その38の3『水槽の話』
これだけ雨が降り続いていると、帰ってから2人で遊ぶのというのも考えもので、今日のところは2人とも家で静かに過ごす事に決めました。屋根の下で傘をたたんで、パタパタと揺らしている知恵ちゃんの横で、亜理紗ちゃんは屋根からしたたり落ちる雨水を傘で受け止めていました。
「ここ、すごい」
「どれ?」
屋根を流れ落ちた水が傘に当たり、ぼたぼたと音を立てています。傘から流れ落ちてくる雨水も相当な量で、まるで傘のてっぺんから水が湧き出ているようです。亜理紗ちゃんと知恵ちゃんは一緒の傘の下に入り、生き物のようにビニールの上を流れている水滴の行方を見つめます。
「アリサ。なにしてるの?」
「あ、お母さん」
玄関から出てきた亜理紗ちゃんのお母さんが、傘で遊んでいる2人を見つけて声をかけます。亜理紗ちゃんは知恵ちゃんが濡れないように玄関ドアまで送ると、手を振って自分の家へと帰っていきました。亜理紗ちゃんのお母さんは何か取りに行くらしく、そのまま車庫を開けて入っていきます。知恵ちゃんも傘の水をもう一度だけ切ってから、家の玄関のドアを開きました。
「ただいま」
「おかえり。家の前、大丈夫だった?」
「大丈夫だけど、なんで?」
知恵ちゃんのお母さんはキッチンでカレーを作っていて、リビングに入ると油ののった甘い香りが届きます。お母さんが家の前の何を心配しているのか解らず、知恵ちゃんは少し濡れたくつしたを脱ぎながら質問を返しました。
「あんまり雨が降ると、家の前が少し洪水になるからね。さっき見たら大丈夫そうだったけど、今はどうなってるかなって」
「洪水になるの?」
「ちょっとした洪水だけどね」
亜理紗ちゃんの話を冗談半分で聞いていた知恵ちゃんは、家の近くが水びたしになると聞いて驚いていました。洪水の様子を想像しながら、知恵ちゃんは湿った手を寒そうにこすりあわせています。
「知恵。シャワーあびる?」
「まだいいよ」
「くず湯、入れてあげようか?」
「うん」
知恵ちゃんが自分の部屋にランドセルを置いて、手洗いうがいをしてリビングへと戻ると、もう湯沸かし器はお湯の準備を完了させていました。知恵ちゃんは、くず湯の入ったマグカップをお母さんからもらいます。
マグカップに入っているくず湯は抹茶色をしていて、スプーンでかきまぜると粉のカタマリがほどけます。それをスプーンで口へ運ぶと、お砂糖の甘さと、まったりとした温かさが口の中に残りました。
「おいしい」
「よかった。きっと、お父さんも早めに帰ってくると思うよ」
「そうなの?」
あまりの雨なので、お父さんも早めに帰宅すると知恵ちゃんはお母さんから聞きました。すると、知恵ちゃんは飲み終わったマグカップを水ですすぎ、これからの自分の任務をお母さんに伝えました。
「洪水にならないように、お父さんが帰ってくるまで部屋から見張る」
「そう?もし洪水になったら、お母さんに教えてね」
そう言われ、知恵ちゃんはリビングを出ていきました。それから、すぐに戻ってきて、少しドキドキした表情でお母さんに尋ねました。
「……どのくらいの水になったら洪水なの?」
「……多分、期待してるほど危なくはならないよ」
その38の4へ続く






