011 妖怪談話 ー後編ー
あけましておめでとうございますー。
「どうぞ」
皮をむいて八等分にカットされた青リンゴもどきが供される。沙雪の手ずから、友里の口元へ。
「…………」
流石の友里も気恥ずかしいので身を起こし、手で受け取って自分で食べた。
蜜は無いが、ほどよく締まっていて食べごたえがある。噛むほどに広がる甘さが空きっ腹にしみわたる。しょりしょりと咀嚼を続けながら喋ることにした。
のそのそとやってきたサバトラが友里の足の上でふたたび寝そべる。
これで完全体、ではないけれど。
「そっちの事情はわかったけど、それじゃあこっちの世界の事情についてはアンタらも知らないのね」
「ああ、それについてはむしろこっちが聞きてぇな。あの国の連中から説明ぐらいあったんだろ?」
「……といっても、私も一日で牢屋行きだったし。さわりしか聞いてないんだけど」
召喚直後に伝えられた、異世界召喚の経緯について友里はひとおおり語る。
この世界の人間が、“魔族”という存在と敵対関係にあること。
魔族対策のため、戦力不足を補う目的で勇者召喚がおこなわれたこと。
共に召喚された鞍馬たち“妖怪”は魔族として扱われ、討伐対象とみなされていること。
友里が“魔物の使徒”なる特殊能力の持ち主で、危険因子として拘束されていたこと。
おおむねひととおり語ったところで鞍馬は一言。
「完全にとばっちりだな俺ら」
「お疲れさまです」
「他人事みたいに言うなや。しかしそうなると、俺らと山本は一蓮托生って考えていいのか?」
「戻ってもロクな扱いじゃないからね。こうして連れ出してもらえたのは有り難いよ」
というより、いっそ迎えにきてくれないか、と願っていた節すらあるのだが。
「むしろこの状況、私に都合が良すぎるぐらいなんだけどね? 助けてもらってなんだけど、ちょっと裏を勘繰るぐらいにはさ」
友里は、この状況で、単なる善意から自分が助けられたと思えるほど能天気ではない。ヒトの行動には善悪と同時に、利害関係がついて回るものだと考えている。
王宮に襲撃をしかけ、国ひとつを敵に回す。
それほどの行動を起こさせる価値が、自分にあるのか。
もしくは、それほどに彼らが追い込まれているのか。
その話の肝が、まだ分かっていない。
遠慮なく向けられてくる友里の猜疑の眼を、鞍馬はしばし真剣な顔で受け止めてーーーーぷはっ、と笑いを吹き出した。
「まっ、そうさな。慈善だけで助けた訳じゃあ勿論ない。俺たちがこっちの世界で“生き残る”のに、お前の力が必要なんだ」
「私の?」
期待して貰えるのは嬉しいが、私なんぞにできることがあるのか。
「うん。つーかね、もう大分俺たちの為に色々してくれちゃってるんだよな。すごい勢いで助けられちゃってるから、山本の自己評価が低いと逆に申し訳ないんだが」
鞍馬の言葉に、うんうん、と沙雪と鋼夜が頷いている。
はて何をしたかな、と友里は考える。
「お前さん、あれやってくれたろ? “百物語”」
「ん? ああ、やったけど?」
昨日にジラルと語った怪談。あれは別に、ジラルの興味を引くのだけが目的ではなかった。
百物語。
“噂をすれば影が差す”、“妖しい話は妖しなるものを引き寄せる”ーーーーその事例にならって、怖い話を並べていくとその百話目でお化けが出るとか地獄の門が開くだとか。日本では有名な話だ。
「鞍馬たちがヒトじゃあないってのはわかってたし、じゃあなんだっていったらどうみても烏天狗で、白神さんも下北山も他のも妖怪だしね。なら怪談でも並べてみたら来るんじゃないかなー、と」
「えらいフワッとした理由で動いてんな」
妖怪が実在するなら、と仮定した上での論理的行動である。突拍子もないとは思っていたし外れて当然の願掛けぐらいの気持ちでやったことだが、大当たりだった。
だから鞍馬たちが連れ出しに来てくれたのは半分は友里の期待通りでもあって、それほど動揺もなかったのだ。
「つっても別に俺たちはお前の百物語で呼び寄せられたわけじゃないぜ?」
「あ、そうなの? 百話もやってないから変だなーとは思ってたけど」
「まぁ数はこの場合問題じゃないっつーか……。まず、ここが異世界だってのが問題でな。さっきも言ったが俺たち“妖怪”は、俺たちに対して人間がもつ“畏れ”によって存在してる。畏れってのは“感情”から生まれるエネルギーで、それはつまり、俺たちを知る人間が俺たちに向けた感情そのものなわけだ」
ここまでいいな? と念を押す鞍馬。友里は黙って頷く。
「で、ここで問題なんだが……ここは異世界だ。日本じゃないどころか、地球ですらない。そんな異郷の地で、俺たち“妖怪”を知っているヤツがいると思うか?」
「…………そんなの」
いるわけがない、と続けようとして、はたと気付く。
そう、ここは異世界だ。異なる次元か別の銀河か。はたまた平行世界か。とにかく友里たちの地球とは隔絶された、別の世界。
この世界では魔族という名の、西洋のモンスターらしきものは実在しているが、しかしどうやら“妖怪”という概念はないらしい。昨日のジラルの様子から察しはついた。
知っていないのなら、当然、それらを“畏れ”るわけもない。
顔や名前どころか、存在していることすらも知らない相手は、怖がられることも親しまれることもない。
そこから彼ら妖怪を襲う現実はーーーー
「慢性的に“畏れ”が、エネルギーが不足する……」
「そういうこと。召喚直後にこの世界の連中が直接向けてくれた“敵意”とか“恐怖”で、なんとか逃げ出すだけのエネルギーは取り出せたけどな。それでも三日もつかどうかってとこだった」
「それって、なくなったら」
「死ぬ。いや違うな。“消滅”するって言ったほうが正しいか」
あっさりとした物言いに軽く流しそうになるが、それは非常に、非常に重要なことで。
死、ではなく、消滅。
死して骸を遺すことなく、
欠片も残らず、消えて、滅する。
「……大丈夫なの、それ」
「いまはもう大丈夫。っつーかね、それをどうにかしてくれたのは山本で、どうにかできそうなのも山本なんだよ。百物語と、おそらくその“使徒”の天職とやらのおかげでな」
百物語が彼ら妖怪にもたらした効果は想像できる。
この世界の人間は、妖怪を知らないから、彼らに“畏れ”をいだかない。それなら、“知ってもらえばいい”。
彼らが成してきたことを。
その姿形と、在り方を。
恐ろしく、時に妖しく、時に愉快に、世界を裏から守り立ててきた、彼ら妖怪という存在を。
友里がジラルや衛兵たちに伝えた物語が口伝や書物となって広まり、一定の畏れを生み出すことになったのだろう。
怖い話。面白い話。自分の心を揺さぶる話は、誰かに話さずにはいられないものだ。
「もう少なくない人数に広まってるみたいで、畏れの量も少しずつ増えてる。逃げるのに散り散りになっちまった他の連中も、これでしのげるだろ」
「けど“使徒”のほうは……私、なにかした?」
いまだに使い方も効力も判然としない自身の天職がもつ力に、心当たりのない友里は首をかしげるしかない。
「山本さん。召喚されてすぐあとのこと、覚えてる? 私が倒れそうになっていたの」
鞍馬に変わって沙雪が口を開く。
召喚直後。友里は沙雪と隣り合って一緒に立っていたが、たしかにあのとき沙雪は体調を崩していたようだった。
「あのとき私は、この世界にとばされて急に“畏れ”が減ったせいで倒れそうになってた。それで山本さんが支えてくれたけど、山本さんに触れたそのとき、急に身体が楽になったの」
「私に?」
「足りなかった力が一気に補給された感じ、だったんだけど。山本さんはなにか感じなかった?」
いわれて思い返してみるが、特になにも思い当たらない。色々ありすぎて軽く興奮状態ではあったが、異常はなかった、と思う。
そのあとすぐに神官らしい女性が飛び出してきて、沙雪たちの正体が暴かれたのだ。
「どうもこっちの世界には神術って魔法みたいな技術があるらしくてな。人に化ける術は徹底してたはずなんだが、簡単に破られちまった」
忌々しげに鞍馬は毒づく。
そしてそのあと、沙雪たちを討ち取らんとする騎士たちが襲いかかってきてーーーー
「そのとき、山本さんとまた触れ合ったでしょう?」
「ああ、たしかに手ェ握ったね」
逃げようと沙雪の手をつかんで、しかし異様な冷たさにすぐにはなしてしまった。だがたしかにあのとき、友里は沙雪の手に触れた。
「そのときに今度は…………なんだろう。チカラが流れ込んでくる、だけ、じゃなくて……。組み換わったような感じがしたの」
「組み、かわる……?」
「山本。そもそも、雪女って妖怪がどういうものか、知ってるか?」
感覚的な沙雪の弁に頭を悩ませていると、鞍馬が口をはさんだ。
ーー雪女ーー
冬の雪風吹き荒ぶ山岳に現れる、白く美しい女の姿をとった妖怪。
吹雪の山小屋で夜を明かす猟師のもとに現れ一夜の宿を求めてくるが、それに応じた男の生気を奪い凍りつかせ、殺してしまうという、“冬の雪山の脅威”が具現化した存在だ。
「雪女の能力は主に“ヒトの生気を奪う”、“極低温を発生させて対象物を凍りつかせる”ってぐらいなものだ。さっき沙雪がやってみせたような“巨大な氷塊を自在に生成する”なんて真似は本来、できないはずなんだよ」
温度を下げるだけでは“氷”はできない。そもそも氷とは“固体化した水”だ。雪や氷に包まれて現れるイメージのある雪女だが、それは周囲が低温となるにつれて空気中や物体に含まれる水分が凍りつき、そうみえるにすぎない。
氷を生み出すのは無から水を生み出すのとほぼ同じことで、それは雪女がもつ存在理由からは明らかに外れていた。
「能力が、変化してるってこと?」
「くわえていうと、それだけのことをやって全く消耗した様子がない。あんな大氷壁を造り出すなんざ、数百年前のジジイどもの世代でもできやしないだろうさ」
妖怪としての能力の変化とあきらかなパワーアップ。その原因が、友里にあるという。
一昨日にジラルが語っていたことが思い出されて、友里は右手を翻した。取り出したカードをあらためて確認する。
“降魔の祝福”。
“療魔の右手”。
二つ並んだスキル。このどちらかが、あるいは両方が発動した、ということだろうか。
(特に意識してなくても、条件が合うと自動で発動するんだろうか)
肩書きに見合った対象に加護を与えるという使徒の天職。思った以上に危なっかしい力なのかもしれない。
「さっき俺が飛んだとき、二人と一匹連れててもほとんど消耗しなかったしな。少なくとも回復能力に近いのは確かだ」
通常の補給方法よりも安定して、確実に力を供給できる。それは“畏れ”というあやふやなエネルギー源の有無が生死に繋がる妖怪たちが、この異世界で過ごすうえでの生命線ともなりうる能力だ。
何をおいてもまず確保しようとするのは納得である。
なるほど、これは確かに一蓮托生だ。
友里自身にチカラはないが、鞍馬たちに与えることができる。同行することで友里は安全を確保し、鞍馬たちは安定した力を発揮できる。
ギブアンドテイクで健全な関係だ。文句のつけようはない。
「見知らぬ異世界人よりも、同郷の人外のほうが億倍頼りになるよ」
友里の物言いに鞍馬はカラカラと笑い、沙雪も薄く微笑んでいた。鋼夜は、表情は読めないが少なくとも不満ということはないだろう。
「ぼちぼちいいか」
話し込むうちにも熱せられていた川魚がいい香りを立てている。数本立てられた焼き串の一本を鞍馬は友里に寄越す。
肉食獣の犬歯じみた太い牙をもつ、赤みがかった銀鱗の魚類。らしいといえば異世界らしい見たこともない種だが、滲み出る脂とその焼ける匂いは食欲の中枢をガツガツと叩いてくる。
「いただきます」
いうが早いか友里はかぶりつく。武骨な見た目に反して肉はやわらかく小骨も少ない。じゅわりと口内に旨味が広がる。塩もかけていないただ焼いただけの魚だが、友里にとってはほぼ二日ぶりの温かい食事だ。
何事にもほとんど拘りのない友里だが、食に関してはけっこうな執着がある。美食や食い道楽とよべるものではないが、確固として定められた譲れない一線。
すなわち、“一日三食、温かいものをお腹一杯”。
(それがちゃんとしてれば牢屋暮らしでもいいんだけどね)
現代地球の刑務所暮らしの実態をワイドショーで見た際に、悪くないんじゃないかと思ったことがあるのは秘密である。
『なーーぅ!』
ずーるーいー! とでも言いたげに友里へのしかかって爪を立て、鳴き声をあげるサバトラ。
みかねた鞍馬が小さめの魚を一本、足下へ投げ渡す。サバトラは素早くそれに飛びつき、
『んニ゛ッ……!』
熱ッ! と一瞬悶えたものの、その後は熱々の焼き魚を猫舌もなんのそのな勢いでがっつきはじめた。
一人と一匹がほぼ同レベルの様相で食事をする風景に、鞍馬の眼差しが生暖かい。そんなことは一切気にせず、咀嚼の合間に友里はたずねた。
「それで…………一緒に行動するのはいいんだけど。この後はどうするつもり?」
「まずは他の妖怪連中を探したいと思う。消滅はまぬがれてるだろうが、そう長いこと潜伏しつづけてはいられないだろうからな」
友里の百物語で畏れの補給経路はできたが、それも最低限のものでしかない。仮に神殿の追手にせまられた場合はそれに際して得られる畏れを差し引いても、消耗は避けられない。逃げ続ける消耗戦をずるずると引き伸ばしても、待っているのは消滅だけだ。
「探すあては?」
「さぁ……だが妖怪は、ヒトの営みから離れられないもんだ。とりあえず城下街に探りをいれてみれば、なにかしら情報は入るだろ。ここを離れるにしても装備なり食料なりをととのえねぇとな」
ほぼ召喚直後と同様、着の身着のままの一行は手持ちの食料も着替えの服もない。
「そもそもまだ、ここがどんな世界なのか知れねぇし。西か東か北か南か、何処へ向かえばいいのかもわからねぇんだ」
それもまた道理だ。
文化に風習、社会制度や国家状勢に関しての情報もろくにないのでは、方針も定まりきらない。
誰を信じるべきか、何処に向かうべきか、何を為すべきか。
友里が関わってきたのは、まだこの世界のほんの一部でしかないのだから。
「ご馳走さまでした」
青リンゴもどき一個に焼き魚をたいらげて、友里は合掌した。サバトラもまた骨だけになった魚を前に顔を洗っている。
取り急ぎ確認すべきことを話し、いい具合に腹も満ちた。
「じゃ…………動くのは、また明日からってことで……」
となれば、次に襲うのは睡眠欲だ。
緊張の糸が切れて次第に重くなるまぶたをぎりぎりこじ開けながら、うつらうつらと舟をこぎはじめる。
「……あー……ちょっと、そろそろ限界……。ひと眠り、する」
友里はその場で態勢をいれかえ、寝ころぶ。焚き火から遠すぎず近すぎずで、暖のとれる場所。地面にそのまま寝ることになるが、もはやそれも頓着できないほど眠い。
目を閉じて数秒、枯れ枝の跳ねる音が聴こえて、すとんと眠りに落ちた。
※
「…………寝たか」
静かに寝息を立てはじめた友里に、鞍馬は肩の力を抜いた。
「牢屋にぶちこまれて堪えもしねぇわ。お偉いさん相手に啖呵切って喧嘩は売るわ。胆の太いやっちゃな。いつもこんな調子なのか、こいつは?」
「さぁ。でも、山本さんらしい気もするわ」
抑揚の少ない声で、呟くように沙雪が言った。
そんな風に言葉をもらす彼女の変化は、色々な意味で鞍馬の生き肝を抜いている。それがこの一介の人間の少女によるものであることは、間違いないのだ。
「……鋼夜は、山本とクラス同じだろ。何か変わったとことか知らないのか?」
「………………山本は、基本……変、なやつ、って、言われてる。あんまり、騒いだり、しない。でも……おとなしい、わけでも……ない……。いつも、独り……けど、案外、目立つ……」
「だろうな」
たどたどしく、語る鋼夜の弁。
目線を合わせようとしないそれは、雄弁な友里の様相とはまた正反対で。しかしそれだけに、次の言葉が鞍馬には意外だった。
「でも……悪いやつじゃ、ない。俺は…………嫌いじゃ、ない……」
「……へぇ」
まぁ、これからは一緒にやっていくのだ。不満がないなら、それで結構。
明日からはまた、忙しくなるだろう。夜明けまで、もう数時間もない。鞍馬はそのまま目を閉じる。
妖怪たちの夜は、静かに静かに更けていった。