第1話「純白」
人と関わることは嫌いだ。
変なトラブルに巻き込まれるのは面倒だし。巻き込まれ体質なのもあるが。
学校は嫌いじゃない。授業だって別に苦では無いし、人間関係も一定の距離を保ってはいるもののそれなりには出来ている。
だがどっちかと言うと一人でする事の方が好ましい。自分のペースで出来るし、他人に気を使わなくても良いからだ。
趣味は読書に料理に洗濯に。女子力高めだと言われるが、将来結婚した時に嫁さんを手伝えるしできて損はしないと思う。まぁ結婚してくれる相手なんて、居ないだろうが(笑)
なんて思っているうちに、そろそろ家を出なくてはならない。遅刻は好きじゃない。目立つからだ。
制服は学校指定の物だが、欠点を言えば生地が薄いので冬が厳しい、と言う所だろう。
母が作り置きしておいてくれた弁当をバッグにつめ、パンを齧りながら半ば慌ててバッグを背負い玄関へと向かう。姉は相変わらずの寝坊で、俺が家を出る時間に腹を掻きながら一階へ降りてくる。
大きなあくびを一回した後、寝ぼけて俺が見えないのか、俺を無視してリビングに向かう。
「あー、姉ちゃん?そこに母さんが作り置きしてったメシあっから、適当にチンして食べてくれ」
いつもの会話を済ませ、靴紐を縛る。
「んー、今日のおかずは、ふむふむ。肉に野菜にフルーツゼりー。変わんないねぇ~。もう飽きちゃったよ~」
そう言いながらも美味しそうに眺めているじゃん....と思いながらも靴紐を結び終え、玄関の扉を開いた。
「んじゃ行ってくる~」
そう言い残し、いつも見る道路のアスファルトを踏みしめ、通学路を歩いていく。
家から学校は徒歩15分。信号運があれば10分だが、悪ければ20分はかかる。
小さな住宅街の端にある水無月家宅は、2階建ての一軒家。
家の大きさの割に庭が広い。犬を庭に飼っていて、家を出るときに「いってらっしゃい」と声を掛けるように吠えてくれる。
学校帰りに通学路で犬が捨てられていたので家に持って帰ったら、家族みんなに懐き、その可愛さに家族が負け、こうして家で飼っている。
犬がいる犬小屋に立ち寄り、犬の頭をそっとひと撫でする。喜ぶようにワンワンと吠える。
「いつもお見送りありがとな」
感謝の一言を告げる。
そうして再び歩き始める。梅雨の時期を超え、初夏を目前とした日本は、少しずつ気温を上昇させていた。
朝の交差点には、出勤途中の車が殆どだ。交差点を超え、坂を上り、右往左往する。
そうして、学校にたどり着く。
校門を抜け、グラウンドを歩く。
昇降口には登校してきた生徒で溢れていた。一緒に登校してきた生徒同士の会話が聞こえてくる。
2年D組の23番ロッカーを開ける。
上履きを取り出し、履き替える。「水無月 徹」と書かれた名札を胸元につけた男子生徒は、教室へ歩き出す。
少しだけ、遅れてしまった。
登校時間には余裕で間に合っている。だがいつも来ている時間に、という意味だ。
ドアの前に立つと、教室内のざわめきが聞こえてくる。ドアに手をかけ、そっと横に引く。
徹は、上から落ちてくる物に気づけなかった。
頭に何かが直撃する。なんだ?と上を向いた瞬間、白い粉が宙を舞い、徹の全身に付着する。
ふと落ちた何かを見ると、それは黒板消しだった。そして、つまり俺は全身チョークの粉だらけ、と言う事になる。
前を向くと、見覚えのある男子生徒が、腹を抱えて笑っていた。
彼は須藤琉太。徹の親友であろう存在。
琉太は机で俯きながら笑いをこらえているようにプルプル増えている。
「ぷっ....ぷはははは!」
ついに抑えきれなくなったのか、大声で笑い始める。
なんだなんだと周りの生徒も俺を見て同じように腹を抱えて笑い出す。
「今まで何度も何度も我慢して来たが、今日という今日は許さないからな........!」
俺が大股で琉太に近づく。危険を察知した琉太は逃げるようにして距離をとる。
「お前逃げんなぁオイ待ちやがれぁぁ!!」
琉太は机を俺の追跡ルートを阻むようにしてずらすが、問答無用で机を踵で蹴り飛ばし追う。教室内には机や椅子が転がっている。カオスだ。
俺が蹴り飛ばした椅子や机に琉太がつまずき、わずかに逃げるスピードが遅くなる。
そこを見逃さなかった。俺は大きく踏み込むと琉太との距離を一気に縮める。
行ける、と思ったその刹那。
偶然、というか琉太が引き起こした必然の出来事かもしれない。
俺が大きく踏み込み距離を縮めた勢いで一人の女子生徒がバランスを崩して大きく後ろに倒れる。
全速力で駆ける俺の目に映ってしまったのだ。
女子生徒の太ももと太ももの間のスカートの下に存在する純白の布。
そう。パンティーだ。
それと同時に俺の頭が混乱に極まる。
女子のパンツパンツパンツパンツパンツパンツ。
それに気をとられ、机の脚に引っかかる。前のめりに思い切り転ぶ。頭を机の角に強打する。
俺は思わず悶絶する。
機を逃さなかった琉太は、ドアを思い切り開けると廊下へと姿を消す。
なおも俺は悶絶中で、頭も混乱していた。
痛い痛いぱんつ痛いパンツ痛いパンツパンツパンツ痛いパンツパンツパンツパンツ。
ホームルームの時間で担任が教室に来るまで、俺はその場で転がっていた。
南校舎の裏側に位置する裏山。そこまで大きい山ではないものの、山道が複雑で、すぐに迷ってしまいそうな山だ。
一年の夏。ちょうど約一年前。夏休みそうそう課題を終わし、特にする事がなかった徹は、
裏山を探検しに行った。山に入ってたかだか10分そこらで迷い、絶望に明け暮れながらも山を歩いていた。
日が落ちようとしていた頃。歩き回っていた徹は、小さな丘を見つけたのだ。
小さながらも、学校を含め町一帯を見られる絶景スポットで、それからという物暇さえあればその丘に行ったものだ。
今でも学校での唯一の憩いの場であり、学校の生徒の中でも知っているのは俺だけであろう。
朝早々ひどい仕打ちを受けた徹は萎えたのか、午後の授業をこの丘でサボろうとしていた。
昼休みが終わりそうな時間の校舎内は教室に戻り始めている生徒や、時間を気にせずに無我夢中でふざけている生徒もいる。(裏山でサボろうとしている生徒も一人いる。)
母の作り置きのサンドイッチを豪快にほおばると、口直しのレモンティーをがぶ飲みする。
腹も満杯になり眠くなったのか、腕を後ろで組みながら寝そべる。
耳を澄ませば、森の声が聞こえるようだった。
森のざわめき。葉が風に揺らされ、心地よい音が聞こえてくる。森に住む虫が動いているのか、カサカサと聞こえてくる。
森と一つになったみたいな感覚に駆られる。
ここでなら、いつまでもいられる。
徹は、闇へと堕ちていく意識の中で、朝見た純白の布を思い浮かべる。
このまま.....眠って.....しまい...たい...
そう思っていたその時。自然ならざる音が、耳に入る。
草を分け入る足音。誰かがここを見つけ、入ってくる。
何事だと後ろを振り向くと、そこには一人の女子生徒が立っていた。
「君、こんなところで何してるの?」
俺にそう問う。ここで授業をサボる、とも言えないため、なんと返答するか困る。
「もう昼休み終わっちゃうよ?そろそろ戻りなよ、ってすごーい!すごいいい景色。綺麗....」
彼女は丘から見える絶景に魅了され、俺の事なんか忘れて絶景に感無量。
今のうちにここから離れようか、とも考えたらそんなことをすればサボれなくなってしまう。
「裏山にこんな所があるなんて、知らなかったな~」
景色を見終え、こちらに視線を向ける。
「それで、こんないいところで何してるの?」
前言に「いい」を付け加え、再び俺に問う。
「あー、そうだな...暇つぶしだよ、暇つぶし。」
聞こえのいい返事を返すと、逆に俺が彼女に問う。
「逆にお前はこんな所になにしに来たんだよ」
そう聞くと平気な顔をして、
「午後の授業サボろうかなーって」
コイツもか!っていうか、良く平気な顔して言えんな....と心の中で呟く。
「どうせ君もサボりに来たんじゃないの~?」
図星を突かれてうっとリアクションすると、やはりかと言いたげな顔をする。
「ていうか、どうしてここを見つけんだよ」
わざわざ迷いやすい裏山に近づく生徒なんて俺以外に誰もいない。筈。
「パン買い終わって教室に戻ろうとしたら、外で歩いてた君をみたのよ。普通、外にでる生徒なんてグラウンドで何かするぐらいしかないのに、君はなぜかグラウンドとは逆方向に歩いて行ったから、どこに行ってるんだろう、と思ってついていったらここにたどり着いたのよ」
俺のしたことがやらかしたな......と罰が悪そうに呟く。
「でも、裏山にこんな所があるなんて、驚いたな~、よく見つけたね」
「俺はまぁ暇の権化と言える程暇だからな」
と答えると、彼女が微笑む。
「もうちょっと景色を楽しみたいところだけど、私、そろそろ行かないと。」
そう言うと、立ち上がり歩きだした。俺に見せつけるかのように、右腕につける腕輪をヒラヒラと揺らしながら森の奥へと消えていく。
腕輪には、「風紀活動」と書かれていた。つまり、いた。あの名も知らぬ女子生徒は。
「風紀委員....!」
彼女が本部にこの事を報告すれば、俺は風紀を乱す生徒として指導を受けるということだ。
「........はぁ.........]
深いため息をつきながら、奥に見える町を見る。
ビルは日の光が反射し輝いている。こんな時間帯でも、人通りは多い。
また面倒な事になったな、と思いながら、後ろに手を組み寝そべる。
そっと瞼を閉じると、急激に睡魔が俺を襲う。迫りくる睡魔に意識を任せながら、ふと思う。
ーあの女子生徒、すごい可愛かったな。
徹の意識は、暗い闇へと吸い込まれていった。
小さな丘に、静かな寝息が響いていた。
眠い。カフェイン必須。