#4
「設立承認が差し戻し!!!?」
部室に湖浜先輩の半ば悲痛とも言える声が響く。
声にこそ出さないものの、残り3人の心境も先輩と似たり寄ったりだっただろう。
さっき部室に運び込んでセッティングしたばかりの長机を、平岩先生と部員の計5人が囲んでいた。
机の端のいわゆる“お誕生日席”に先生、先生から見て左側に先輩とユウが座り、向かいにはオレと瑞季が並ぶ配置だ。
余談だがこの平岩先生、例のオレと瑞季の接点になった夏休みの自由研究で、教室に貼り出す8名分の中にオレの物を選んだ、オレにとっては曰く因縁のある先生である。
「一体どうゆうことなんですか? 部の設立は、先々週の職員会議で承認されたと先生自身がおっしゃっていたはずです! それが何故今になって?」
先輩の声色に次第に非難の色が混じり始めた。無理もないこととは言え、あまりエキサイトし過ぎるのは逆効果になりかねない。
オレはチラリとはす向かいに座るユウに目をやり、その表情を探った。
ユウは「分かってる」という風にオレに頷いて見せる。
さすがはユウ。先輩のボルテージが上がり過ぎるようなら、脇からなだめる用意は万端のようだ。
こういう雰囲気のコントロールに関しては、オレなんかよりユウの方が遥かにスキルが高い。いや、オレと比べてと言うより、オレの知る限りにおいて、この方面のスキルでユウを凌ぐ人間はちょっと思い付かなかった。
方や瑞季はと言えば、この予想外の展開にすっかり動揺して、先輩と変わらないほどに青醒めた顔をしている。
やっぱり女って、男と比べて情緒的な生き物なのかね?
「実はな…」
先生が言いにくそうに重い口を開く。
「さっきの職員会議で、この部の名称を報告したんだ」
この部の名称…。 ああ、“GIJIEBU”ね。
オレはこの名を耳にした瞬間の教師達の顔を想像して、何やら居たたまれないような気分になった。
オレにしてからが、ここに来てやっと耐性が付いて来たとは言え、初めの頃は本当にこの名前で良かったのかと自問自答を繰り返したものだ。
増して感性の柔軟さでは遥かに10代に劣るだろう教師達の反応は、それこそ推して知るべしと言うところだろう。
「それについて、大沼先生から質問が出てな。この名称の由来は何だと」
「大沼先生から?」
瑞季が意外そうな調子でそう言ってから、顎の下に手を当てて納得行かなげに呟く。
「大沼先生、英語の担当なのに何で分からないのかな?」
おい待て瑞季。この名前のどこに英語の要素があるんだ?
「それで私の方から由来を説明した。『ルアー』を和訳した『疑似餌』から付けた名称だとね」
そこで平岩先生は一旦言葉を切り、会議でのやり取りを思い出しでもしたのか、ふぅっと溜め息をついた。
「どうやら大沼先生、この『ルアー』っていう部分がお気に召さなかったらしい」
4人の視線が一斉に平岩先生に集まる。
「それって、一体どういうことですか?」
そう質問しつつも今の先生の言葉で、オレには既に今回のトラブルの構造が何となく透けて見え始めていた。
「実は大沼先生自身も趣味で釣りをなさるんだ。ところが先生がなさるのはエサ釣りの方らしくてな」
平岩先生が頭をガリガリと掻きながら、困惑した様子で説明する。
やっぱりそう言うことか。
「それが一体何か?」
質問する口調から察するに、湖浜先輩にはまだ話が飲み込めていないらしい。
いや、先輩だけじゃない。瑞季もユウも、未だ平岩先生の話の趣旨が掴めずに戸惑った顔をしている。
「大沼先生が仰るには、ルアーをする釣り人はマナーを守らない人間が多い。そんなルアーフィッシングの部活動設立など、もっての他だと…」
「そんな…!」
オレを除く3人が呆然と呟いた。
確かに、管理釣り場のようなグロースドエリアでの釣りがほとんどだったであろう先輩や、まだ釣りを始めて日が浅い瑞季にはピンと来ない話だろう。
だが様々な魚種を求めて、様々な釣り方をする釣り人が数多く集まる自然のフィールドでは、ごく希にだがトラブルが発生することは確かにある。
表面上のトラブルにまで発展しなくとも、内心の不満まで入れればきっとかなりの発生頻度だろう。
しかし、それはエサ釣り対ルアーという構図に限った話ではない。先に他の釣り人が入っている場所への割り込みや、先行者が釣りをしている水域にルアーや仕掛けを投入するといったマナー違反による小競り合いは、エサ釣りの釣り人同士、ルアーマン同士でも起きることがある。
「先々週の会議で、『釣りをする部活動』としか説明しなかった私にも責任があるんだ。私自身があまり釣りには詳しくないから、そんな派閥争いみたいなものがあるなんて思わなくてな」
平岩先生は申し訳なさそうな表情を浮かべてそう言うと、オレ達部員に向かってペコリと頭を下げた。
「…すまん、みんな」
「いえ、そんな…」
若干エキサイト気味だった湖浜先輩も、そんな様子の先生を見ると怒りを持続できないらしく、しゅんとした調子でゴニョゴニョと口籠る。
「校長先生も一度は承認した手前、まったく白紙に戻すという判断ではないが、私と大沼先生で引き続き話し合いをせよとのことだ。大沼先生も少し意固地になっている印象があるが、まあ何とか説得してみるよ」
平岩先生がそう言うと、俯いていた先輩がはっとしたように顔を上げた。
「大沼先生と話し合い…」
先輩はポツリとそう呟くと、やがて何かを決意したようにキュッと口許を引き結ぶ。
そして、静かだがはっきりした口調で平岩先生に語り掛けた。
「平岩先生、その大沼先生との話し合い、私にやらせてくれませんか?」