その38の4『水槽の話』
壁や窓、屋根に当たる雨音を聞きながら、知恵ちゃんは自分の部屋へと戻りました。まだ夜まで時間はあるのですが、もう足元が見えないくらい外は暗くなっていて、知恵ちゃんは部屋の電気をつけました。室内の照明をつけると、窓に光が反射して外が見えません。そこで、知恵ちゃんは閉じたカーテンの隙間から家の前の様子をながめました。
空から落ちる雨粒は尾を引いて道路を叩き、パチパチと音を立てています。遠くの車道に見える信号機の光が淡くぼやけ、薄暗い景色の中で赤や青のライトを揺らしています。時々、通りかかった車のヘッドライトが雨に乱反射し、窓の外に細やかな光が散りばめられます。
「……」
隣の家の車庫から亜理紗ちゃんのお母さんが出てきて、シャッターを閉めると玄関へと走っていきました。雨の水は降っても降っても側溝へと流れていき、まだまだ道路が水浸しになる気配はありません。知恵ちゃんは少し眠そうに頬杖をついたまま、ベッドの上から雨の経過を見守っています。
雨水が屋根から流れ落ち、たまに窓ガラスに当たって弾けます。風が強くなってきたようで、雨に塗れた窓はすりガラスのように景色を隠します。ふと、知恵ちゃんは目の前で何か、大きなものが動いたのを感じ、半分しか開いていない目を上に向けました。
「……あ」
窓の外には不自然に雨水が集まっていて、その水のカタマリの中を何かが泳いでいます。ガラスについている曇りを手でぬぐい取ると、知恵ちゃんはヒザを立てて背中をのばし、泳いでいるものの姿をうかがいました。
「……」
それはお魚のような姿をしていますが、体の表面には骨のような外殻がついています。体を左右に揺らして尾を振ると、その生き物は雨の中を泳いで姿を消していきました。そのお魚を追って、今度は小さな魚の群れが窓の外を通り、その半透明な肌に部屋の光を受けて輝きました。まるで豆電球が泳いでいるような光景を見て、知恵ちゃんは雨の奥へと視線を向けていました。
車が道を通り過ぎていきます。その走行音を聞いて、小さなお魚の群れはバラバラに逃げていきました。また何か泳いで来ないかと、知恵ちゃんは窓の外にある水の中を見つめます。お魚ではなく、たまに金色の小さな石や、虹色の植物が流されていきます。もう少し姿勢をのばして、知恵ちゃんは窓におでこをくっつけました。
「……?」
雨雲の向こうから届いていた弱い光が消え、外が一気に暗さを増します。どうしたのかと知恵ちゃんが顔を家の上に向けると、そこにはクジラのような大きなお魚が浮かんでいました。おごそかに、優雅にヒレを動かし、それは重そうな動きで空を横切っていきます。クジラが知恵ちゃんの家の近くを通った瞬間、雨の勢いが一気に増して、窓の外にあった水のカタマリが吹き飛びました。
「……あれ?」
窓の外で起こった水のしぶきに驚いて、知恵ちゃんが瞳を閉じます。目を開いても雨は降り続いていますが、でももうお魚の姿は1つも見られません。道路には大量の雨粒が浮かんでは消えますが、まだまだ水が側溝からあふれる様子もありません。そこへ、黒い車が通りかかり、知恵ちゃんの家の前で停止しました。
「お父さんだ」
無事、家の前の道路が洪水になるより早く、知恵ちゃんのお父さんが帰宅しました。お父さんのお迎えする為、知恵ちゃんはカーテンを閉めて部屋の電気を消すと、急いで部屋から出ていきました。
その39へ続く






