その10の3『勉強の話』
いつしか、2人が入ってきた迷路への入り口はふさがっていました。でも、迷路の壁はゆっくりと地面へ沈み始めていて、天井の薄闇を通して空の色も透けて見えます。このまま待っていても迷路は姿を消す様子でしたが、亜理紗ちゃんは知恵ちゃんに迷路で遊ぼうと誘いました。
「ちーちゃん。迷路がなくなる前に出よう」
「迷路がなくなったら出られるのに?」
「でも、迷路がなくなる……」
亜理紗ちゃんが迷路に興味を見せるので、仕方なく知恵ちゃんは迷路を進む事にしました。よく見ると壁には模様が描かれていて、それは曲がり角を境にして別の模様へと変化していました。
「ちーちゃん。分かれ道だ」
「どうしよう」
「じゃあ、ちーちゃんが右に行って」
「一緒に行こう……」
二手に分かれたがる亜理紗ちゃんの袖をつかんで、同じ道を行こうと知恵ちゃんが引き止めます。そこで、知恵ちゃんは別の作戦を取り出しました。
「迷路は壁に手をつけて進んでいけば出られるって聞いたことある」
「どっちの手?」
「……わすれた」
「じゃあ、右の道に行く」
知恵ちゃんの作戦が役に立たなかったので、亜理紗ちゃんの提案で2人は右の道へと進みました。亜理紗ちゃんは壁の模様をずっと見つめながら歩いていて、また模様が変わったことに気がつきました。
「魚の模様になった」
「さっきのは?」
「おそばの模様」
魚の模様をたどっていきます。その内、また三つに分かれた道があり、今度は左の道を選んで進みました。
「ちーちゃん。ここは模様がないけど」
模様がない道の壁に手をついて、亜理紗ちゃんが前を歩きます。どこからかズズズ……ズズズ……と石の擦れる音が聞こえます。次の曲がり角には右への道はなく、真っ直ぐと左折の道がありました。
「ちーちゃん。どっちに行く?」
「左に行ったら戻っちゃうんじゃないの?」
「まっすぐに進む?」
「うん」
真っ直ぐの道を進んでいきますが、その先の曲がり角を進むと行き止まりがありました。仕方なく2人は元来た通路を戻り、さっきは選ばなかった道を行きます。
「……あれ?」
「アリサちゃん。どうしたの?」
「……また魚の模様だ」
「同じ模様の道もあるんじゃないの?」
そう言って知恵ちゃんは壁の模様を確認します。そこには亜理紗ちゃんが触った指のあとが残っていて、さっき歩いた道であることが印されていました。
「アリサちゃん……戻ってきたの?」
「そうかなぁ」
土で黒くなった指をはらいながら、亜理紗ちゃんは知恵ちゃんの質問に首をかしげていました。それからも2人は歩き続けましたが、いくら歩いても同じ模様の壁が繰り返し現れました。10分ほども歩くと、すでに壁は2人が手を伸ばせば届く高さまで下がっていて、知恵ちゃんは疲れたようにしゃがみこんでしまいました。
「もう出られないよ。待とう」
「もうちょっとだから歩きたい……ちーちゃん。がんばって」
「……」
亜理紗ちゃんが差し出した手を見つめて、知恵ちゃんは指先で感触を確かめるようにして亜理紗ちゃんの手をにぎりました。手をつないだまま2人が歩き出すと、次の曲がり角の先で呆気なく迷路は終わっていて、壁に空いた出口には夕日の色が見えていました。
「ちーちゃん。出口!」
「ほんとだ」
亜理紗ちゃんは光が見える壁の穴を指さし、ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねながら迷路を抜けていきました。知恵ちゃんも亜理紗ちゃんを追いかけようとしましたが、ふと思い返して迷路へと振り向きました。
知恵ちゃんが振り返った時には、もう迷路の壁は足元の高さまで下がっていました。そのところどころで、壁は迷路を作りかえるように動作していて、知恵ちゃんには広く見えていた迷路も実際は体育館ほどの広さしかありませんでした。それを知って知恵ちゃんは悩ましい顔をしました。
迷路のある空間を抜けると、そこは神社の入り口でした。もう真っ赤な夕陽が山の上に浮かんでいます。2人は今は消えてしまった迷路の出口を見返した後、家へと続く道路を歩き始めました。
「アリサちゃん……あれ、なんだったんだろう」
「迷路?」
「うん」
神社へ向かう時にはいなかった犬が、今は犬小屋の前で姿勢を正しくして伏せています。そちらを見ながら、亜理紗ちゃんは疲れて眠そうな様子で言いました。
「ちーちゃんと遊びたかったんじゃないの?迷路」
「迷路が?」
「うん」
「……それって、へんなの」
家へ帰ると、知恵ちゃんは亜理紗ちゃんと家の前でお別れをし、自分の部屋のテーブルに広げてある宿題の問題へと目を向けました。
ほとんどの問題はあっていましたが、一つだけ数字の見間違いがありました。それを消しゴムで消してなおすと、丁寧に二つに折って知恵ちゃんはプリントをランドセルへとしまいました。
その11へ続く






