その64『万華鏡の話』
夜から明け方にかけて雨が降り、通学路には大きな水たまりが広がっています。亜理紗ちゃんは傘の先で水たまりをつついて、水に波を立てて遊んでいます。
「ちーちゃん。空が揺れてる」
「ほんとだ」
水たまりには晴れた空が映り、それが水の揺れに乱されて揺れています。知恵ちゃんは空へと視線を移しますが、もちろん空は揺れてはおりません。散らばった雲と、まぶしい太陽が、水たまりと鏡映しになっています。
「あ……ちーちゃんがいた」
亜理紗ちゃんは水たまりの中に知恵ちゃんを見つけ、うすぐらく映っている知恵ちゃんの姿を指さしました。そんな亜理紗ちゃんの表情も仕草も、そっくり水たまりの表面に映っています。すぐ隣に亜理紗ちゃんはいるのに、知恵ちゃんは水たまりの中に映る亜理紗ちゃんをのぞいています。
「ちーちゃん。あっちの水たまりも大きい」
道の先には更に大きな水たまりがあり、そちらへ亜理紗ちゃんは長くつで入っていきます。全身が水たまりに反射して映り、知恵ちゃんの目には亜理紗ちゃんの姿が上下に逆さまに映っています。知恵ちゃんも水たまりへと足をつけ、すると空と電線、自分たちが水たまりの奥に見えて、まるで空に立っているようでした。
それからも通学路の水たまりで遊びながら、2人は学校まで歩いていきます。授業中にも雨は降らず、学校帰りには水たまりも乾いて小さくなっていました。でも、木の下にかくれた水たまりだけは変わりなく残っていて、それを亜理紗ちゃんは、まじまじと見つめています。
「あめんぼがいる」
「……虫?」
亜理紗ちゃんは水たまりにいるアメンボを見つけ、その泳ぐ姿を目で追っています。虫が苦手な知恵ちゃんも、あまりアメンボは見た事がなかったので、水の上に立つ波紋を遠目に観察していました。
「……あれ?」
アメンボの泳いでいる水たまりには、亜理紗ちゃんと知恵ちゃんの姿が映っています。その横に、もう1人の亜理紗ちゃんと知恵ちゃんが現れました。水たまりの中に現れた亜理紗ちゃんは傘で水たまりをつっついて、波を立てて遊んだ後に横切って消えていきました。
「……?」
知恵ちゃんは横にいる亜理紗ちゃんへと顔を向けます。でも、やっぱり亜理紗ちゃんは1人しかいませんし、知恵ちゃんも1人しかおりません。亜理紗ちゃんにも水たまりの中の自分が見えたようで、やや体をかがめて水たまりに顔を近づけ、消えていった自分の姿を目で追いかけています。
「……今、私がいた?」
「いた」
「どこに行ったのかな」
「……学校?」
朝、この水たまりを亜理紗ちゃんが傘でつついていたのを思い出し、知恵ちゃんは登校中の自分たちが映り込んだのだろうと考えます。その後は水たまりを見ていても、アメンボが優雅に泳いでいるだけです。まだ亜理紗ちゃんは水たまりを気にしているようですが、外は陽炎が立つほどの熱さなので、早く家に帰ろうと知恵ちゃんはうながしました。
次の日の朝、道はキレイにかわいていましたが、木の下にある水たまりだけは小さくなりながらも、水を残していました。亜理紗ちゃんが水たまりを見下ろし、せまい水面に自分の顔を映しています。
「……あ」
またしても水面には2人目の亜理紗ちゃんたちが現れ、亜理紗ちゃんは水たまりを傘の先で水面をいじって去っていきます。それからしばらくして、今度は別の亜理紗ちゃんと知恵ちゃんが逆の方向から歩いてきました。その知恵ちゃんはアメンボを見ている様子で、数歩だけ引いた場所から水たまりに視線を落しています。
「あ……行っちゃう」
水たまりの中の亜理紗ちゃんは屈みこみ、念入りに水たまりを目視していましたが、渋々ながらといった仕草で水たまりから去っていきました。それを見届けて、知恵ちゃんは映っていたのが、昨日の朝の自分たちと、昨日の帰り道の自分たちだと想像します。
「昨日の私たちだ」
「……今日の帰りも見えるかな?」
「今日の帰りは……もう消えちゃうんじゃないの?」
今日の下校時刻には、きっと水たまりは消えてなくなってしまいます。もう過去の自分を見ることもありません。でも、知恵ちゃんは通学路を振り返り、春も夏も秋も冬も、亜理紗ちゃんと何百回、千回以上もも通った道と、その記憶に思いをはせてみます。そして、再び学校へと続いている道の先を見つめました。
「学校、行こう。アリサちゃん」
「うん」
その65へ続く






