その75の1『磁石の話』
「ちーちゃんの家の冷蔵庫ってさ」
「……?」
今日は知恵ちゃんのお母さんがケーキを作ってくれていて、それをいただきに亜理紗ちゃんは家へとオジャマしています。ケーキは丸くて大きな形をしていて、真ん中にポカンと穴があいています。ちょっと緑がかった色と、ほのかで上品な香り。ドーナツよりもフワフワで、食パンよりももちもちです。舌触りは、しっとりとしています
「ちーちゃんの家の冷蔵庫って、なんかたくさん貼ってあるよね」
「そう?」
亜理紗ちゃんに言われてみれば、冷蔵庫にはマグネットを使ってメモがたくさん貼られています。ホワイトボードもくっついていて、そこにはマジックペンで日付やメッセージがつづられています。お父さんの描いた無骨な文字で、『今日は晩ご飯を食べてきます』と記入してありました。
冷蔵庫のドアにはりついた情報量は多くて気になるものの、知恵ちゃんはケーキを小さな口に入れるのに一生懸命です。亜理紗ちゃんもフォークでケーキを小さく切り、それでもなお大きいケーキを口へ運んでいました。
「どう?おいしい?」
「うん」
「おいしいです」
洗い物を終えたお母さんも自分用のケーキをお皿に乗せて、作って初めての味見をしてみます。ケーキの味付けは甘すぎず苦すぎず、ケーキには抹茶の味も、しっかりとしみこんでいます。不足ないできばえに納得しながら、お母さんはコーヒーカップを手にしました。
「ちーちゃんのお母さん。これ、なんっていうお菓子ですか?」
「シフォンケーキだよ」
ケーキの名前を聞き、亜理紗ちゃんは冷蔵庫に貼ってある紙の1枚を見つめます。冷蔵庫のドアには雑誌のページを切り抜いたものが貼られていて、食べているケーキと同じものが写真として載っています。写真のケーキは上に粉砂糖をふるってありますが、実際に食べているものには生クリームがデコレーションされていました。
「雑誌に作り方が書いてあったから、切って冷蔵庫にはっておいたんだよ」
「……そうなんですか」
亜理紗ちゃんはケーキの写真がついた切り抜きを見つめ、次第に目線をあげていきます。ニンジンをかたどったマグネットがレシピを押さえていて、そちらに亜理紗ちゃんの興味は移っています。
「ちーちゃん。あれって、どうやってくっついてるんだろう」
「あれ?」
「あの、紙をおさえてるの」
知恵ちゃんは亜理紗ちゃんより先にケーキを食べ終え、席を立って冷蔵庫の前に移動しました。マグネットに手をのばしてみます。磁石をはがせば雑誌の切り抜きは冷蔵庫から取れてしまい、マグネットも知恵ちゃんの手に入ります。磁石の裏側をさわってみますが、マグネットの裏側はベタベタしてはしません。
「……シールじゃない」
「ちーちゃん。シールだと思ってたんだ」
「それは磁石だよ」
お母さんに教えてもらって、磁石という言葉にも聞き覚えがありました。知恵ちゃんは何度も磁石をはりつけたり取ったり、はりつけたり取ったりを繰り返してみます。冷蔵庫に近づけてから手を離すと、ピッと磁石は自分から冷蔵庫のドアにくっついていきます。シフォンケーキを食べ終えて、亜理紗ちゃんも冷蔵庫の前に行きます。
「それ、なんで冷蔵庫にくっつくんだろう」
「う~ん……」
取った雑誌の切り抜きを、さっきと同じ場所に磁石でくっつけます。そのピタッと貼り付く様を見て、知恵ちゃんは適当な答えを導き出しました。
「磁石は冷蔵庫が好きなのかもしれない……」
「紙は?」
「紙は……そうでもなさそう」
その75の2へ続く






