その81の1『大冒険の話』
ある日の夕方、知恵ちゃんはお母さんと一緒に本屋さんにやって来ていました。お母さんはお父さんに頼まれた本を探していて、その間に知恵ちゃんはマンガや小説の置いてあるタナを見ています。
「……?」
知恵ちゃんの背丈と同じ高さに厚めの本があり、題名は『ピーターの大冒険』と書かれていました。巻数や上や下といった文字はない為、その一冊で完結している本だと解ります。目的の本を探し終えたお母さんが、知恵ちゃんの元へとやってきました。
「知恵。それ欲しいの?」
「そうじゃないけど」
知恵ちゃんは本を取り出して、『ピーターの大冒険』の表紙を確かめてみました。そこには男の子のイラストがのっており、楽しそうな笑顔で妖精と一緒に空を飛んでいます。その背景には森や山、海などが細かに描かれています。本をひっくり返してみると、裏側には大まかなあらすじが書かれています。
『不思議な世界へと導かれたピーター。魔法の木の実を森の大樹にたくされ、魔法使いのおじいさんの元へと運ぶ約束をします。海で海賊とお宝さがし対決をしたり、砂漠の遺跡でミイラと踊ったり。まかふしぎな大冒険の始まり!』
本はビニールに入っているので中身を見ることはできませんが、異世界へと旅立ったピーター少年が、奇想天外な冒険に出ることだけは伝わってきます。知恵ちゃんのお母さんは本の裏側に表記されているお値段をのぞくと、お願いするようにして知恵ちゃんへと言いました。
「一応、学校の図書館にないか見てみてちょうだい」
「ううん。別に欲しい訳じゃないけど……」
お父さんの本だけ買って家へと帰り、知恵ちゃんは晩ご飯の煮込まれる音、食材を切るまな板と包丁の音を聞きながら、夕方のテレビ番組を見ていました。その映像は淡々と、世界の絶景を映し出していくというもので、ナレーションの1つも入らない真面目なものです。なので、知恵ちゃんも眠たげな眼で、何も考えずに見果てぬ土地の風景を流し見ています。
「知恵。海外に、行ってみたいの?」
「行きたくはないけど」
テレビに映る凍った滝は寒そうでしたし、地平線を割っている大きな岩を見ればノドが渇きます。密林は湿気が多そうで、知恵ちゃんの髪は跳ね上がってしまいそうです。どこへ行ってもデメリットがあるので、知恵ちゃんは行きたいとは思いませんでした。
「ただいま」
「おかえりなさい。そこに本、置いてあるから」
「ありがとう」
家にお父さんが帰ってきました。お父さんはお母さんの買ってきた本を紙袋から取り出して、ソファに座りながら広げました。お父さんの見ている本は遠くの街のガイドブックで、出張へ向かう際には毎回、事前に購入して持参するようにしているのでした。
「知恵。どうした?」
「ううん……別に」
ごはんができるまでの間、知恵ちゃんはお父さんと一緒にガイドブックをながめます。写真には納まらない大きなお寺や、たくさんの人が歩く祭りの風景、旅館の温泉などが載っていましたが、おみやげのお菓子が掲載されているページについて、知恵ちゃんは最も興味深そうに見つめていました。
翌日の朝、隣の家に住んでいる亜理紗ちゃんが、一緒に学校へ行く為に迎えに来ました。いつもと同じ時間にインターホンが鳴り、すぐに知恵ちゃんも玄関を出ます。
「おはよう。ちーちゃん」
「おはよう」
学校への道を歩きながら、知恵ちゃんは本屋さんで見た大冒険の本や、昨日のテレビのことを思い出して亜理紗ちゃんに話しかけました。
「アリサちゃん。行きたいところとかある?」
「……えっ?学校のこと?」
「学校じゃなくて……もっと遠いところ」
亜理紗ちゃんは少し考えてみます。そして、亜理紗ちゃんは改めて知恵ちゃんに告げました。
「う~ん……マンガとか、ゲームとかに出てくる変なところ」
「それは無理だよ……」
ありえない夢みたいなことを言ってみて、自分で恥ずかしそうにしながら、また悩んだ末に亜理紗ちゃんは答えを出しました。
「じゃあ、駄菓子屋さんでいいや……」
「……そこなら私も行きたい」
その81の2へ続く






