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亀谷高校の日常

秋色キャンバス

作者: 「裕」

上を見上げれば広がる晴天。

少し視線を落とすと、色づく銀杏並木。


今日も私の時間が始まった。

学校の外周軽くランニングし、ただ座っているだけの授業の後で少し冷たくなっていたカラダを、温める。

季節は秋。

厳しい残暑を終え、冷たい空気が漂う中、時折頬を撫でる風は季節の移り変わりを感じさせた。

鮮やかな、しかしどこか哀しげな雰囲気を醸しだす紅葉を眺めながら、冴え渡った青の絵の具を零したような空の下を、いつも通りのペースで走った。


三年生が引退し、部活は世代交代をした。だけど部長を任された訳でもない平部員の私は、それ以前となんら変わらぬ日常を繰り返していた。

インターハイではそれなりの成績を残せた。しかし、まだまだ上はたくさんいる。目標としている先輩の技の美しさにも到底たどり着いていない。

私をこの競技の虜にしたその男に、少しでも近づくため、否、超えるための術を身につけたい。

部員の誰よりも朝早く練習を始め、夜は家の周りをランニング。

誰よりも高く、誰よりも美しく。


バーを越えるため、目標を超えるための毎日。

そんな日々にいつしか私は、大切なものを忘れてきてしまったようだった。


抑揚のない、ただ跳ぶための生活に、ある時、大切なものを取り戻すきっかけをもたらしてくれたものが現れた。

職員玄関側の二階階段脇に飾られた、一枚の油絵。

職員や二、三年の生徒が毎日通る『一等地』に構えるそれは、どうやら美術部の一年部員が描いているらしかった。

けっして大きな作品ではない。

しかしそこには、私が追い求める美しさの答えがあるように感じた。切り取られた時間の中に私は、失っていた色彩を見た。


キャンバスには、イノチが宿っていた。


学校の風景を模したそれは、季節の移り変わりより少し遅れて、私の前に姿を現した。

秋色をしたキャンバス。

美しく、儚いそれに、私は恋をした。



それからというもの、私はよく空や木々、花たちを眺めるようになった。季節をカラダ全体で感じるようになった。そうしていると、己の求めているものに近づける気がしたのだ。

毎日のようにあの絵を眺めているうちに、それを描いている誰かにも、興味が湧いた。一年生の美術部員だということはキャンバス下のプレートに書かれているが、それ以外の情報は全くわからない。それに、絵を描いている姿が、どのようにしてあの絵が生まれたのか、知りたくなった。

私はこっそり、部活のない放課後に、美術部の部室を覗いてみることにした。


北校舎四階の西から三つ目の引き戸。そこに据えられたらガラス越しに見たのは、窓際にイーゼルを立て窓の外を眺める、眼鏡の少年だった。イーゼルに置いてある絵の画風からして、廊下の絵の描き手は彼であるらしかった。


彼はこの場所で、その魔法の指先からキャンバスに魂を吹き込んでいた。


私は彼のことを知っていた。同じ中学出身で図書委員会の後輩だった。余程に本が好きなのか、はたまた相当なお人好しなのか、彼は自分の当番の日以外もよく、貸し出しカウンターで文庫本を読んでいた。並んでカウンターに座ったこともあった。特別、何かを話したことがあると言う訳ではなったが、彼の隣は不思議と心地よかったのを憶えている。彼の隣で過ごす委員会当番を、私は意外と気に入っていた。



美術部部室で彼の座っていた席は、私がいつも部活をする場所から見える位置にあった。正確に言うと、彼の座っている位置からは、私のことがよく見えるだろう。四階にあるそこは光の関係で、窓は見えるが下からでは室内が見えない。

今日も彼はそこに座って、キャンバスいっぱいに季節を切り取っているのだろうか。

ふと、彼のいるであろう窓を見上げた。

いつかその魔法の指先で、私の時間を切り取ってはくれないだろうか。きっと彼なら、私の見せることのできる最高の瞬間をキャンバスに写しとってくれるであろう。


北校舎四階の魔法遣いに想いを馳せ、今日も私は舞う。

あのキャンバスにも描かれた、秋色の大空に向かって。




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