その76の3『落とし穴の話』
『光の橋をかける』と宣言し、亜理紗ちゃんは筆箱を持ったまま、影から少し離れた場所に立ちました。今日の亜理紗ちゃんの筆箱は缶で出来ていて、その内側は銀色にキラキラしています。太陽の光と、開いた筆箱のフタの裏。反射した光が、知恵ちゃんの顔に当たります。
「まぶし……」
「ごめん」
亜理紗ちゃんが数歩だけ横に移動すると、筆箱を介した太陽光は影に明るみを作りました。真っ白な、くっきりした道ではありませんが、暗闇の中に光の橋が浮かんでいます。影の向こうまでは光が足りず、でも最後だけジャンプすれば渡れる長さの橋です。
「ちーちゃん。行ける?」
「うん」
亜理紗ちゃんは筆箱をかかげたまま待機して、知恵ちゃんは影の中にある光の橋へ足を降ろしました。橋は壊れもせずに、知恵ちゃんの軽い体重を支えて、半透明ながらも強く渡されています。ただ、筆箱は亜理紗ちゃんが手に持っているので、やや光も揺れていて不安定です。
「……」
ゆっくりゆっくり、先へ進むにつれて、橋は薄くなっていって、最後には消えてしまいます。その直前で、知恵ちゃんはピョンと、まぶしい光を目指して飛び移りました。
「アリサちゃん。渡ったよ」
「やった!」
広い影をはさんで、亜理紗ちゃんと知恵ちゃんは手を振り合います。知恵ちゃんは無事に先へと進めたので、次は亜理紗ちゃんです。筆箱を顔の高さに持ち上げたまま、落とし穴となっている広い影へと近づきます。
「……」
亜理紗ちゃんが影に歩み寄れば、筆箱に照り返した光は消えてしまいます。足を戻せば光の橋は復活しますが、それでは渡ることができません。亜理紗ちゃんは筆箱のフタを閉じると、影の向こうにいる知恵ちゃんへと残念そうな声で呼びかけました。
「私は、もうダメだ……先に帰って」
「え……」
知恵ちゃんのランドセルの中には、光を反射できるものは入っていません。亜理紗ちゃんを助けなくては、このままでは陽がくれてしまいます。
「……待ってて。なにか、探してくるから」
「ちーちゃん……」
知恵ちゃんは亜理紗ちゃんを残して、急ぎ足ながら1人で家に帰ります。それは、光の反射するものを探すためです。ランドセルも下ろさずにお母さんを探して、光の橋を作るのにに使えそうなものを教えてもらいます。
「知恵。これでいい?」
「これ、貸して!」
「割らないように気をつけるんだよ」
それはお母さんの手鏡です。鏡は知恵ちゃんの顔ほども大きさがあって、これなら亜理紗ちゃんを助けられるはず。一刻も早く亜理紗ちゃんの元へ戻ろうと、知恵ちゃんはクツのカカトもキチンとはかないまま、鏡を胸に抱きしめて家を出ました。
「……あれ?」
「あ……ちーちゃん」
家を出ると、そこには亜理紗ちゃんが待っていました。ちゃんとランドセルも背負っていましたし、何かを犠牲にして帰ってきた様子もありません。どうやって影を渡ってきたのか。知恵ちゃんは無言で問いかけます。
「……?」
「なんか、影の横の方が光になったから、歩いてきた」
「……そうなの?」
影に切れ目が出来た事で、亜理紗ちゃんも無事に帰宅しました。落とし穴ゲームを終え、亜理紗ちゃんと知恵ちゃんは家の前にしゃがみこみます。持ってきた手鏡を布袋から出して、知恵ちゃんは光を反射させてみます。もう影は落とし穴ではなくなっており、影に光を向ければ暗い地面があるばかりです。
「……ちーちゃん。貸して」
「うん」
亜理紗ちゃんは手鏡を借りて、それに光を反射させて遊んでいます。その後、鏡に知恵ちゃんの顔をうつしてみせました。知恵ちゃんは安堵ながらも、少しだけ涙目。知恵ちゃんの表情を見ながら、亜理紗ちゃんは嬉しそうに伝えました。
「ちーちゃん……ありがとうね」
「……うん。こっちこそ、ありがとう」
その77へ続く






