その56の5『永遠の夜の話』
お母さんにいれてもらったホットミルクは熱く、少しだけお砂糖の甘みが含まれていました。熱さで体が温まる代わり、一度に多くを口に入れると舌が焼けてしまいそうです。動き続ける時計の針へと目をやりつつ、知恵ちゃんとお母さんはマグカップへと口をつけます。
「知恵。眠れないの?」
「うん……寝たけど起きたの」
「夢でも見た?」
「寝た夢だったかもしれない……」
そんな現実味のない会話を2人でしている内、居眠りしていたお父さんはソファから立ち上がりました。
「う~ん……あれ?知恵、起きたの?」
「寝たけど起きちゃったの……」
「お父さんは、もうベッドで寝るよ。おやすみ」
「おやすみ」
いつもは知恵ちゃんの方が先に眠ってしまうので、眠りに行くお父さんを見送ることはあまりありません。飲み物がなくなってしまえば、お母さんも同様に寝室へと行ってしまいます。テレビの音は騒がしく鳴っていますが、夜の静けさは深くなっていきます。
「……知恵。今日はお母さんと寝る?」
「……?」
この家ができて、自分の部屋をもらって、それから知恵ちゃんは1人で眠るようになりました。以来、さみしがりでもなく特に理由もなかった為、知恵ちゃんもお母さんたちと寝たいとは言いませんでした。ホットミルクを口に含んで、少し視線を下げて、知恵ちゃんは聞き返します。
「……いいの?」
「たまにはいいでしょ」
知恵ちゃんとお母さんはタイミングをあわせるようにしてマグカップを空にし、犬のモモコのお世話などを終えるとリビングをあとにしました。知恵ちゃんは再び歯みがきをして、自分の部屋から湯たんぽを持ってきます。普段は入ることのない両親の寝室のドアを開き、スタンドライトのぼんやりとした光を頼りにお母さんを探します。
「部屋の電気とか大丈夫?」
「うん。消してきた」
お父さんとお母さんのベッドは2人用の大きいもので、すでにお父さんはベッドへ横になっています。知恵ちゃんとお母さんの声を聞いて、お父さんはフトンから顔をのぞかせました。
「……あれ?知恵。こっちで寝るの?」
「うん」
「そうかそうか……」
部屋から持ってきた湯たんぽは温度を保っていましたが、お父さんとお母さんのいるベッドでは必要ないと考え、近くのイスの上に置きました。知恵ちゃんはお父さんとお母さんの間に入って、お湯ではない人の温かみを触れて確かめます。お母さんはライトの光を弱め、ふとんをかけながら知恵ちゃんに肩でよりそいました。
「お母さんが知恵くらいの歳の頃は、一人で寝られなかったんだよ」
「……そうなの?」
「暗いのも苦手だったし」
小さく短い会話を終え、知恵ちゃんは目を閉じました。家の外では雨の音がしています。近くにある時計の秒針の動く音も聞こえます。まぶたの向こうには薄明かりが透け、懐かしいにおいのする毛布とフトン、お母さんとお父さんの息づかいや、服越しに伝わる感触があります。
「……お母さん」
「お母さん。知恵が寝るまで起きてるから」
お父さんは寝息を立てています。知恵ちゃんが目を開くと、お母さんは優しい声で伝えました。きっと、眠りについてしまえば、この時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。でも、知恵ちゃんが心置きなく眠れるまで、お母さんも、この夜も、ずっと待っていてくれます。
「……私、もう眠れそう」
「うん。おやすみなさい」
この安心した時間が、ずっと続けばいいとしながらも、でも自然と意識は薄れていきます。知恵ちゃんは名残惜しむように、愛おしくも過ぎ去る時の中で、ゆっくりと眠りにつきました。
その57へ続く






