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008 語り部記す/寒夜の客



「なんなのこの調書は……」



 開口一番で放たれた言葉は侮蔑をはらんでいた。



「ジラルディーノ君。キミさぁ、私がなんて指示だしたかわかってる?」


「……“魔物の使徒”の人格、素行、能力。および危険度の調査と理解しています」



 特にやましいこともないジラルは叱責される謂われはない、という風情で答える。

 しかしそれは目の前の妙齢な女性の意向とは違ったらしい。顔かたちは美女といって差し支えないが、隈の浮いた目元を荒んだ形に歪ませて彼女は溜め息を吐く。



「わかってないわかってない。わかってないよジラルディーノ君。私はさぁ、あの“使徒”を処刑する(・・・・)理由になるネタを引き出して来い、って言ってるのよ。異世界の話で親睦を深めて来いだなんて言ってないわよ?」


「まだ1日目です。無茶を言わないで下さい」



 交渉は1日にして成らず。そうペラペラとピンポイントで欲しい情報を喋るような人間がいるわけがない。ましてや自身を突然に牢獄送りにした相手に、だ。

 こういった取り調べは相手との…………信頼ともいえるような繋がりがものをいう。今はまだ、それを形成している段階だ。



「彼女は……言葉尻に些か粗暴というか、偏屈なところがみられます。強引に話を進めようとすれば、余計頑なに口を閉ざすでしょう。あちらから話すことに合わせながら、口を滑らせるようにうながすほうが効果的です」


「その話の内容が問題なんでしょうが」



 舌打ちしながらふたたび調書に目を落とす。そこに記されているのは“使徒”の口から明かされた、異界の魔族が過去に引き起こした数々の事案。


 徒党を組み、国の都を荒らし回った(オーガ)の大首領。

 嫉妬に狂い神官を惨殺した蛇女(ラミア)

 夜な夜な貴族の邸宅に侵入し悪病をふりまいた合成獣(キマイラ)


 津々浦々で魔族がはたらいた恐ろしい悪行の記録がならぶ。しかしその一方で、いささか毛色の違う話が随所に紛れ込んでいた。



大猿鬼(キラーエイプ)が人の心を読む能力を持っているというのは初耳だけど、随分簡単に撃退されてるわね。特に人を襲っているわけでもなく……。こっちの翼人なんてあっさり騙されて魔道具奪われてるし、この魔獣はやってることが子供の悪戯レベルじゃない」


「使ってる幻術は物凄いんですけどね」



 街道で茶屋と店員に化け、道行く旅人に菓子と偽って馬糞を食わせるというのは大局的に全く何の意味もない嫌がらせ以外のなにものでもない。視覚どころか触覚嗅覚味覚まで騙せるレベルの幻術はそれこそ伝説上に存在するかしないかの代物だというのに。

 山中に住むという大猿の魔物は人の思考を読みとって心を惑わすというが、焚き火から跳ねた焼き栗が当たっただけで逃げ出してしまうほど臆病で、とても脅威とは感じられない。翼人にいたっては姿を消す魔道具をただの竹筒と引き換えにまんまと奪われる間の抜けかたである。


 それは民草を襲い、国のライフラインの数々に破壊してまわり、神殿および王宮の関係者を暗殺しつづける獰猛で凶暴な“天敵”のイメージを打ち砕く、ある種の親しみと人間味にあふれた魔族像だった。



「こんな話が表沙汰になったら神殿丸ごと敵にまわすわよ」



 この国が掲げる国教、聖光教では“魔”とは光の対極にある概念であり、この世界に本来在ってはならない“歪み”である。

 魔物・魔族は最優先で討伐すべき対象であり、それら全てが滅んだあかつきには世界は光につつまれ、陽光の神より永劫の平和がもたらされる……とされている。


 ゆえにこの国の政治もまた、それをもとに運営されている。『魔族を敵として扱わない』という思想は、この国を基盤から揺るがしかねない危険思想といえた。



「ともかく。すべて鵜呑みにはできないし、いくつかの話は報告せず保留にしておいたほうが無難でしょうね。問題なさそうな話だけをまとめて提出しましょう。残りは第一級参考書類として私が直接持っていくわ」


「……了解しました」



 指示を受け、ジラルは書類の作成に取りかかる。しかし、その内心にはぬぐえない違和感が居座っていた。



(あれだけの量の話を即興で作り上げたとは思えない。おそらく、あれらの話はもともと彼らの世界に存在したものだ)



 こちらでも魔族や魔物の登場する伝承や民話はいくらでもある。この世界の者は幼児の頃から寝物語にそういった物語を聞き、育っていく。また酒場の隅でそうした神話を弾き語る吟遊詩人の姿は、何処の町でも見られる日常的な光景だ。


 それらは総じて、魔族や魔物の危険性を学び、身を守るための“教育”としての側面をもっている。


 ならばそうした『親しみのある魔族』の物語による“教育”を受けた者たちは、どういった人物に育つだろうか?


 すくなくとも、こちらの常識とは大きく異なる思考回路をもつに至ることは想像に難くない。



(まだ、他にも居るのだろうか。かの世界の魔族……いや妖怪(ヨウカイ)は)



 神殿の思想で凝り固まった“教育”は、裏側の思惑を覗けるジラルには新鮮味がなく、面白味に欠ける。貴族の子女が好む砂糖を塗り込んだような甘いロマンスの演劇も存在するが、純粋に“笑い”を誘う滑稽な話というのは初めて聞いた。

 時に妖しく、時に恐ろしく、しかし何処かひょうきんで、面白おかしいその存在に、ジラルは“悪”を感じられなかった。

 また話の続きが聞きたい。そう思える程度には、それらと“使徒”に親しみをおぼえていた。



(とはいえ、できることは限られている)



 しがないいち官吏にすぎないジラルには、担当である“使徒”個人ならばともかく勇者全体への対応策について言及できる権限はない。その“使徒”に関してさえ、あくまで補佐役であり上官の意向に従わなければならないのだ。

 その上官の行動が、如何なる結果をもたらすか。それを思うと憂鬱な気分になる。



(後で手当ての準備でもしておくべきだろうか)



 つらく当たる相手が居るところに、甘い対応をする人間が接してくれば大なり小なり人はほだされる。そんな打算が無いとは言い切れないが、それでもジラルは彼女を案じていた。




     ※




 相も変わらず冷たい石牢のなかで、友里は身を横たえていた。下に敷くのは怪談語りの代価にとせしめた毛布一枚。その分だけ今朝がたよりもましではあるが、調子という意味ではすこぶる悪い。


 痛むのは、腹と頭。


 原因は内科的な体調不良ではなく、外科的な外傷だ。



(っの、糞オヤジ……思い切り、蹴りやがって…………っ)



 腹部に蹴り足を二回。所持していた鞭で頭部に三回。腹回りは傷痕こそ未確認だが鈍い痛みが居座り続けており、左目の横は大きく切れて派手に出血した跡があった。

 深く息を吸うと内臓がきしむように痛む。胎児のように丸まって、静かに浅い呼吸を繰り返す。



 ……あれから、いくつの怪談を語ったか。


 大江山の酒呑童子伝説。

 安珍・清姫伝説こと蛇女の怪。

 源頼政の鵺退治。

 山中の大猿・さとりの怪。

 妖狐と豆狸の化け合戦。

 民話『天狗の隠れ蓑』。


 他にも有名どころはひととおりおさえて、数えはしないが四十五十ではきかない量を話した。千夜一夜よろしく一日一話といくのもいいが、流石にそれは気が長すぎる。

 なかなかに楽しんでもらえたようで、ジラルと一緒に見張りの衛兵まで耳をそばだて聞き入ってくれていた。興の乗った友里の舌も回る回る。“他人の望むことを語る”のは苦手だが、“語りたいことを面白く語る”のは友里もそれなりに好きだ。


 大小合わせれば百や二百ではきかない日本妖怪の怪談は尽きない。しかしまだまだこれからというときに、やってきたのが昨日の陰険オヤジだった。



『虚言甘言で人心を惑わすなど言語道断』とかなんとかで当たり散らされ、蹴るわ叩くわ。



(まったく、下らない)



 しかし、理不尽な暴力にさらされても友里の眼に怯えはなかった。気が強いとか、反骨精神が強いとかではなく、相手の心持ちが透けて見えたからだ。


 腕力もない小娘を拘束し檻にとらえ、しかしそれでも不安をぬぐえず無抵抗の相手に暴力で抗する。相手を痛めつけて上に立とうとする。立った気になろうとしている。


 器の小ささと腰抜け具合が透けてみえる。そんな相手を恐れる謂れはないし、畏れてやる必要性を感じない。

 冷めた視線でひと睨みしただけで震えて下がる陰険ジジイにはその程度の扱いで充分だ。



(けど、ジラルさん達が居なくなっちゃったのは痛いな……)



 比較的に話が通じそうなジラルは上官の陰険ジジイに追い払われ、一緒に話をきいていてくれていた衛兵も他の者と入れ替えられた。陰険ジジイの直属らしい代わりの兵は友里が声をかけてもノーリアクションで無言をつらぬき直立不動のまま控えている。


 ーーーーぐりゅう。


 不意に、腹が間抜けな音を立てる。



(……あー、そういえば昼ごはん食べてなかったね)



 この状況でも、腹は減る。もうとうに日も落ちて宵の口なはずだが食事が運ばれてくる様子はない。

 友里を弱らせるために兵糧責めでもするつもりなのか。いまさら人道的な扱いを期待してもいないが、効果的なのは確かだ。



(なんでこうなっちゃったかなぁ……)



 生まれつき低めの血圧がさらに下がっていくのを感じながら友里は嘆息する。


 いきなり異世界くんだりに拉致されて、勇者をやれと要求されて、そのくせ得た力は異端扱いで捕らえられて、挙げ句に食事も抜かれて暴行を受ける。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。



(これはアレかな。私に闇落ちして魔王ポジにつけって話かな?)



 いっそそれも悪くない、と思える程度の怨みつらみは溜まっている。というかそれぐらいの怨み節を吐く権利はあって然るべきだろう。この扱いを受けてなお友好的なアプローチを試みれるような菩薩のごとき善性は友里にはない。


 ふつふつと苛立ちがつのっていき、頭のなかで渦を巻きはじめる。



(あー、もう……面倒臭い)



 苛立ちは思考を鈍らせる。


 本来しなくていい、気にするべきではないことを考えさせられるのは非常に不愉快だ。単純な暴力よりも質が悪い。


 ……これだから人間は嫌なんだ。


 お決まりの台詞が頭をよぎっては消えていった。



(…………今日はもう、寝よう)



 既に萎えた気力で行動してもロクな結果にならない。せめてダメージの回復にいそしむべく、友里は今一度毛布にくるまって就寝へと移行した。















 ーーーーそれから、数時間は経過したか。不意に意識が覚めるのを感じて、友里は目を開いた。


 石造りの牢屋の隅。くるまった毛布の中。寝る前と特に変わりはない。ぼんやりとした頭で呆けていると、ぶるりと背中が震え上がる。


 寒い。


 石材の床は夜になると殊更に冷える。しかし昨夜はここまで冷え込んではいなかったと思うが。

 雨でも降ってきたか、と身を起こし鉄格子の外を見る。手も届かない小さな窓からは月明かりが差し込んで牢の中を照らしていた。


 ふう、と息を吐いて、気づく。呼気が白く染まっている。

 おかしい。昼は初夏ぐらいの陽気だったのに、いくらなんでも寒すぎる。


 指先を揉みほぐし温める友里の首筋を、ひゅるりと冷気が通り抜けた。ぞくり、とひときわ深く身が縮む。圧倒的な寒気が流れてくるのは……友里の、背後から。



(…………)



 ゆっくり、ゆっくりと振り返る。


 通路側の鉄格子。両脇に立つ、衛兵二人。

 深夜であることを差し引いても異様なほど静かな空間で微動だにせず、息づかいすら聴こえない。

 しかしそれは当然だった。



 彼らは足元から頭の先まで氷に覆われ、息すらできずに凍りついているのだから。

 


 物言わぬ氷のオブジェと化した衛兵の陰から、静静と、冷気を引き連れた人影が現れた。



「……一夜の宿でもお求めですか?」



 皮肉げな友里の言葉に、白磁の雪女ーーーー白神沙雪は薄く笑みを浮かべていた。





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