会戦〜開戦〜
四日後、川を挟んで対峙し、敵を眺めたベルトゥーリア伯はティグリスの言った通りの展開にほくそ笑んだ。
「まったく、あやつにはどんな風に世界が見えているのやら。」
彼の側に一人の兵が駆け寄ってきた。
「全軍、戦闘準備整いました。いつでも攻撃可能です!」
「よろしい。では、待機だ。」
「は?」
ベルトゥーリアの言葉にその兵は訳が分からないとばかりに呆けた声を上げた。
「待機、にございますか?」
「そうだ。先手は敵に取らせよう。川を渡っている途中の敵に矢を射かけるだけで良い。楽に敵戦力を削れるぞ。」
辺りに居た貴族達もこの言葉には思わず異論を唱えた。
「ベルトゥーリア伯!敵の方が多いのですぞ!先手を取らせては我等に勝ち目はありませんぞ!」
「左様!敵に呑まれるがままにせよと仰るのか!」
「ただでさえあの平民出の・・・」
「平民出の、何かね?」
笑顔の中に明らかな怒りを込めた言葉にティグリスを罵倒しようとしていた貴族は口籠った。
「アウクェスがヴィクトゥーリア城を陥すまで堪えきれねば彼奴に笑われるぞ。たかが六千の兵力差など恐れるに足らん!
貴殿らが貴族としての矜持を示したければアウクェスが齎す機を待て。」
話は終わりだとばかりにベルトゥーリアは誰とも視線が合わせない様に敵陣へと視線を向けた。
そして貴族には聞こえない様な小さな声で、
「端から敵と正面対決するつもりが無いから川を挟んで着陣したと言うのに、こ奴ら阿呆しか居らんのか。」
と、呟いた。
川の対岸に着陣したモンダルシア帝国軍を見た多くの貴族は事前に伝え聞いた数より少ない敵を嘲笑した。
「怖れをなして兵が逃げ出したのだろう。」
それがフォルネア皇国軍の大半の考えであった。
一部、敵が迂回して後背から奇襲してくるのではないかと警戒して軍団の殿を守ろうと動く者も居たが、流石に大きく迂回して城攻めをやってくると考える程の軍事的才覚を持った人間は不幸にもただの一人も居なかった。
「父上、何故敵の数が減ったと思われますか?」
「分からぬ。安易に逃げ出したと考えるのは先皇の頃に勝ち過ぎた故の油断が齎した考えであろうからな。鵜呑みにはできん。」
先皇は戦好きと渾名される程軍事的才覚に富んだ人物だった。実際は戦が好きだったのではなく、王としてあるべき姿を先皇は戦の強弱という分かりやすい物に見ていただけなのだが、そんな父親に反発していた今の皇王がそんな事を推し量ってやる事は残念ながらできなかった様だ。
因みに、先皇の孫にあたる者の疑問に先皇ならば即座にこう答えたと考えられる。戦での采配にある程度の自信があった先皇は敵よりも僅かに多くなる一万六千で会戦に臨むと言い、兵四千をヴィクトゥーリア城に向けたであろう。
そして、父親に反発し、講話と平和を提唱していた元皇王アーネルデウス四世には戦地における後方拠点の重要さを今ひとつ正確に理解していなかったのだ。
それが彼の不運に繋がってしまった。
アーネルデウス四世は馬上から鼓舞を発した。
「先皇の齎した戦乱の賠償として領土を返還し、賠償金まで支払い、復興支援の為に資源までを提供してやった恩を忘れ我等が大地に足を踏み入れ愚か者共を国境の外まで追い払うのだ!
全軍、攻撃を開始せよ!」
川を挟んで対峙していたフォルネア皇国軍は先ず大型の盾を持った重装歩兵が進軍を開始した。
これは川の中を進む際に乗馬した騎士隊には矢雨を完全に防ぐ手立てが無い上に、馬の足が遅くなり敵の弓兵部隊の餌食になるのを嫌った為である。乱戦に持ち込んだ後、騎士隊は敵に決定的な一撃を入れる決戦戦力として温存したのである。まぁ、これはアーネルデウス四世の案ではなく、先皇の頃から従軍していた騎士隊の司令官の進言を受け入れただけなのだ。
司令官がその案を進言したのは自分や部下が無益に死ぬのを嫌ったのが一番の原因だが、兵数で勝る歩兵戦力が乱戦に持ち込めばそれだけでも勝てると油断があったからだ。これが後に手痛い損害となって彼等を襲う事になるのだった。