その79の4『外国語の話』
お母さんに見られていては恥ずかしくてミョミョ語の練習ができないので、まずランドセルを置きに家へと入る事にしました。『また後で』と知恵ちゃんに声をかけて、亜理紗ちゃんは先に家の玄関を開きました。
「アリサ。あれ、何かの歌なの?」
「外国語」
「外国語?」
そんな会話が聞こえ、亜理紗ちゃんの家の玄関が閉まります。知恵ちゃんもミョミョ語を忘れないようにと口ずさみながら、自分の家へと入っていきました。
「ただいま」
「おかえりなさい」
部屋にランドセルを置いてリビングへ入ると、お母さんはレンタルしてきた映画のビデオを見ていました。夜の内にお父さんはビデオを見たのですが、まだお母さんは見終わっておらず、明日が返却日なので時間を見つけて観賞しています。
「……英語だ」
「どうしたの?」
お母さんが見ているビデオは洋画なので、出演している役者さんたちも英語で喋っています。知恵ちゃんが一緒に見る時は吹き替えにしてくれているので、日本語字幕で映画を見る機会は多くありません。
「もうちょっとで終わるから、テレビ見たいなら待っててね」
「アリサちゃんと外で遊ぶから大丈夫」
知恵ちゃんはジュースを飲みながら、映画に出ているムキムキの男の人の発音を聞いています。字幕は目で追いきれず、言葉の意味は解りません。ただ、クライマックスに向けて、何かカッコいいセリフを言い放っていることは雰囲気で察しがつきました。
「行ってきます」
「どこで遊ぶの?アリサちゃんの家?」
「アリサちゃんの家の近く」
ジュースを飲み終え、知恵ちゃんは亜理紗ちゃんの家へと向かいました。壁の光に音や声を聞かれると消えてしまうと考え、亜理紗ちゃんは家の前で待っています。まだ壁に光が残っているか、2人は一緒に家の側面をのぞきました。
「まだある」
「ねえ。ちーちゃん……先にやってみてほしいんだけど」
「……?」
いつもは率先して実行する亜理紗ちゃんが、先にやってみてほしいと知恵ちゃんにお願いしています。亜理紗ちゃんは光の中から聞こえる音に返事をして、何度もお断りされているので、今回は知恵ちゃんを信じて背中を押すことにしました。
「やってみる」
「がんばって」
壁の光っている場所の前に立って、知恵ちゃんは指先でトントンと光をつっついてみます。やや沈黙をはさんだ後、家の角で待っている亜理紗ちゃんにも届く大きさで、壁の中から音のような声が聞こえてきました。
『ミョミョミョ……ミョッミョミョ……ミョミョ……』
亜理紗ちゃんと練習したのを思い出しながら、知恵ちゃんは小さな声で話かけてみます。
「みょみょみょ……みょみょみょ……」
『……ミョミョミョ』
知恵ちゃんの声に反応して、ちゃんと返事が戻ってきました。知恵ちゃんが亜理紗ちゃんを見ます。亜理紗ちゃんはガッツポーズをとると、足音を立てないよう静かに知恵ちゃんへと近づきました。再び、知恵ちゃんが声を発します。
「みょみょみょ……」
『ミョ……ミョミョミョミョ』
「みょみょ……」
何を話しているのか。知恵ちゃんには全く解りません。それでも、順調にやりとりは続いています。返事があるたびに壁の中から聞こえる音もはずんで、雰囲気の違う声が代わる代わるに出てきました。そんな知恵ちゃんの肩に触って、今度は亜理紗ちゃんが緊張した面持ちで声を出しました。
「ミョミョ……」
『ミョッミョミョ……ミョミョ』
「ミョミョミョミョ……」
亜理紗ちゃんが話しかけても、しっかりと答えが返ってきました。うまくお話ができたと安堵しつつ、亜理紗ちゃんは知恵ちゃんと手を繋いで、次の声を待ちました。
『……』
「……」
『ニュニュニュ』
「……?」
『ニュニュ……』
今まで聞こえていたミュミュ語が途絶え、聞いたこともない言葉が発せられました。突然のことに、知恵ちゃんは小声で亜理紗ちゃんに相談します。
「アリサちゃん……」
「……」
知恵ちゃんは亜理紗ちゃんを見つめています。亜理紗ちゃんは壁に顔を近づけて、恐る恐る声を返してみました。
「ニュ……」
『ニュニュ!』
最初の一言も終わらぬまま、壁の光も声もシュッと消えてしまいました。お話に失敗したのだと解り、亜理紗ちゃんは困惑ながらに頭をかいています。
「ちーちゃん。失敗した……」
「だって、ニュニュ語だったし……」
家の壁のすき間を出て、2人は家の前に戻りました。スズメが電信柱の近くにいて、チュンチュンと鳴いています。それもまた、どういった話をしているのかは2人には解りません。飛び立ったスズメが見えなくなると、亜理紗ちゃんは気をとりなおしてつぶやきました。
「ちーちゃん」
「……ん?」
「……次はニュニュ語の練習しよう」
その80へ続く






