その65の2『ワカメの話』
増やすという日常生活では聞きなれない言葉に疑問を抱き、知恵ちゃんは水にひたされたワカメをじっと見つめていました。クシャクシャだった黒っぽいものは水を吸って増え始め、水をはった入れ物いっぱいになっていきます。たじろぎながらも、知恵ちゃんはワカメから目をそらします。
「おばけだ……おばけワカメだ」
「おばけじゃないよ。ただのワカメ」
「お母さん……ワカメってなんなの?」
「海の草じゃない?」
海のどこに草が生えているのかは解らずとも、ひとまずカメさんではない事が知れて知恵ちゃんは安心しました。そこへインターホンの音が鳴り、お母さんがぬれた手を拭いて玄関へと走っていきます。知恵ちゃんも亜理紗ちゃんが来たのだと考え、ランドセルを持ったままお母さんについてきました。
「おじゃまします。あれ……ちーちゃん、まだランドセル持ってるの?」
「うん。ワカメを見てたの」
知恵ちゃんは亜理紗ちゃんと一緒に自分の部屋に行き、キッチンで見たワカメのことを亜理紗ちゃんに話します。
「水に入れたら、ワカメが増えたの」
「ワカメって増えるんだ!」
増えるという事実に加えて、知恵ちゃんは海の草だということも伝えます。すると、亜理紗ちゃんは知恵ちゃんの部屋にある本だなから、青い表紙の絵本を指で探し出しました。
「ちーちゃん。これ、出していい?」
「うん」
亜理紗ちゃんは知恵ちゃんに断りを入れて、本だなから絵本を引き抜きました。海を舞台とした絵本には海中の絵も載っており、海の底にはヒョロヒョロとした草が描いてありました。食べ物として見ていたワカメと、海の底にある草が同一のものであると気づき、知恵ちゃんは納得した様子で絵本を見つめます。
「そっか。これがワカメだ」
「これがワカメだったら、きっと増えてるところだ」
「え……」
水に入れると増えるとなれば、海の中に生えているワカメは増えている途中のはず。そう亜理紗ちゃんに言われて、知恵ちゃんも考えをめぐらせます。しかし、海の中にいるワカメが増え続ければ、いつか海の底はワカメだらけになってしまいます。それを知恵ちゃんは心配していました。
「いつか海の底が、びっしりワカメになる」
「大変だ……」
でも、絵本の絵に描かれているワカメは3本程度で、海の底を埋め尽くすくらいには増えておりません。そこで、亜理紗ちゃんがワカメに関する別の説を取り出しました。
「ワカメは増えすぎるとダメだから、遠慮してるんじゃないの?」
「ワカメって遠慮するの?」
「お魚に遠慮しながら増える」
増えすぎるとお魚が困るので、ワカメは遠慮して適度に増えていると亜理紗ちゃんは考察します。すると、段々とワカメが良い草のように感じられますが、草なので意思があるのかないのかは解りません。こうして話をしていても解らずじまいなので、知恵ちゃんは台所のワカメを見物に行こうと提案しました。
「……お母さん。アリサちゃんとワカメ見ていい?」
「いいけど、火には近づいちゃダメだよ」
お母さんの許可を得て、亜理紗ちゃんと知恵ちゃんはキッチンに入れてもらいます。しかし、水にひたされていたワカメはなくなっていて、増えたワカメの行き先を知恵ちゃんはお母さんに尋ねました。お母さんはコンロの火を止めて、おなべの中を見せてくれました。
「はい。ワカメ」
湯気の立っているおなべの中には、おみそ汁が出来上がっています。そのところどころに、黒いワカメが浮かんでいるのを、知恵ちゃんと亜理紗ちゃんは目の当たりとしました。煮込まれたワカメは、もう増えてはいきません。ただ無気力に揺れているだけです。
「ダメだ。ちーちゃん……このワカメ、もう生きてない」
その65の3へ続く






