その8の1『風邪の話』
「今日は風邪だから、亜理紗のことは気にせず学校に行ってね」
ある朝、亜理紗ちゃんのお母さんが知恵ちゃんの家に来て、今日は一緒に学校へ行けないと教えてくれました。知恵ちゃんは一年に3度ほど風邪をひきますが、亜理紗ちゃんは元気ではない日を探す方が難しいので、これには知恵ちゃんも困惑の色を隠せません。
「行ってきます」
「気をつけていってらっしゃい」
今日は珍しく、知恵ちゃん一人での登校です。登下校時、亜理紗ちゃんと知恵ちゃんは大した会話をするわけではありませんでしたが、一人で歩く通学路は知恵ちゃんにとって長く感じるものでした。
いつもは立ち止まって観察する近所のゴールデンレトリーバーにも近づかず、たんぽぽの綿毛を飛ばすでもなく、でも大きな虫にだけは気をつけて学校へ向かいます。
「チエきち!」
「なに?」
「今日、うちに来ない?」
「亜理紗ちゃんが風邪を引いたからダメ」
亜理紗ちゃんが風邪をひいたことを話すと、凛ちゃんは尚のこと面白そうに続けます。
「私も三日前に風邪だったけど」
「……うん」
あまり凛ちゃんの心配をしなかったことには返す言葉もなく、学校では知恵ちゃんもされるがままにされていましたが、やはり凛ちゃんの家には遊びに行かず、放課後は速やかに帰宅しました。
「お母さん」
「んん?なに?」
「亜理紗ちゃんのお見舞いに行っていい?」
「じゃあ、何か買いに行こうか?」
知恵ちゃんはお母さんと一緒に近くのスーパーへ買い物に行きました。知恵ちゃんがリンゴを6個も買おうとするので、お母さんはリンゴを半分にしてイチゴに変えるよう言いました。
「お母さん。これ」
「いいのよ」
「私が払う」
「いいのに」
知恵ちゃんの月のお小遣いは千五百円です。それしかないのに、お母さんに千円を渡してお会計してもらいたがります。こうなると知恵ちゃんは言っても聞かないので、仕方なくお母さんは果物の分のお金を受け取りました。
「あ、当たりレシートだ」
「当たり?」
「亜理紗ちゃんにあげたい」
「金額が書いてあるからやめておこう」
お母さんのもらったレシートには、いつもと違う赤い線が入っています。これを亜理紗ちゃんは当たりレシートと呼んでいましたが、赤い線があるからといって何かもらえるわけではありません。なぜ赤い線が入っているのか、それも知恵ちゃんは未だに知りませんでした。
当たりレシートをポケットに入れ、果物の入ったビニール袋を重そうに持って、知恵ちゃんはお母さんと一緒に家へ帰りました。すぐさま、果物を抱えて隣の亜理紗ちゃんの家に行くと、玄関先で亜理紗ちゃんのお母さんが出迎えてくれました。
「わざわざ、ありがとうね。でも、うつしちゃうから、会わせてあげられないよ」
「そうですね。亜理紗ちゃん、お大事にどうぞ。知恵、帰りますよ」
「わかりました……」
知恵ちゃんは家に帰ると、普段と同じくお母さんの作ったご飯を食べて、温かいお風呂に入って、お父さんと一緒にテレビを見ました。そして、夜は自室のベッドに寝転んで天井を見つめます。
「……う~ん」
今日という日は何もなかったわけではありませんでしたが、亜理紗ちゃんがいない知恵ちゃんの一日は平坦なものでした。明日は亜理紗ちゃんが元気になってることを祈りながら、知恵ちゃんは当たりレシートとキーホルダーの石を握ったまま眠ってしまいました。
つづく






