012 光の王国・日影の街
翌朝。目を覚ました友里たち一行は森を抜け、踏み固められた土の道を歩いていた。
王都の城下街に向かう街道筋である。
「鋪装はされてないんだね」
「もうしばらく進めば石畳になるぞ。昨日飛んだときに道は確かめといた」
先導する鞍馬の後ろに友里と沙雪が並び、鋼夜がついていく。サバトラも友里とつかずはなれずで同行している。
「ねぇ、鞍馬。城下街にむかうのはいいんだけどさ。このまま行って大丈夫?」
「ん?」
友里の質問に鞍馬は振り向く。
「いや、こーいう中世の西洋っぽい世界観だとさ。街の出入口って基本的に検問があったと思うんだけど。私ら通れるの?」
ちょいちょいと裾をつまむ友里が着ているのはスカート、ブラウス、ブレザーの学生服だ。鞍馬や鋼夜も当然のように制服を着用している。
沙雪はというと、昨晩は着物姿だったのが朝起きると学校指定の制服に変わっていた。なんでも妖力をつかって一瞬で服装を変えることができるらしい。いわゆる人化の術の一端なのか、雪のように白かった髪も元の黒髪に戻っている。それも自由に変化させられるそうだ。
「瞬間コスプレ芸?」
そう口走って微妙な空気を生んでしまった友里は、多分悪くない。
それはさておき。この異世界での縫製技術は現代日本のそれとは比較にならないほど劣っているようだ。王宮で見たかぎり、貴族階級が着ているものでも地球の学生服にすら及ばない程度の出来である。
そんななかで素性不明の若者四人がやたら質のいい服を着てのこのこ街中を歩いていたら、目立たないわけがないだろう。昨夜の件は確実に御触れがまわっているだろうし、正面からいっても通れるとは思えない。そのまま捕縛されるのが関の山だ。
「白神さんは銀髪になって変装すればギリ誤魔化せるかもしんないけど、私らは黒髪黒目で思いきり日本人顔だし絶対目立つよ?」
「確かに正門には衛兵が居たし、真正面からいけばそうなるだろうな」
人化の術も破る神術が存在している以上、妖怪の隠蔽力にあかせて突破するのも厳しい。
「けど、街っつっても全部が全部国に管理されてるわけじゃないみたいでな。どこの世界にも“はみ出し者の吹き溜まり”ってのはあるもんらしい」
その物言いに、ああ、と友里は合点がいった。
「なんだ。この国もたいしたことないじゃん」
「そりゃ現世日本とくらべちゃあな」
太平の世からやってきた人間と妖怪は、実に皮肉げに笑った。
※
世界一の治安の良さを誇る日本にはほぼないが、ある程度の経済性をもつ国家であれば必ずといっていいほど、その人間社会の“陰”といえる部分は存在している。
かの大国でさえその存在と有害性を認めながら、しかしそれを消すことはできずにいる。
それは資本主義社会の“敗者”が棲む場所。人間社会の、人外魔境。
貧民窟である。
※
聖ディルムンティナ王国王都は上空から見ると、楕円を四分の一ほど河川が食いちぎったような形状をしている。
水源となる河へ接するように王城が建ち、その周囲を隔壁ーーーー昨日から一部が崩壊しているがーーーーが取り囲み、さらにそこから裾野が広がるように街並みが建ち並んでいた。
隔壁の近くほど治安が良く、当然その近辺には相応の住人が住んでいる。地方領主の邸宅や高級商会の店舗などは、その典型だ。
それらが多くを占める区画から離れると、その一帯を含めて王都をぐるりと取り囲む壁がある。神術の施されていないその単なる石壁は、王城の隔壁ほど強固ではないがしかし特定の箇所からのみの入場を可能にすることで内部の治安維持に一役かっている。
かつての都市計画において、本来はこの石壁までの範囲を王都とする予定が長年のうちに人であふれ、その外側に無許可で人が住み着き始めた。
それは主に石壁のなかに入れない下層貧民や、居場所がなく流れ着いた移民など。国の庇護をほぼ受けられない彼らは国の方策にも従うことなく勝手に家を建て商店をつくり、共同体をつくって生活しており、国のコントロールもきかないまま、いまなお拡大の一途をたどっている。
国の膝元でありながら国の支配下にないこの一帯を、くちさがない王宮の者たちはこう称した。
光の国ディルムンティナの、闇集う“日影街”と。
※
この街にいる人間はロクデナシばかりだ。
日影街にて生まれ育ったその男は、常々そう思っている。
場末の娼館で働いていた母親が何処の誰のものかも知れない種を拾ってつくられたというロクでもない生まれの男は、劣悪な環境下での幼少期を幸運にも生き残り、近所の悪ガキどもとたくましくふてぶてしく成長してきた。
ある意味自然界よりもタチの悪い弱肉強食が罷り通る日影街で生き残るには、単純な腕力もさることながら狡猾ともいえる悪知恵がものをいう。
撒かれた種の質がよかったのか、教養こそないが周囲の子からは頭ひとつ抜け出た物覚えと要領の良さを発揮した男は現在は立派なチンピラとして日影街の一員をやっていた。
(要は俺自身もロクデナシの一員なわけだ)
そんな自嘲が、いつも頭のなかにこだまする。
子供の頃はもう少し……まぁ比較的、多少は、もっと純粋な部分があった風に思う。しかし二十年も人の世の荒浪に揉まれるうちにすっかりスレた自分がいる。それは自然なことではあるのだろうが、どうしようもないやるせなさがあった。
「兄貴ィ、むずかしい顔してどうしたんですかい?」
「あー? なんでもねぇよ。気にすんな」
幼い頃から付き合いがあったふたつ年下の少年も、いまではすっかり彼の舎弟である。下っ端口調が板についているのは良いことなのか悪いことなのか。
「…………なぁハッチよぉ。お前はこの街で成り上がったりしようとか思わねぇのか?」
「えー、なにいってんすか。兄貴の下についてたほうが絶対楽しいっすよ。だいたい俺、馬鹿だし。人の上に立つとか無理っす。そういう兄貴こそ、昔はこの裏社会の首領になる! とか言ってたじゃないすか」
「ばっ……! お前そりゃこんっなガキん頃の話だろうが!」
若気のいたりな発言を蒸し返されて声を上げる。今になってそんな発言しようものなら角を曲がりしなに刺されて消されかねない。
そう、結局は分相応なのだ。今の状態が。
しがないチンピラという、裏組織のいち構成員として日銭を稼ぎ、日々を送る。真っ当ではないが、この世界では珍しくもない生き方だろう。
しかしある程度生活が安定し、ある意味でマンネリ化してくると得体の知れない不安感が襲ってくる。つまりは、将来への不安というやつだ。
果たしてこんな生活がいつまでつづけられるのか。知恵がまわるが故にそんなことをふと考えてしまう。
(魔族騒ぎで世の中は不安定だし、お先真っ暗だよなぁ)
「兄貴ィ、今日の昼飯何処にします? 俺、四ツ葉の野牛亭がいいと思うんすけど」
「お前はのんきでいいよな、本当」
「恐縮っす」
「ほめてねーよ」
別に頭脳労働は求めていないが弟分にもう少し緊張感がほしい今日この頃である。
「ったく……。とっとと仕事片付けてメシにすんぞ」
「うっす」
気合いを入れ直し、むかうのはひなびた一軒の商店。日影街ではよくある、国の認可を受けていない闇市の一角で営まれる食料品店である。
店の前で掃き掃除をしている娘が挨拶をしてきた。
「あ、ヘッジさんとハッチさん。こんにちは」
「おう、シーナ。親父さんいるかい?」
「ちはーす、集金ですぜィ」
「いま父さん、配達に行ってるので。ちょっと待っててください」
愛想良く笑顔をうかべて椅子を用意する。二人はそれに座って一服することにした。
「景気はどうだ?」
「サッパリですね。どこもそうですけど色々と値上がり続きで、商売上がったりですよ」
「この辺には買い占めだのやらかす奴ァいないが、余所のことまではどうにもならねぇからなぁ」
街道筋での魔族襲撃の頻発でただでさえ流通が滞っているところに、先日の南部農場襲撃事件だ。しばらくはこの状態がつづくだろう。
「それと……また“出た”らしいですよ。今度は落華通りのあたりで」
「うえっ、マジすか? 俺、昨夜通ったんすけど」
「あん? ハッチ、お前まだ通ってたのか。朱猫楼。あの女は絶対脈無いからやめとけっつったろ」
「なにいってんすか! 俺だって学習するっす! 今度は青柳館のユルミちゃんに切り替えてるっす!」
「結局おんなじだろうが!」
「ていうかそんなトコ行く金があるならツケ払ってください」
そんな感じでいつものように騒ぎつつ待っていると店主の男が帰ってきた。ぬっと背の高い、強面に向こう傷の大男。ヘッジやハッチよりよほど貫禄があるが、この日影街では真っ当で善良な部類に入る商売人である。腰に巻かれた小さな前掛けが非常にアンバランスだ。
「ただいま」
「お父さん。おかえり、ヘッジさんたち来てるよ」
「ちわっす」
「今月分の集金だ。用意できてるか?」
「待ってろ。いま出す」
一度店のなかに引っ込む店主。払い渋ったりしないあたりが人徳である。
「……ところでヘッジ、さっき途中で見慣れないのが歩いてるのを見たんだが、新入りでもはいったのか?」
「あん? 聞いてねぇが」
「どんな奴っすか?」
「えらく仕立てのいい、珍しい服着た若い異人の娘だ。旦那んとこの女中にしちゃあ、ちまっこいとは思ったんだが」
「……何処で見た?」
「三ブロック先、ガラクタ横丁にむかう路地のあたりだ」
ヘッジは少し考え、頭を掻いて立ち上がる。
「……ハッチ、集金は後回しだ。行くぞ」
「うぃっす?」
「悪ぃな親父。支払いは次に来たとき頼む」
足早に店をたつヘッジに、慌ててハッチは後を追う。店員二人の見送りを背に、ハッチは問いかけた。
「確認しにいくんすか? 気にすることないんじゃ」
「ただの女なら、な」
この日影街にはさまざまな素性も知れない人間が集まってくるが、大抵は前科者や居場所を追われたはみ出し者ばかり。異人も珍しくはないが、身なりの良い若い娘というのはまずない。そういった連中は、だいたいが着飾る余裕などない食うや食わずの貧困層だからだ。
(有り得るのは……どこぞの貴族のガキが迷い混んだか、慈善気取りの神官サマか)
貴族の子女が馬の骨に絡まれて怪我なんぞした日には、親が出張って日影街の住人と衝突になる可能性もある。
騒ぎが大きくなれば、日影街の存在を疎ましく思っている王宮や神殿までもがこぞって住人を狩り出すことになる可能性だってある。事実はともかく、向こうからみればこちらは王都周辺を不法占拠している状態なのだ。
どちらにせよ、下手にうろつかれると面倒ごとの火種になりかねない。
「さっさと保護するなり追い返すなりしちまったほうがいいんだよ。本気で住人になろうってやつで使えそうなら、旦那に紹介すりゃ俺らの株も上がる。そいつに恩も売れる。いいことずくめだ」
「おおーー……。使えなさそうだったら?」
「使えねえ奴なんざこの世にいねぇよ。お前だって馬鹿なりに使えてんだろ。…………最悪、売るなりまわすなりしてもいいしな」
最後の一言だけは小さく、ぼそりと呟くようだった。ハッチは諸手を叩いて賞賛する。
「さすが兄貴! 計算早くて無駄なくクズい!」
「ひと言多いんだよオメーはッ」
ぱかん!とハッチの頭をひっぱたくヘッジ。彼らは騒々しく件の街角へ向かっていった。
※
ガラクタ横丁。
そんな通称で呼ばれるその一角にならぶのは、文字通り“ガラクタ”の山だ。
いまにも崩れ落ちそうなあばら屋の軒下にひび割れた水瓶や穴のあいた蔓籠が置かれ、そこに差し込まれるのは錆びた刀剣、穂先の折れた槍。破れた外套や服飾の類いがうず高く積み上げられていて、割れた食器や家具までもがやっためたらと山となり混在している。
一見するとただ不要物が集められているだけの集積所のようだが、これでも商いのおこなわれている一角だ。時折、使いものにならないガラクタのなかに新品同様の神術具が混じっていたりするからあなどれない。
磨けば光るお宝が混じった、使えないガラクタの山。
この一角に集まる人間も、だいたいがそのようなものだ。血の気の多い連中が多く、ナワバリがどうのと徒党を組むチンピラ未満の若造が殴り合いをする光景は珍しくない。
そう、珍しくはない、のだが。
「おいおい、なんだよこりゃ」
そんなガラクタ同然な連中が倒れ伏し、死屍累々と文字通りの山を成しているというのは、さすがにあまり見ない。
「……いちおう、死んではいないみたい、っすね」
ぴくぴくと手足を痙攣させていたり、小さく呻き声をもらしていたりとほぼ虫の息だが、死んではいない。というか、そんなに死体がごろついていたら嫌だ。いくら日影街の治安が悪くてもそこまで陰惨としていては誰も住まない。
それよりも気になるのは、倒れた連中の様子だ。
(これは……氷か?)
さして深くないが、全身に刻まれた裂傷。それらを覆うように体から小さな氷瀑が吹きでるようなかたちで、氷の塊がはりついている。
(傷口ごと凍りつかせた、って感じだな。氷神の剣の使い手でも流れてきやがったか……?)
ガラクタ横丁の問題児たちの顔をざっと脳裏にあげるが、そんな大層な肩書きをもってわざわざここで燻りつづけるような奴はいなかった。そのはずだ。
「今度はどんなロクデナシが来たんだか……」
「兄貴、あっちみたいっす」
ハッチが指さす路地の先。角を曲がったその向こう側から、鈍い音といっしょに景気よく大の男が放物線をえがいて飛んでくるのがみえた。顔面のつぶれた鼻からの血飛沫が地面に汚く華咲かす。
現在進行形で大暴れ中の模様。
「うわぁ……、かかわりたくねーっすー……」
ハッチの言にヘッジも同意しかできない。だが立場上、ここで引くという選択肢もとれないのだ。
やけっぱちになりかけな心をどうにか鎮め、つとめて平静にその路地裏を覗きこんだ。




