016 日影街 ー裏ー 混沌の楽園、そのはじまりの噺
予定よりちょっと遅れました。すいません。
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我々のいるこの世界、『イースラ』の始まりは暗闇だった。
黒の海に浮かぶ、なにもない荒涼とした灰色の島。
そこを訪れたのは、数多の世界を渡り行く神々の一団だった。
“此処に楽園を築こう”
神々の誰かがそう言った。
“光よ、在れ”
神々の手元を照らすために光明の神が光を産み出し、神々はそれぞれの権能をもってそれぞれが必要なものをひとつひとつ造っていった。
“土よ、在れ”
昼寝好きの土石の神は、灰色の島を茶色い土の寝床に変えた。土を掘り返し積み上げて枕となる山をつくり、ごろりと寝転んだ。残った穴は谷となり、寝返りをうったあとが大きな窪地になった。
“炎よ、在れ”
寒がりな火焔の神は、荒涼とした大地のなかに炎を産み出して暖をとることにした。それでも寒さに耐えかねた火焔の神は土のなかに埋まって過ごすことにした。冷たかった大地は炎の熱で暖まった。
“水よ、在れ”
綺麗好きな清水の神は、大雨を降らせて水浴びのための湖をつくった。一番大きな湖に浸かって身体を洗っていると汗がながれて、そこが海となった。頭を洗った際に飛び散った水が川となり流れ出した。
“風よ、在れ”
悪戯好きな疾風の神は、新たなる世界を駆け回り風を吹かせた。暖かな風と冷たい風が交互に吹き抜けて岩肌を削り、なだらかな土の地と吹き溜まった砂塵の地がうまれ、世界は廻り始めた。
偉大なる五つの御柱によりととのえられたその島に、随行していた神々がそれぞれに必要なものを産み出していった。
草木を植え、緑を増やす神がいた。
獣を産み出し、友とする神がいた。
人を産み出し、己らを崇め奉る国をつくる神がいた。
人に獣に知恵を与え、文化と娯楽を産み出させる神がいた。
それぞれの想う楽園を築くべく神々は働きつづけていた。
そんななか、とあるひと柱があった。
その神は、陰鬱と寂寥を司る闇黒の神。
その神が好むのは暗く、静かで、冷たい寂漠とした場所。
故にその神もまた、己のおもう楽園を築こうと創造をはじめた。
“夜よ、在れ”
明るすぎる世界では落ち着かないと、その一言で光に溢れた世界の半分が暗い夜に変わった。先の見えないその暗がりに人々は不安と恐怖を覚えた。
“闇よ、在れ”
めまぐるしく変わりゆく世界に静寂を与えようと、全てを飲み込む闇を産み落とした。永久に続くはずの世界は停滞と終焉を知った。
“影よ、在れ”
悪辣を知らぬものたちに戒めを与えようと、それぞれの足元に影を産み出した。落ちた影はその者の咎を映す鏡となり住人たちの心をさいなんだ。
その闇黒の神が産み出すものはことごとくが楽園を荒廃させるものだった。神々がそれを咎めても闇黒の神は聞き入れない。なぜなら荒廃と寂漠こそがその神の理想だったからだ。
楽園を目指していたはずの世界はいつしか清濁のいりまじる混沌となった。
ゆえに偉大なる五つの御柱は闇黒の神とその従属神たちを封じることにした。楽園から切り離された島にかの神を封じ込め一切の干渉を禁じた。闇黒の神に創造された眷属たちもまた楽園を荒廃させる者として各地に封じられた。
闇黒の神は今もこの世の果てにある島に封じられたまま、世界を荒廃に導かんと創造をつづけている。
邪なる闇黒の眷属を産み出してはこの混沌の大地へと送り込み、復活の刻を待ち構えている。
偉大なる五つの御柱もいずれくる闘いのときに備えるべく、いまもなお我らを導いているのだ。
※
「…………と、まぁこんなところか。この世界で一般的な創世神話だ」
「なるほど、勉強になります」
ラモンドの話の大筋を頭に叩き込みながら友里は頷く。
「万物の創造神がいるわけじゃなく神様全員が別の世界からやってくるとか、あんまり聴かないですね。勇者召喚でやたら大人数引っ張りこんだのもその辺が関係してるのか。よその世界からやって来るものがイコールで神がかったものとされているんでしょうか? 天職なんて分かりやすい力も持っているわけだし、その辺が神話成立に関わっている可能性もありますね」
「儂ァ神官じゃないからな。詳しいことはようわからん」
湯呑みの茶をひとすすりして喉を潤すヘッジ。柄でもない説法じみた語りで眉間には軽くシワが寄る。
奥に通されて連れ込まれた場所は応接間のような雰囲気の、長テーブルと椅子が設えられた場所。そこに友里と沙雪は並んで座り、ラモンドと向かい合っていた。
「それじゃあ魔族っていうのは闇黒の神に創られたもののひとつってことですか?」
「正確には魔族や魔物を創ったのは闇黒の神に同調していた従属神、万魔の神、だったか。お前さんの“魔物の使徒”ってのはその神からの派生だろう」
友里がまず欲したのはこの世界における宗教、特に友里たちを敵視している神殿とやらの情報だった。自分達がいかなる理由でもって迫害の対象とされていて、相手がどんな組織力を持っているのかを知りたかったのだ。
この世界のおもな宗教は五つ。
先の神話にも出た“偉大なる五つの御柱”をそれぞれに信仰する五の宗派。
土石の神を奉る悠土教。
火焔の神を奉る宝火教。
清水の神を奉る礼水教。
疾風の神を奉る拝風教。
そして光明の神を奉る聖光教。
創世期に訪れた神々はほかにも数多あるが、それらはこの五柱の従属神という扱いでさらに細かく分派している。頂点となる五柱を従属神たちが支えているかたちだ。各神殿内でも神々の序列は細かく決まっており、上下関係が厳しい。
それぞれの神を奉じる神殿を組織して、それぞれの教義をもとに活動している。横の繋がりも一応あるが、教義の違いから宗派間の対立も少なくない。
「体面的には五神殿に格差はないとされているが、ここ数十年で台頭してきているのが聖光教神殿だ」
闇黒の神の討滅を悲願とし、対抗する術を多く有している。魔族魔物が活発化している昨今の情勢で発言力を増すのは自明の理であった。
魔族避けの結界術や探知術、魔族の弱点を直接えぐることのできる攻撃法は他の神殿にはない特色だ。
「聞いたところじゃ勇者召喚を先導したのも聖光教の使徒サマだって話だ。光明の神から神託を受け取って、術式の開発、実行まで中心になってやったとか」
「そういえば召喚されたときにそんな人いましたね」
沙雪たちの正体があらわになったとき、その術を行使したらしい人物がいた。あれが光明の神の使徒とやらだろう。
「ああいう、召喚とかの……神術っていうんでしたっけ。それって一般的なものなんですか?」
「モノによるな。基本は神殿で開かれてる講座に出向けば習えるが、高度なものだと大抵が門外不出だ」
宝火教の小さな火を灯す術や礼水教の水を生み出す術などは習えば大抵の人間が身につけられるし、便利なので民間にも広まっている。
しかし魔物避けの結界術や攻撃性の高い術式となると習得に年単位の時間がかかる。そもそもそういった秘術の知識のほとんどは各神殿が独占している状態だ。使う人間もかぎられてくる。
「なら一般の方であるなら出会い頭に正体がバレる可能性は高くはない?」
友里の懸念にラモンドは首肯する。
隠蔽を破ったという神術は、おそらく一般人が使える難度ではない。使えるものならもっと広まっているはずである。習得しているとしても神官や巫女など本職の人間だけだろう。道端ですれ違ったり普通に話している程度ではまず気づかれまい。
実際、ヘッジはまったく気づかないままにここまで連れてきてしまったわけであるし。言動挙動のオカシイ頭のネジの外れたイカれなら、この界隈には普通にたむろしている。むしろそちらのほうが危険度は高かった。
「儂が見破れたのは“鑑定士”の天職をもっていたせいだ。一般の者ではまず気づかないじゃろうよ」
「ラモンドさんが凄いっていうのはなんとなくわかりますけど、“天職”ってそもそもどういう代物なんですか? 私たちの世界にはない概念で、いまいち使い方がわからないんですけど」
「儂からすれば天職がないというのもよくわからんが…………単純にいうなら、天職を持っている者は能力の“補正”と“スキル”による恩恵を得られる。たとえば儂の“鑑定士”は今はこうなっとる」
ラモンドは取り出した黄色のカードを呈示する。
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名前 “ラモンド・トゥレイド”
天職 “鑑定士”
スキル “鑑定眼力”
“策謀”
“高速筆記”
“高速算術”
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「スキルが四つもありますね」
「儂が儀式を受けたのは六歳の頃で、そのときは“鑑定”というスキルがあるだけだった」
“鑑定士”は主に“見極める”ことに関して補正のかかる天職で、簡単にいうと常人よりも人や物に対して目端が利き、記憶力と判断力が高くなる。
何十年も昔のことを正確に思い出せたり、一瞬見ただけで対象物の内容や値打ちを判別したり、物事の真贋を見破ったりすることができる。そういうことが出来るよう、成長に補正がかかるのだ。
それだけなら天職がなくとも努力次第で体得できるかもしれない。が、そこで隔絶した差をうみだすのが“スキル”である。
「“スキル”は天職をもつ者だけが身につけられる特異能力で、神の奇跡の残り香ともいわれている。神殿いわく、神代の創造を今の世に繋げ、との去りし神の遺志だとか。……まぁ、儂は信じちゃおらんがな。儀式を受けた直後ではひとつかふたつだが、それらを何度も使って錬磨したり特定の行動を繰り返したりしていると、新しいスキルが増えたり変化したりする。儀式を受けずともカードの表記が勝手に変わるんだ」
「じゃあ“鑑定眼力”っていうのは、その“鑑定”ってスキルの上位互換みたいなもんですか?」
「まぁの。数十年も使っとるうちに変化と他のスキルとの統合も経てそうなった。目利きに関してはちとうるさいぞ?」
神殿では過去に出現した天職とスキルに関しての記録がまとめられているが、“鑑定眼力”を身に付けるまでに至った“鑑定士”の実例はかなり少ない。大抵は物品の通称と値打ちが理解できる程度の“鑑定”どまりか、“薬物鑑定”や“美術鑑定”など一定の分野の解析に特化する場合がほとんどである。
ラモンドの“鑑定眼力”は人でも物でも対象を問わず、物品の来歴や構成、人のもつ能力や素性まで鑑定できる。より詳細な鑑定には時間もかかり、深く探るほど相手にも不快感というかたちで察知されてしまうが、その精度はイースラでも屈指のものだ。その辺に転がっているような能力ではない。
「魔物や魔族も、遺体や素材の状態で何度も鑑定しとる。生きているのを遠目に覗いて鑑定したこともある。多少風体のちがう奴が目の前に現れても見極める自信はある。……まぁ、お前さんらはどうにも無理だったがな」
沙雪に目線を送り、ラモンドは断言する。
「よくよく見れば人間じゃあないってのはわかる。だが実際、魔族と同じくくりにおさめられるほど人間から遠い感じもせん。一見ではせいぜい獣人かなにかの血でも引いとるんかと思われる程度じゃろうな」
人間と魔族はどちらもこのイースラの世界に息づく生命体であるが、その似通った外見と知性の高さに反して全く別の存在である。それは生物の“種”の違いという次元ではなく、身体の構造や構成物質、生命活動の仕組みからして違うのだ。
たとえばイースラ世界の魔族や魔物の類いには“魔素”とよばれる物質が含まれている。これは魔のものが活動に利用しているものだが、人間が不用意に取り込むと身体や精神に異常をきたす特有の物質だ。長期にわたって魔素を取り込みつづけた結果、通常の生物が凶暴化する事例も確認されている。
魔素の濃さから魔物としての力量や能力、“格”をはかるのは鑑定術の基本でもあった。
その常識からすれば、魔素をもっていない沙雪たち妖怪は“魔物”とはいえず、察知されることもない。
だが長年にわたって“人間”を見続けてきたラモンドにはどうしてもぬぐえない違和感があった。
最初に魔族と呼んだのも、半分以上が鎌かけだ。
「なんというか……ただ見ているにしては得られる情報の出所が不自然でな。そのくせ深いところまで探ろうとすると中身が見えなくなる。お前さんを見ているはずなのに、別のところから持ってきたものを見せられているような感じだ」
それは普段から“鑑定眼力”によって多量の情報に触れているラモンドだからこそ気づけた違和感。鑑定によって得られる情報からたどる、情報の発信源を見た際の異常性。
たとえば人間の戦闘能力を鑑定した場合に鑑定士はそれを数値化した情報を得ることができるが、その鑑定のもととなるものはさまざまだ。筋肉量からパワーを計り、身のこなしから身体の扱いの錬度を計り、細かな目の動きや言動から精神面をはかって実際に現場でどれぐらい動けるかを計る。
それらの情報は結局のところ、その人間自身がもち周囲に発信している情報だ。鑑定士の能力とは、それをとらえて整理し数値化する能力ともいえる。
しかし沙雪や鞍馬を鑑定して得られた情報は、通常のそれとは“質”が違った。まるで又聞きした見知らぬ誰かからの話のように、不安定であやふやなのだ。
「……それは、私たち妖怪の性質だと思います」
ゆっくりと、ラモンドの疑問を咀嚼してから沙雪は答えた。
「さきほどもいいましたが、私たち妖怪は人間から集めた“畏れ”によって力を得ています」
「ふむ。“畏れ”、というのは感情といっていたが、そんな形もないものが力になるのか?」
このイースラにも目に見えない、神にまつろうものによる力はある。しかしその力はやはり“神”あってこその力であり、人間がもっている力とはいいがたい。神術ですら人間本来の力ではなく、神から授かった借り物の力という認識だ。
信仰は力を手に入れるための手段であって、物事を為すための力ではない。
「人間にとってはそうかもしれません。けれど、私たちにはそれができるんです。本来、人間がもつ感情にはそれだけの力があるんです」
単調な色の重なりが、飛び出るような躍動感を鮮やかに描き出すように。
並び立つ音の繋がりが、メロディーとなって人の胸を踊らせるように。
ただの文字の羅列が意味を成し、ひとひらの物語を紡ぎ出すように。
人間がもつ感情のたかぶりは、常に無から成される“創造”とともにある。
“創造”は感動を産み、感動とは感情の揺れ動くさまであり、それが何かにむけられれば“畏れ”となる。
『怖い』も。
『恐ろしい』も。
『美しい』も。
『醜い』も。
『格好いい』も。
『面白い』も。
『愛らしい』も。
『滑稽』も。
それらすべての感情に人々が胸に宿す興味と好奇心があわされば、無限にひとしいエネルギーを発するのだ。
「私たち妖怪は、いうなら人の心の写し鏡。人間から向けられる“感情”によってエネルギーを得ているのと同時に、容姿や能力に関しても常に向けられる感情の影響をうけているんです」
『恐ろしい』という感情をうければ、より恐ろしくおどろおどろしく。
『美しい』と思われれば、より美しく端麗に。
見る人間が感じた印象が、そのまま実際の容姿へと反映される。
妖怪とは、いうならば鏡にうつった虚像と同じ。自分の意思をもちながら他者の感情で自らを形作る、ひどく曖昧で不安定な存在なのだ。
「ラモンドさんの能力がどのようなものかはわかりませんが、“私が発している情報”は“別の誰かが私を見て感じた情報”でもありますから」
「なるほどな。お前さん自身が他人から渡された情報で構成されているなら、発する情報が普通と違うのも当然か」
人間なら自身の持っている情報は不変のものだが、不特定多数の他者の感情から構成された沙雪が持つ情報は他者の感情の変化に同調してリアルタイムで変化しつづけている。無意識も含めたそれを見極めるのは、ほぼ不可能だろう。鑑定が効かないのも道理である。
「ふーむ理屈はわかるが……、それにしちゃあお前さんにしろ連れのふたりにしろ、ずいぶんと人間じみちゃおらんか?」
ラモンドが鑑定士として判断に困る一点がそこだ。
こう言ってはなんだが、沙雪たちの存在はこの世界の人間の感覚でいえば驚異以外のなにものでもない。
自ずから“おそれ”られるを標榜し、事実化け物じみた力を身に付けている。いまひとつ正体がはっきりとしないのに、確かな力をもって其処に在る。
その力が自分達に向けられたらと考えるのは自然なことで、その果てに抱く感情は“恐怖”や“不安”だ。
得体の知れない存在を、人間は恐れる。驚異ととって、恐怖する。
それが常識。人間としてごく当たり前な反応だ。
だが今目の前にあるのがそれを体現した結果か?
触れれば容易く手折れそうな目の前の娘は、とても恐怖の具現とは思えない。
異常なる化生の類いと呼ぶには、あまりにも人間臭すぎた。少なくとも相対して驚異ととる人間は少数派だろう。
「今の私たちは、主に山本さんからもらった畏れで力を得ていますから。これがラモンドさんやヘッジさんたちから受け取った畏れに切り換えるとーーーー」
言葉を区切り、沙雪は目を細める。
意識を集中……否、“切り替えた”のがラモンドにはわかった。
その瞬間に、沙雪が変わる。
容貌には大きな変化はない。劇的に顔かたちや身体つきが変わったわけではない。
だが、それらが放つ“印象”が変わった。
何処にでもいるような人間から、どこか怪しげな、得体の知れない雰囲気をはなち始める。今にもなにかやらかしそうな、恐ろしさと危うさがあった。
「……ヘッジさんは、まだ私たちのことが“恐い”みたいでしたね。正体不明の、危険な何か。それが今、貴方たちが私たちに向けている感情です」
心なしかその声音すら妖艶さを感じさせている。一瞬、別人に変わった気さえした。頭ではなにも変化していないとわかっているのに、すっと細めた眼差しが氷のように冷たく、切れてみえる。
氷雪の化身という肩書きが、初めてしっくりときた。
いや、その言い方も適切ではないのか。ラモンドの畏れから形をつくるということは、ラモンドがもつイメージをそのまま具現化したのも同然なのだ。しっくりくるのも当たり前である。
「妙に胡散臭いのは、儂がまだ正体を理解しきれていないせいか?」
「無意識も含めて補足された結果ですから、そうなるのも無理はないかと」
再び沙雪が畏れを切り替えれば、身に纏う空気は元に戻る。目立つ容姿でありながら不自然さもなく。そこに在るべくして在るように。
「不思議なもんだ。力をもった奴ならたとえ人間でもある種のハクってものがあるもんだが、それすらねぇとは」
確かな力をもちながら、あまりにも違和感なく当然のように其処に在る。
それは驚異と呼ぶよりも、身近で気安い“隣人”の気配だ。
「……ここらには、“妖精”のたぐいは出たりしないんですか?」
ふと、友里が問いかけた。
「ヨウセイ……? なんだ、そりゃ妖怪とはまた違うのか?」
どうやらそれもまた聞き覚えが無いらしい。新たな言葉にラモンドは顎をしゃくって訊ね返してくる。
「違うというか同じというか……。……西洋ファンタジーかと思ったら、微妙に違うんだなこの世界……」
どうやらイースラでは、不可思議存在のほとんどが“魔物”でくくられているらしい。それは程度の差こそあれ、意味合いは人類の敵とイコールだ。
所変われば品変わり、名が変わる。それらがどう受け取られ、どう扱われているかも変わる。
そんななかで“日本人と妖怪”という、地球でも指折りに独特な関係性の概念を理屈で説明するのは難しい。
「私たちの世界に、こちらと似たような文化をもっていた地域がありましてね。そこでは妖怪と似た“妖精”という存在を“隣人”と呼んでいたそうです。得体の知れないただ恐ろしいだけのものではなく、時に人を助けたりもする身近な存在だったと聞いています」
友里はいつか見た童話の一節を、目蓋の裏に描き出す。
時に同じ屋根のもと寝食を共にし、時にハタ迷惑な被害をこうむらされ。
恵みとともに救いの手をさしのべたかとおもえば、理不尽に命を貪り食らう。
繊細ながらも脅威的で。
美しくもあり醜くもあり。
愛らしくもあり危なっかしくもあり。
恐ろしくも愉快で。
陽気で、それでいて何処か、物悲しくて。
親しまれながらも敬意を忘れず。
神々しくありながら、しかしついぞ崇められることもなく。
ただただ昔からーーーー、人間たちの隣に。
隠れながらも、すぐそばに。
ふと気がつけば其処に居る。
故に、“隣人”。
「…………この際だ。一席打ってみましょうか」
興の乗った友里は手を叩く。
「妖怪の話かい」
「ええ、そうです。私たちの国につたわる、妖怪と人間の話。私たちを知ってもらうにはそれを聞いてもらうのが早いかと」
……本音を言えば友里は、先程からどうにもうずうずと胸の奥底が疼くのを感じていた。聴きたくないと拒否されても、知らず口から飛び出しそうなのだ。
脳髄から湧き出る文脈。鼓動に合わせて舌の根が踊れば、拍子を刻んで物語が流れ出る。
昨日やって初めて知ったが、それが友里には、今までに経験したことがないほどに愉快で、面白い。
そんな友里を見て目を丸くするラモンドの様子にもまた、心根が小気味よくほぐれる感じがする。
地球では久しく感じていなかったが、どうにも此方の世界に来てから持てあまし気味なプラスの感情。それが彼らに影響を与えているのかいないのか。それは友里の知らないことだが、きっと悪いことではないだろう。
「まずはーーーーそうですな。この日影の街にぴったりな、町屋暮らしの妖怪たちの話から」
幕開けしゃぎりの音もなく、柏手ひとつで花開く。日の下暗きの街角で、再びの、妖しの噺が始まった。