ちてきた。雨が降っていたらしい。今は止んでいるが、雨にうたれたまま気を失っていたら、風邪をひいて持病の腹痛が再発したかも解らない。
「アリサちゃん。あんまり構っちゃダメだよ……」
「う~ん……」
2人は俺に悪意がないのを知ってか、構わずに再び道を歩き始めた。ひとまず、難は去ったようである。しかし、周囲の風景は見れば見る程に異様で、あちらこちらに立っている灰色の棒には、黒い線のようなものが張ってある。あれは鳥を捕まえる罠かもしれない。すると、闇雲に歩くのは危険だ。俺は2人のあとを追って移動することにした。
「ちーちゃん。小さいトラがついてくるよ」
「トラじゃないと思うけど……首輪してる。どこから来たんだろう」
黒くて長い髪の人が振り向いて、俺の首元の辺りを見つめている。俺が首に巻いているのはダークインザナチュラルと呼ばれる聖なる闇の宝珠をあしらった、伝説のアイテムだ。これを神は腕に巻いたと聞くが、俺は首のサイズに丁度よかったから、こちらにつけている。
「わんわんわん!」
「……ッ!」
俺と同じ四足歩行の生き物が、人にヒモを引かれながら歩いている。俺が礼儀正しく頭を下げたというのに、あちらは大きく吠え立ててきた。俺が何をしたというのか。俺を本気で怒らせると、きっと俺かお前のどちらかがケガをすることになるぞ。争いたくはない。やめるのだ。
「にゅんにゅん……」
「こら……やめなさい」
「わんわん……ふっ」
ヒモを引いている人になだめられ、四足歩行の生き物は鼻をならしながら去っていった。命拾いしたな。心のドキドキをおさえつつ前を向くと、あの2人が立ち止まって俺を見つめていた。
「……ちーちゃん。あのトラ、トラなのに弱そう」
言葉の意味は解らないが……何か失礼なことを言われた気がする。誰が何と言おうと、俺は平和を愛する冒険者だ。それだけは誤解しないでいただきたい所存である。
その88の2へ続く






