その72の1『蜃気楼の話』
「ほんとだ。冷たくてキンキンだ」
「やっぱりビンだから冷たさが違う」
ある夏の日、知恵ちゃんは亜理紗ちゃんは駄菓子屋さんへとやってきていました。夏休みなので子どもたちが多く来ていて、店主のおばあさんの手が空いたのを見て2人はビンに入ったソーダを買いました。そのジュースは亜理紗ちゃんが以前に見つけたもので、美味しかったというお話を聞いて知恵ちゃんも試しに買ってみたところでした。
「……アリサちゃん。これ、飲んだらビンはどうするの?」
「お店に返すと、10円がもらえるの」
飲み終わったビンはお店に返すと、少しだけお金が返ってきます。なので持っては帰らず、お店の前の階段にしゃがみこんでソーダを飲んでいました。駄菓子屋さんの前は車どおりの少ない車道で、コンクリートから上がる熱は空気を揺らしています。冷たい飲み物は熱い体になじまず、ちょっとずつしか飲み込めません。
「……ちーちゃん。あれ、なんだろう」
「……?」
ぼやっとした熱い空気の中に、亜理紗ちゃんは何かを発見して指さします。ちょっと遠くにある十字路、家と家の間をぬって続く道路の向こうに、緑色の長いものが立っています。木でしょうか。でも、それは上から下まで全て緑色をしています。
「……解んないけど、サボテンじゃないの?」
「サボテンって、さばくにある木みたいなの?」
「うん……」
知恵ちゃんがサボテンだと言ったものは、ゆらゆらしていて遠目には正体がつかめません。目を細めつつも、ビンへと口をつけます。熱くなった頭を、ビンに入ったサイダーがスッと冷ましてくれます。すると、緑色の長いものは姿を消してしまいました。
「消えた……」
「……私、ちょっと見に行ってみる」
亜理紗ちゃんは立ち上がり、車が来ない場所を歩きながら、緑のものが立っていた場所へと近づいていきます。でも、何も見当たらなかったようで、5メートル進んだくらいで戻ってきました。
「何もなかった」
「あるわけないよ……サボテンなんて」
知恵ちゃんも亜理紗ちゃんも両親と街を歩くことはありますが、街中にサボテンが立っているのは見たことはありません。小さなハチ植えに入っているサボテンは知っていますが、砂漠に生えているような大きなものはイラストなどでしか知りません。
「……」
夏の暑さで体が汗ばんできます。ビンの中のソーダは半分ほど残っていて、ソーダの冷たさと外気の熱さで結露した水が、知恵ちゃんと亜理紗ちゃんの手をぬらしています。
「……ちーちゃん。あれ、見て」
「なに?」
さっきまでサボテンがあった場所に、今度はキラキラとしたものが浮かんで見えます。キラキラの中を車などが走り抜けていきます。知恵ちゃんは手で陽の光をさえぎって、街の中に何が現れたのかと探っています。
「……あれ、湖じゃない?」
「湖?」
またソーダを一口すると、キラキラしていたものは霧がはれるようにして消えてしまいました。念のために亜理紗ちゃんが立ち上がって見に行ってくれますが、やっぱり何も不思議なものはありませんでした。ゆっくりと戻ってきた亜理紗ちゃんは、知恵ちゃんの横にしゃがみこみます。
「あれも、まぼろしだった……」
「夏って不思議だ……」
様々なものが、夏の暑さに浮かされて出たり消えたりします。ビンの中のソーダは3分の1ほど残っていて、もったいなさそうに2人は口へと流し込んでいます。すると、もっと他の物も出てくるのではと考え、亜理紗ちゃんはビンを両手で持って祈りのポーズをとりました。
「ちーちゃん。次、なにが出てきてほしい?」
「私は別にないけど……」
「じゃあ……アイスクリーム……アイスクリーム出てきて」
「街にアイスが出てきても困ると思うの……」
その72の2へ続く






