#7
「………え?」
たっぷり数秒の間を置いて、先輩がオレの言葉に反応した。
その表情はまるでオレに「実は先輩、オレ女なんです」と衝撃の告白でもされたかのようだ。
「だ、だって部長は私だし、大沼先生を説得するのだって…」
ああ、やっぱりそうだったんだ。
先輩は独りで背負って、独りで抱え込んで、独りで闘おうとしている。
「明日の大沼先生との話し合いは、部員全員で行きます」
提案ではなく、敢えて断定の形で、そしてなるべく優しい声で先輩に告げる。
オレのその言葉を聞いて、先輩の顔に悲しげな表情が浮かんだ。
「別に、『先輩が頼りないから』じゃないですよ?」
先輩がそういう反応をするだろうと予測していたオレは、微笑みながら先輩に向かって身を乗り出す。
モカのカップの上に覆い被さるような体勢になったせいか、コーヒーのいい香りがオレの鼻腔をくすぐった。
「先輩にきちんと部長としての役割を果たしてもらうためです」
先輩の顔が今度はキョトンとした表情に変わる。先輩のコロコロ変わる表情、なんだかすごくカワイイな。
「それって、どういう意味?」
オレはカップのコーヒーを1口啜ると、視線をちょっと天井にさ迷わせて考えた。
「先輩はリーダーの役割を、『チームを代表して独りで闘うこと』だと思ってませんか?」
オレは逆に先輩に質問を返す。
「そうじゃない、と和泉君は考えているの?」
オレはその先輩の言葉に大きく頷いた。
「リーダーの務めは『独りで闘うこと』じゃありませんよ。『メンバー全員の力を結集すること』です。サッカーや野球のチームのキャプテンだって、1人でプレーする訳じゃないでしょ?」
先輩の目が大きく見開かれる。
「いま部が直面している問題は、1人の力じゃ乗り切れません。それは先輩だからじゃあない。オレにも、ユウにも、瑞季にも無理です」
そこで言葉を切って、オレは先輩に笑いながら頷き掛けた。
「先輩、紅茶冷めちゃいますよ?」
「あ、うん」
呆気に取られたような顔でオレの話に聞き入っていた先輩が、慌ててティーカップを手にする。
「だから、明日は4人で闘います。先輩の役割は、オレ達4人の纏め役です」
先輩は紅茶を一口啜り、「ショコラ・なんちゃら」をフォークで小さく切り取ると、そっと口に運んだ。
「…美味しい」
微笑みながらそう小さな声で囁くと、先輩は顔を上げてオレの目を真っ直ぐ見返す。
「あなたの言う通りね、和泉君」
そして、心から安心したようにニッコリと笑うと、そっと呟いた。
「…どうもありがとう」
オレは自分の顔がかっと火照るのを自分で抑えられなかった。
だって、先輩みたいなキレイな人にあんな極上の笑顔でお礼なんか言われたら、平静でいられる男なんて居るわけがない。
「…すいません。なんか生意気言って」
真っ赤になっているだろう自分の顔を隠すように俯いて、思わず謝罪の言葉を口にした。
「なんで謝ってるの?」
先輩が楽しそうにコロコロと笑う。その様子はいつも大人びて見える先輩にしては珍しく、年相応に感じる。
ひとしきり笑い転げると、先輩は軽く目尻を拭いながらふうっ、と息を吐き出した。
そして急に表情を改めると、居ずまいを正して厳かに口を開く。
「和泉君、お願いが2つ…」
先輩の口調の変化に、オレはパッと顔を上げた。
「は、はい。何でしょう」
先輩はちょっとオレの顔を見つめてから言葉を繋ぐ。
「まず1つ目。和泉君、副部長を引き受けて」
先輩の言葉に思わず目をパチクリさせるが、すぐに気付いた。これが依頼ではなく、先輩の部長としての命令だということに。
しかも下級生の分際であんな偉そうな進言をした手前、力不足を理由にした辞退というのも今さら理屈の通りが悪い。
もう、先輩って意外と策士?
「分かりました…」
オレは観念して、ちょっと消え入りそうな声でそう答えた。
オレの返事に満足そうに微笑むと、先輩は急に相好を崩して悪戯っぽい口調で言葉を続ける。
「じゃあ2つ目」
先輩はフォークに乗せたショコラ・なんちゃらをオレに向けて差し出した。
「このケーキ、私にはちょっと大きいの。1口手伝って?」
…え? いや先輩それって…。
別にケーキが嫌いって訳じゃない。敢えて食べたいとも思わないが、食べろと言われれば別に普通に食べられる。
問題はそこじゃなくて食器だ。
先輩が差し出して来ているフォーク。それ、先輩が使ってたヤツですよね?それでケーキを食べるってことはつまり…。
…か、間接き…
オレの脳内独白が終わらないうちに、先輩がとろけそうな笑顔で更に拍車を掛ける。
「はい、あーん」
難易度、いっぺんに跳ね上がったーーーーー!!!
あまりの動揺に再び泳ぎ出したオレの視線が、口元をによによと緩めながらこちらを窺っている店のお姉さんを捉えた。
だから、さっきから一体何なんだ? あんた!!!
「和泉君?」
オレの逡巡がお気に召さなかったのか、ちょっと拗ねたような顔になった先輩の催促にハッと我に返ったオレは、必死に自分自身に言い聞かせ始める。
いや何、別に大したコトじゃない。生命が危機に晒されるってわけじゃなし。
…瑞季にこのことが知られない限りは、だけど。
オレは50メートルのバンジージャンプで踏み切る時以上の覚悟で、そっと震える口を開いた。
そこにショコラ・なんち… いいや、もう何でも。 とにかく、お裾分けのチョコレートケーキが乗せられたフォークが、先輩の手でそっと差し入れられる。
恐る恐る口を閉じたオレは、まるで焦らすかのようにフォークがゆっくりと引き抜かれるのを待ってから、そっと口の中の物を咀嚼し始めた。
「ここのケーキ、美味しいわよね。甘さ控え目で」
テーブルに頬杖をつき、ご満悦の様子で先輩がそう言うも、極限までテンパったオレにはサッパリ味など分からない。実際のところ、口の中に入っているのが豆腐だろうと一匙の甜麺醤だろうと、今のオレには大した違いはなかった。
「ほ、ホントですね…」
辛うじて自制心を保ちながら、オレは何とか返事をする。
もうムリだ。オレの対人反応処理キャパシティー、今日の分はとっくにオーバーしてる。
だがその直後、極めつけのダメ押しが待っていた。
「和泉君…」
少し頬を赤らめながら、先輩がオレに小さな声で呼び掛けた。
「…はい?」
精神的防御力がほぼ0まで削られていたオレは、呆けて無防備に返事をする。
そんなオレの耳に届いた先輩の次の言葉は、まるで神の啓示か天使の声のように、まったく現実味を帯びていなかった。
「………好きよ。あなたのことが」
オレは返事も出来ないまま、茫然と先輩の顔を見つめる。
ただただ呆気に取られていたオレは、店のお姉さんが両手で口を覆い、目をまん丸にしながらオレ達を見つめていたことにはついぞ気が付かなかった。
先輩はまるで、何かが吹っ切れたかのように屈託なく笑って明るく言った。
「私から川原さんへの宣戦布告」