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義民の末裔 その七  作者: 三坂淳一
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義民の末裔 その七

「城方のヒーローは赤井喜兵衛か」

 私の言葉に、佐藤が頷いた。私は続けた。

 「でも、よく分からないこともある。赤井喜兵衛という人物のことだが。この一揆の時、赤井は既に七十三という当時としては高齢も高齢、老人だぜ。普通なら、隠居して、日向ぼっこしながら、孫をあやしている齢だよ。そして、分からないのは、或る文書に依れば、隠居していた、と書いてあるし、また、或る文書に依れば、一揆鎮圧の功により、銀五枚を褒美として貰い、且つ、家督相続が許され、隼之助という倅に譲り、自分は隠居した、というふうに書かれているし、実際、どうであったか、皆目判らない」

 佐藤も首を傾げながら言った。

 「確かに、武藤の言う通り、よく判らないね。一旦、隠居したら、このような表向きの役目には就かないものだと思うし、隠居してないとしても、隼之助という倅が居るのに、七十三歳になっても家督相続が認められていなかったというのも変だねえ」

 「しかし、江戸に行っている間、妻子を人質にするとか、願いが聞き届けられなければ、お前たちに申し訳がない、潔く切腹する、といった、いかにも硬骨の武士らしい誠意を見せた赤井を全面的に信頼し、その後、江戸からの回答を待たずに、滞っていた年貢の納入を開始したとか、城の囲みを解いて、農民たちを村に帰してしまった、というのは、いかにもまずい対応だったと思う」

 私の疑問に、佐藤は少し皮肉っぽく微笑みながら、答えた。

 「そう言われても仕方がないなあ。武左衛門さん、長次兵衛さん始め、一揆の頭取は若者名主が多かったというから、まあ、世間知らずの良家のお坊ちゃんだったかも知れないね。赤井の個人的な魅力、頑固だが嘘を吐くような人間ではない、十分信頼に足る人物であると、ひと目惚れでもしたんじゃないか。それとも、無我夢中で一揆を始めたものの、乱暴狼藉を働く一部の百姓の行動に恐れをなしたか、或いは、予想を遥かに越える一揆の経過に恐れをなしたとか、早めに何とか終わりにしたかったのかも知れない。そこに、時の氏神として、誠意溢れる赤井喜兵衛さんが現われた」

 私たちはお互い、顔を見合わせ、笑いあった。いかにも、世間ずれしていない若者、ということを前提にした話が解り易く思われたからだった。

 「でも、永牢から十一年振りに救出された喜惣治さんはこれら一揆頭取たちの決定に反対し、一揆を離れたということだよ。喜惣治さんから見たら、一揆の頭取たちは人を信用し過ぎる、お人好し過ぎる、お上はそれほど甘くはないよ、と思えたんだろうな。なにせ、名奉行と世評の高い大岡越前守忠相と雖も、畢竟は、幕藩体制保持の有能な官僚に過ぎないということを身をもって知っているわけだから。いざとなると、君子は豹変するものだ、とばかりに、裏切ってしまうのがお役人の習性であると思っていたんではなかろうか」


 江戸へ向けて勇躍出立した赤井喜兵衛を見送った一揆衆は、江戸からの回答は名兵衛方に寄宿している五名の頭取たちに任せ、里心でもついたのであろうか、三々五々それぞれの村に引き返し始めた。しかし、この一揆の勃発と共に、磐城平城に籠もった藩士たちは、百姓たちがこのように村に戻り始めた後も、依然として城に籠もり、城の守りをひたすら固め、藩士が城外に出ることも禁じていたのであった。しかし、問題が生じた。城中の米蔵に備蓄されていた兵糧米が底をつき始めたのである。その結果、【かくて二十七日迄籠城しける故、城中更に糧食なく、ああ、上として下の安寧を保つ能わず、あまつさえ武士の身として百姓共に取り囲まれ、飢えに苦しむこと前代未聞のことなり】(『岩城史』)というように、甚だ情けない話となり、急遽、隣藩の湯長谷藩に窮状を訴え、百俵の米を借用することによってその場をしのいだ、と伝わっている。

九月二十二日、赤井の言動に感激した、一揆の頭取たちは滞っていた年貢の納入を決め、この日、武左衛門と長次兵衛の二人が赤井の留守宅を尋ね、年貢の籾を明日以降、藩の蔵に納めることとします、とわざわざ申し出た次第となった。年貢納入は正式な回答があるまでは控えるべきであり、磐城平城包囲も解くべきではないとした喜惣治他の意見は取り入れられず、結局は、若くて純真な若者が多かった一揆の頭取たちが年長者の意見を聴かず、独走してしまった形となり、ここで、一揆衆の結束は崩れることとなってしまったのである。喜惣治は、この後、一揆を離れることとなる。失望したのであろう。


 佐藤が女にもてた話は前に話したが、私にとって忘れられないエピソードがある。

 秋も半ばを過ぎ、そろそろ冬支度を始める季節となっていた頃であった。私は、王子駅を降りて、佐藤のアパートに向かって歩いていた。行きがてら、少し腹が空いていたので、いつものラーメン屋で何か食べようかと思って、行ってみたら、あいにく、本日休業ということで、札がかかっていた。仕方が無いと思い、近くのスーパーでお握りを何個か買って、持って行った。佐藤の室をノックしたら、返事がない。留守かな、と思ったが、念のため、もう一回、ノックしながら、佐藤、居るかい、武藤だよ、と呼びかけた。室の中で、少し音がした。やれやれ、居るのかと思い、私は無駄足にならなかったことを喜び、安堵した。少し、待たせられたが、ドアが僅かに開き、佐藤が顔を覗かせた。服を着替えて出るから、少し待ってくれ、と言う。ちょっと、変だな、と思ったが、分かったよ、と言って私はドアから離れた。佐藤もドアを閉めようとした。その際、室の中が少し見えた。

女が居た。今日、寄ろうとしたラーメン屋の店員の女だった。

やがて、室から出てきた佐藤と一緒に、近くの喫茶店に行った。

 「すまなかった。君が今日、来るとは思わなかった」

 と、佐藤は気まずそうな顔で言った。

 「いいんだよ。気にするなよ。ふいにやって来た僕が悪いんだ。次は、電話をかけてから来ることとするよ」

 当時は、携帯電話も無く、また、学生の身分で黒電話を持っている学生もほとんど居なかった。電話は佐藤のアパートの大家さんにかけて、取り次いでもらうしか無かったのだ。

 コーヒーがきたので、飲みながら、暫く雑談したが、いつものようには話が盛り上がらなかった。お互い、少し気まずい思いで、その喫茶店の前で別れた。少し、歩いてから、振り返ると、佐藤が別れたところで立って、私を見ていた。佐藤は、振り返った私に向かって、手を上げた。佐藤が私に謝罪していると思った瞬間、鼻の奥がツーンとした。


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