004 異世界の朝
一夜明けて、翌日。
昨日は夜更かしすることもなく床について、友里はぐっすりと眠れた。体調は万全である。
枕元でいまだ夢心地のサバトラを軽く撫で、改めて自身の置かれた環境を鑑みる。
…………やはり夢オチにはならないか。
わかってはいたが思わずにはいられない。実はすこしだけ期待していた友里は肩を落とす。
(ま、それならそれで、しょうがない)
手早く出立の準備を整える。といっても、髪に軽く櫛を通して制服を着るだけだ。細々した洗面用具は持ち合わせていないし、支給もされていない。
(この辺も問題っちゃあ問題かもね)
もともと化粧っけのない友里は気にもならないが今時の高校生女子が多数召喚されている以上、衛生面・美容関係の生活水準向上は必須といえる。魔法的なアレやコレが存在しているこの世界の文明がどれだけ発達しているのかはわからないが、女子寮の洗面所に鏡と石鹸が常備されていない時点で推して知るべしといったところだろう。
せめて歯ブラシぐらいは欲しいよなーと思いながら、顔を洗うべく部屋を出た。
水源が豊富なのか水道施設が発達しているのか、寮の前にある水場は常時噴水のように流れていて井戸のように汲み上げる必要がないのはありがたい。その周りでチュンチュンと雀のように鳴く深紅と真緑のツートンカラーな小鳥が遊んでいた。
目に痛い鳥だな、と思いつつ分け入って流水に顔をつける。よく冷えていて一気に目が覚めた。ひとくちふくんで口をすすぎ、もうひとくちを喉に流し込む。
(ん。だいぶスッキリした)
やはりというか、水が美味い。生水だろうから飲みすぎは禁物だが、カルキ臭さが全くなかった。
田舎のばーちゃん家を思い出すなー、と考えながら、ちょいと身体をほぐそうかとラジオ体操を始める。順番はうろ覚えなので適当で。
鼻歌まじりにメロディを刻んでいると、腰回りの運動にさしかかったところで人がきた。
「なんだ、随分早起きがいると思ったら山本さんか」
友里と同じ寮から顔を出したのはジャージ姿の女子。見覚えのある意志の強そうなつり目と今時珍しいポニーテール。
確か名前はーーーー……
「ミナモト先輩?」
「惜しい。ミナトだ。三那渡真衣」
苦笑いで訂正しながら、真衣は水場で顔を洗う。手拭いで顔をふき、ふうと息を吐いた。
「皆、慣れない環境で疲れているらしいのに君は早いな」
「早起きは、別に苦でもないので。いつもの時間に目が覚めただけです」
こともなげに友里が言うようすが面白かったのか、真衣は声に出して笑っていた。
「そうか。私もそうなんだが……しかしいつも通りに過ごすというわけにもいかんな、この状況では」
「……というか、なんでジャージなんですか?」
「いや、四限が体育だったのでな。そのまま武道場にいたところで喚び出された次第だ」
まったく傍迷惑なものだ、と真衣は漏らす。
「せめて木刀ぐらい持ってこれたらよかったのだがな。日課の素振りができん」
真衣にとって現状一番の不満はそこらしい。普遍的な女子高生が真っ先に求めるものではないだろうと友里は思った。
三那渡真衣。友里よりひとつ上の三年生で、言動からお察しのとおり剣道部所属の武士娘である。
たしか個人戦の大会でかなりいいところまでいったとかなんだとか、聞いたような気がするが友里は完全にうろ覚えだった。それなりに目立つ先輩なので記憶の端に引っかかってはいたが。
「大学の推薦も決まりそうだったんだが無駄になるかもしれんな」
「帰れる目処も立ちませんからねー。どうなることやら」
帰るにしても都合よく召喚時と同じ時間と場所に帰れるなら問題ないが、過ごした年月が同じだけ経過していると色々と不味い。
「むこうで私たち、どういう扱いになってるんですかね? 集団失踪? 現代の神隠し、とか?」
「さて、想像もつかんな。何にせよ、できるだけ早く帰りたいところだ」
ふぅ、とため息をもらす真衣。堅物そうな顔つきも、今は少し疲弊しているようだ。
「ミナト先輩は、勇者とか興味ないクチですか」
「まぁな。こちらの武術には多少興味があるし手合わせしたくもあるが、永住するわけにはいかんよ。家のこともあるしな」
「家って……ああ、道場やってるんでしたっけ」
「マイナーな古武術道場だがね。できることなら、引き継いでいきたい」
高校の近くにある、古いが立派な門構えの道場と、隣接する武家屋敷。戦国の時代からつづいているとかで地元では有名だ。通学路の途中にあるので何度か外から覗いたことがあるが、子供から年配者までけっこうな数の門下生がいた。
むこうでの展望のある人間は、わざわざファンタジー世界に逃避する必要はないということだろう。
(進路か。私はどうするかな……)
異世界に来てまで考えることではないが、しかし高校二年生にとって重要な話ではある。とりあえず中堅の大学に進学できるぐらいの学力はあると自負している友里だが、しかし具体的な方向性については全く決まっていない。そもそも勉強にしろ、ほぼ義務的にやっているだけでそれ以上の意味もないのだ。
特に学びたい分野があるわけでもなく、中卒高卒で就職するよりも色々と有利だから進学しているという意識しかない。経済的な面から考えれば国立、それも地元の大学になるだろう。私立の学費は友里の実家には負担が大きいし、バイトで稼ぎながら学業を両立させる器用さも体力も友里にはない。わざわざ返済義務のある奨学金を使うのもアホらしい。浪人すればその間の予備校の学費も馬鹿にならないから一発勝負だ。
夢がないと思うなかれ、世知辛い現代に生きる小賢しい平成っ子の考えなどこんなものだろう。少なくとも友里はそう考えていた。
(なんなら天職の儀の結果で進路を決めるかな)
それも悪くないかと思える程度には精神的に追い込まれている友里であった。
「山本さん。少し聞きたいのだが、いいか?」
「なんですかー?」
酷く現実的かつ希望もないことを考えていたせいで、おざなりに友里は返事をする。
「今日やる、“天職の儀”とやらのことがよくわからなくてな。他の人たちは納得していたようだが、山本さんは理解しているのか?」
「んー、RPGの職業システムみたいなもんなんじゃないですか?」
「いや、まずその“あーるぴーじぃ”とやらがわからんのだが……」
ひらがな表記されそうな発音に友里は吹き出しかけた。
「……えーと……ミナト先輩。ゲームとかやったことないクチですか?」
「ウチは武術家系だからな。ピコピコのたぐいは触ったこともない」
ピコピコてアンタ。
「す、スマホのアプリとか……」
「ケータイは持っていない」
ガラケー以前の問題だった。
今時珍しいどころか時代錯誤もはなはだしい天然記念物に友里も乾いた笑いを浮かべるしかない。
「…………ゲームとかではよくある、設定っていうか方式、っていうんですかね? まずRPGっていうのは“ロール・プレイング・ゲーム”の頭文字をとった略称です」
「ろーるぷれい……」
口に出して繰り返す真衣。これは絶対理解できてないなと感じた友里はさらに噛み砕いて説明しようと決める。
なんでファンタジー世界でサブカル知識の説明なんぞせにゃならんのか、とも思いつつ。
「ロールっていうのは、いわゆる演劇なんかの“役割”、“役目”を意味する語の“role”です。つまりロールプレイ、っていうのは一定のシナリオやルールのなかで、定められた役割をこなしながら進行していくことをいいます。たとえば…………怪物退治の物語、といえば大体イメージできます、よね?」
「うむ、英雄譚だな。大江山の鬼退治が私は好きだ」
「坂田金時ですね。まあたとえばそういった英雄譚の主人公になりきって物語を楽しむのがロール・プレイング・ゲームなんです。で、ここからが本題なんですが、この手のゲームは物語の筋道が複雑になるにつれて、プレイヤーの自由度も高くなっていく傾向があります。一定のシナリオがあるとはいえ、結末に至るまでの道程は色々あったほうがゲームとして面白いでしょう? 最終目的が“鬼退治”だとしても、そこに至るまでの物語の筋道はプレイヤーの行動によって決まるのです」
鬼退治のために行動するとして、単純に身体を鍛えるのか、新たな武術を学ぶのか、それとも武器を揃えるのか、仲間を集めるのか、確実に倒すための作戦を練るのか。
プレイヤーが選べる選択肢と、それによる物語の筋道の分岐が増えていく。
「その一種がいわゆる“職業システム”です。英雄としての役割の他に、なんらかの職業を与えられて、その力を利用して英雄として活動していくわけです」
「なるほど。じゃあたとえばどんな職業があるんだ?」
「一般的なところだと、“剣士”とか“格闘家”、“魔術師”、“僧侶”、“神官”、“盗賊”。変わり種だと“踊り子”とか“商人”。“遊び人”ってのもありましたね」
「商人はともかく遊び人は職業ではないだろう……」
「まぁゲームの話ですから。とにかく、一種の適性検査のようなものだと考えていいとおもいます。与えられた職業によって身につけられる能力や必殺技に違いがでてくるものですし」
「必殺技……!?」
キラーン、と真衣は目を輝かせる。何か琴線に触れたらしい。
「それは……あれか。燕返しとか一の太刀とか使えるようになったりするのか?」
「一の太刀は知りませんけど、まぁ剣士とかの天職ならありえるんじゃないですか?」
「もしかして、斬鉄とかできたりするのだろうか……?」
「できるんじゃないですか?」
振る舞いは落ち着いているがあきらかに喜色ばむ真衣に友里は苦笑する。
フィクションの世界でしか実現しないような領域に手が届くかもしれないのだ。無理もないだろう。特に剣で鉄を斬るというのは浪漫だから仕方ない。
そんな友里の生暖かい視線に気づいて、真衣はこほんとひとつ咳払い。
「と、ところで山本さんはなってみたい天職とかはないのか?」
「私ですか?」
問われて、友里は俯瞰で考える。
……まず、戦闘職は論外だろう。体力は人並み以下だし麻衣のような武道の経験もない。相手が人間でなかったとしても切った張ったの立ち回りは御免こうむる。
なにより戦うとなれば現実的に考えて集団戦が基本だ。四六時中ヒトと一緒に居つづけるのは友里にとって苦痛でしかない。
だとすると、生産系。ひとりでもできそうな武器とか便利道具の開発とかがいい。
鍛冶職は体力がもたないだろうし、もっとこう、文系よりの職種で……。
「“錬金術師”とか、あったらいいですね。こう、ぱんっ、バチッてできるアレな感じで」
「ああ、それは面白そうだな」
「あと……個人的にはアレがいいですね。“魔物使い”」
文系とは離れるが、ファンタジーの世界で友里がもっとも興味をひかれることのひとつだ。ゲームはあまりやらないほうだが、小学生の頃に流行ったモンスターの育成ゲームはかなりハマってやりこんだ。
地球では触れることすら叶わない、存在しない生き物たちに直に触り、ふれ合いたい。後ろから彼らに指示を出して戦わせるというのは心情的に厳しいが、それ以外にも活躍の場はあるはずだ。
ドラゴンとかグリフォンだとか贅沢は言わない。最悪、スライムとかちょっと大きい蛇とかでもいい。ゲーム画面で見た彼らが自分の後ろをチョロチョロとついてくるあの描写を実際にやってみたい。あれは絶対に楽しいと友里は思う。
「まぁなんにせよ、運次第ですから」
下手な期待はするだけ損。六、七割もアテにしておいて上手く当たったら万々歳。それぐらいが丁度いい。
軽く軽く、ゆるゆると。異なる世界の日の元でも、友里はマイペースだった。