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009 霰のち氷柱 月夜に烏 


 約二日ぶりの邂逅であるが、鉄格子をはさんで見る沙雪にくたびれた様子はなかった。月明かりに映える汚れひとつない白の着物姿。涼しげな目もとといい、凛としつつも儚げなクール系の美人さんである。



(いや物理的にも寒いんだけどね実際)



 毛布にくるまったまま友里がにじりよると、さらにもう一人の人影が顔を出した。



「おう、いたいた。無事だったーーーーって、わけでもなさそうだな」



 軽々とした口振りとともに現れたのは、浅黒い肌をした長身の青年。着ているのが黒の詰襟なこともあり全体的に沙雪とのコントラストが大きい。



「今日は、そっちの姿なんだね。鞍馬」


「お、やっぱわかるのか。つーか本当にビビりもしねーのな」



 ほんと可愛げねーなー、とぼやかれるが余計なお世話である。


 鞍馬(くらま)宗司(そうじ)。友里と同じく二年生で、軽妙な立ち振舞いと容貌から学校ではかなり目立つ男であった。

 沙雪とはクラスメートで、けっこうな頻度でつるんでいた。ついでにいうと、召喚時の一件で姿を消したひとりでもある。


 つまりは、沙雪と同系列のなにか、ということだ。


 しかし、まぁーーーーそんなことは友里にとって“どうでもいい”。



「いちおう聞いとくけど、連れ出しにきてくれた、って認識でいいの?」


「ああ、まぁな。いけそうか? 沙雪」


「…………うん。大丈夫」



 沙雪が覗きこんでいるのは檻の鍵穴。地球のものと比べればそこまで上等なものとはいえないが、それでもかなり頑丈にできている。鍵は陰険ジジイが管理していてこの場にはない。


 ではどうするのか、と思うと、沙雪はおもむろに右手を顔の前に軽くかかげた。




《…………チリーーーーン》




 静かな音とともに収束する冷気。沙雪の手のひらからぬるりと現れたのは、氷の塊。手のひらサイズのそれは沙雪の細い指先にしたがってぐにゃりと形を変える。

 できあがったのは小さな氷の造形物。透きとおった氷でつくられた鍵であった。


 それを鍵穴に差してまわせば、がちゃりと音を立てて解錠される。

 ツールなしでピッキング。見事なものである。



「むこうに戻っても使えるのかね、これ」


「……戻っても、こういう使い方はしません」



 うらやましげな鞍馬をあしらう沙雪。名実ともにクールを体言するようになった彼女であるが、出てきた友里を見て顔色が変わった。



「山本さん、怪我してる」


「ん。あー……ちょっと叩かれたから」



 目の横を触ると乾いて粉末になった血がぽろぽろと落ちる。軽く熱をもっていてはれぼったい。今自分がどういう状態なのかよくわからないが、せめて顔を洗ってすっきりしたい。動けないほどでもないが、蹴られた腹もまだ痛みが残っている。


 渋面になる友里の顔に、沙雪はそっと手を触れてきた。

 ひやり、と冷たい感触が伝わる。するりと傷回りを撫でられると、心地好い冷気が肌に残る。



「少し、熱を獲ってみたけど。どう?」


「…………ん、楽になった。ありがとう」



 礼をいう友里に沙雪は「よかった」と微笑みで返す。何故だか、過日より表情が豊かになっている気がした。

 手足の鎖も取り外されて、ようやく友里は自由の身になった。擦れて赤くなった手首を撫でて調子を確かめる。特に違和感もなく、これなら普通に動けそうだ。



「よし。とっとと逃げるぞ。なるべく音をたてずについてこい」



 先導する鞍馬に続いて友里、そのあとを沙雪が追っていく。暗い牢屋から外への道すがら、ところどころに氷像と化した兵士が立っているのがホラーであった。



「派手に()ったね。白神さん」


()ってません……」


「固めて動けないようにしてるだけだから一応生きてるよ。半日もすりゃ自然解凍されるだろ」



 凍傷とか大丈夫なんだろうか、とか常識論が友里の頭をよぎるが気にするのはやめておいた。とりあえず即死しない程度の扱いならば特に心は痛まない。


 そうこうしているうちに建物の外へ出る。時刻は夜。異世界らしく澄んだ空気の空はきらびやかな星がまたたいていた。一日と半分程度だが、暗い閉塞空間から解放されて幾分か気持ちが晴れた。

 深く息を吸い、吐く。



「やっぱシャバの空気はいいねー」


「女子コーセーの言う台詞じゃねえよな。無理もねぇけど……っとこっちだ。隠れろ」



 牢屋のある建物から離れた生け垣の中に隠れる。高校生三人が身を潜めるとなると、長時間一ヶ所に留まり隠れ続けるのは現実的ではない。見廻りの衛兵もいるだろうし、牢屋の被害状況も遠からず発覚する。はやいところ遁走するべきだ。 



「いまさらだけど、どうやって逃げるつもり? やっぱり翔んでいくの?」


「そのつもりだが、二人連れてだと速度が落ちる。城壁の上にも見張りはいるし、狙撃されるとちょい厳しい」



 城をぐるりと囲む隔壁の高さはおよそ十メートルほど。遠目に見ても城壁の上のところどころで複数の光源が動いているのがわかる。

 魔族が国の重要施設を破壊しているという話だ。襲撃を警戒するもの当然だろう。一昨々日の沙雪たちの一件もある。



「それじゃどうやってーーむぐっ」



 友里の口が鞍馬の手で閉じさせられる。それと同時に遠くから慌ただしい胴間声と半鐘の響きが届いてきた。



 ーーーー襲撃だァ! 戦闘準備!


 ーーーー氷魔だ! 氷魔が出た!


 ーーーー“使徒”が逃亡しているぞ!


 ーーーーまだ近くにいるはずだ!


 ーーーー探せ! 探しだして討ち取れ!



 …………非常に物騒な内容である。



(そんなに私が憎いかコンニャロども)



 いい加減、友里の苛立ちもピークに近い。呪詛の二三も飛ばせたら、と本格的に願いたくなってきた。

 騎士が走れば鎧兜の音が響く。まだ近くには来ていないようだが、ここまで来るのも時間の問題だろう。


 そんなときに、生け垣のむこうがガサリとうごめいた。一瞬、三人とも身を固くして構えるが、しかし現れた影は殊更に小さい。


 緑の葉の下から顔を出したのは灰色縞の毛玉だった。



「サバトラ?」


『うなー』



 こちらの世界へ共にやってきた毛むくじゃらの同居人は、友里の姿を確認するとすぐさまに駆け寄って首の後ろをこすりつけてきた。抱き寄せた友里は背中の毛並みを撫でると、その変わり様に眉をひそめる。

 ふくふくしていた柔らかい体毛のところどころがチリチリと固く変質している。高温の火で炙られたような感じだ。よく確認すれば顔にも背中にもにも小さな傷がいくつもついていた。



「なにがあったの?」


『うー……』



 その鳴き声の意味するところはわからないが、友里には起こったことの推測がついた。


 要は友里が“魔物の使徒”と発覚したせいだ。


 友里自身は幽閉されたが、もちろんそれで終わるわけもない。友里の身の回りや、関わりのある人物に対しても探りを入れてきたはずだ。排他的な宗教色が強い御国柄のようだし、「“使徒”と通じる者はすべからく危険分子」とでも言い出して少しでも疑わしければ即排除となってもおかしくはない。

 一緒に召喚されてきた小動物など、わかりやすく槍玉にあげられる対象だろう。こう言ってはなんだが人間を迫害するよりも簡便だから尚更だ。


 小さな体に刻まれた傷を確かめながら、友里は去来する様々な感情を奥歯で磨り潰す。



「…………ごめん。巻き込んで」



 友里が謝って済む問題でもないし、自分が悪いとは友里自身も思っていない。けれどそれでも、言葉にしないと気持ちが消化できなかった。そんな虚しいだけの台詞しか吐けない自分が情けなく、そんな状況をつくったあいつらへの怒りがおさまらない。

 サバトラはただされるがまま、友里の腕のなかで震えていた。



「……鞍馬。こいつも一緒にいける?」


「まかしとけ。毛玉のひとつやふたつ、重りにもならねぇよ」



 そう言って鞍馬は上着の袖をまくりあげる。露出した前腕にかけられた武骨な腕時計を確認する。



「さぁて。現在、日本時間で午前一時五十九分三十秒。作戦決行まで、あと……二十秒」



 含みのある笑顔を浮かべて鞍馬はカウントを始める。


 なにを始める気なのか。それはわからないが、わざわざ宣言した時刻の意味合いはわかる。



 午前二時。十二支相関の時刻表示における、“丑三つ時”。

 軒下三寸下がり込み、草木も眠る“彼ら”の時間。



 ニィッ、と歯をむき出しにして笑う鞍馬の顔が変わる(・・・・・)


 口元が前方へと突きだし、黒い光沢をもって固く、先端は鋭く流線形の丸みをおびて伸びる。

 頭髪の間をぬって生い茂り変化した顔面を覆い尽くすのは、夜空よりもなお深き黒の“羽毛”。獰猛さをうかがわせる両の目は、暗闇でも獲物を逃さない“猛禽の眼”。背中をつきやぶり生えるのは漆黒の“翼”。


 黒き鳥面人身の妖怪、烏天狗がそこにいた。



「おー……」



 間近で変身シーンを目撃した友里は驚愕ともいえない感嘆に近い声をもらす。その様子に鞍馬は烏の顔でもわかる苦笑を浮かべた。



 そして、秒読みはゼロとなる。



 それと同時に轟音が響いた。




     ※



 聖ディルムンティナ王国王城。


 この城の建つ土地は王国が成立した九百年前より以前の頃から、代々の国の城が築かれてきた要所である。

 いまだ大陸全土が戦乱のなかにあった時代。国が成っては滅びるを繰り返していたが、しかし城の建つこの場所だけは変わることはなかった。古い城に増改築を繰り返すかたちで大きくなり、今の状態に至っている。


 なぜ、この場所にこだわるのか。その理由はこの土地からあふれでる“神力(しんりき)”にあった。


 “神力”とは、読んで字のごとく“神にまつろうものの力”。森羅万象を統べる神々の力そのものである。

 世界中に遍在しているこの力は、水脈や風の流れと同じく一定の法則性をもってこの世を循環しつづけている。ある土地にて大きく吹き上がり、広範囲に降りそそいだ後に大地へと吸収され、地下を通ってやがてひと所に集まり、再び地上へと吹き上がる。


 世界中に点在する神力の吹き上がるホットスポットが、この王城の建つ土地そのものなのだ。


 吹き上がる神力というエネルギーは、様々なかたちで恩恵をもたらす。神力を用いて発動する神術の威力の向上・行使にかかる負荷の軽減は勿論のこと、神術を用いる才覚そのものが発現する確率も上がる。

 それは当然、城の防衛機能にも活用されていた。隔壁強度の強化、侵入者の感知・通報機能、不可視結界の発動など、その機能は多岐にわたる。


 とはいえ、実際にそれらが使われる機会はほぼなかった。そもそも王城が攻め込まれるという事態は国そのものが傾きでもしないかぎり起こり得ないものでこの九百年間、大きな危機もなくこの国は営まれてきたのだから。


 しかしこの数日、王城内は厳戒体制が敷かれていた。勇者召喚と同時に魔族が現れた一件から、城内の警備体制を抜本的に見直す必要がでてきたからだ。

 王宮の内外を阻む結界をすり抜けて侵入し、あまつさえ一匹も討伐すらできずに逃亡を許してしまったのだ。これでは何のための防衛拠点なのかわからない。

 新たな神術の術式開発がいそがれるなか、見廻りの人員の増加で急場をしのいでいる。


 の、だが。


 その衛兵たちは現在、恐慌状態に陥っていた。




「なにがおきたァっ!?」



 指揮官の騎士が声をあらげる。場所は城外壁の上。外からの侵入を警戒する第一陣である。

 ほんの三日前までは比較的肩の力を抜いていられる、いわば衛兵たちにとっての“アタリ仕事”といわれていたが、現在では戦場最前線並の緊張感で張り詰められていた。

 それに応えるように、異常事態が発生しているのだから笑えない。



「ひ、東側城壁より轟音! 硬性物体が衝突した模様!」


「城壁上通路が一部、破壊されました! 通行不能!」



 指揮官は耳をうたがった。この外壁は実際の厚さはもとより神術による強化が施されたもので、そうそう破壊されるようなものではない。なまなかな投石機や破砕弓ではまず打ち崩せない代物である。

 それを越える破壊力を有するものというと……。



「魔術光は観測できたか!?」


「未確認です!」



 神術に対抗しうる、魔族が用いる強力な術式は使用時に独特の光を生じることが確認されている。夜のなかで使われればそれなりに目立つ。

 それでも城壁を破壊しうる威力というのは想定しにくいが、それ以外に考えつかなかった。



「上等級魔族の襲撃かもしれん! 敵影が確認でき次第報告しろ!」


「了解しっとぁあっ!?」



 返事の途中で再びの轟音。城壁全体がぐらりと揺れた。



「東側城壁に第二撃!」


「これ以上崩れると不味いぞ! いったい何が」


「あ……アレだ! 見ろ!」



 城壁から身を乗り出して破砕された箇所を覗き込む兵が指をさす。



 大きく、直径五メートル近い範囲で抉られた城壁、その中心部に巨大な、透明度の高い物体が突き刺さっていた。



「ひ、氷塊、か? あれは……」



 直径およそ二メートルを越える巨大な氷の塊。極北の地の大氷河から切り出したような代物が、城壁を破壊しているのだ。


 呆然としている衛兵たちの思考を叩き割るがごとく、次々と氷塊は城壁へと突き刺される。



「て、敵影を確認しろ! 上等級の襲撃に違いない!」


「し、しかし上官! 確認といってもーーーー」



 衝撃によって足下が覚束ない兵たちを叱咤する。

 東側城壁の外から先は、広大な森がひろがっている。何者かが潜むには絶好の場所であろうが……。



「敵影、確認できず!」


「氷塊の発射点は森の奥のようですが……魔術光も見当たりません!」


「なんだと?!」



 報告に上官は愕然とする。魔術光が確認できないとなると、魔術による攻撃ではないことになる。

 いや、この温暖な王国で氷を生み出したのは魔術でないと不可能であろうが……。しかしこれだけの質量を射出するのに魔術を用いていないというのか? いったいどうやって?



 混乱をきわめる城壁上の現場を、指揮官は落ち着かせるのだけで精一杯だった。



     ※



「っひょーー! 派手にやったな鋼夜のやつ」



 至極愉快そうに鞍馬は笑う。鳥の頭に表情筋なんてあるのか、とか、そもそもクチバシなのに笑うとか無理なんじゃないか、とは思うが、しかし当人の愉しげな感情が非常によく伝わってくるため“笑っている”としか友里には思えない。

 見ても表情に変化はないのに、しかし爆笑といっていいほどに“笑っている”と感じてしまうのは妙な感覚だった。


 隠れた場所からも確認できる崩壊寸前の城壁を見て、なにやらせてんだ一体と問い詰めたいところだが、今は逃げるのが先決だろう。ため息をついて友里は肩を落とす。そんな隣で沙雪が動きだした。そっと腕をまくり、地面に両の手のひらをつける。



「……いきます」



 小さな宣言と同時。ふわり、と冷気が走る。


 そこから先の変化は一瞬だった。



 ピキピキと音をたて、伸び上がる巨大な“氷筍”。直径五十センチは下らないであろう極大のそれが瞬く間に次々と地面から生えてくる。


 伸びて伸びて伸びて。

 生えて生えて生えて。

 城壁よりも高く、隙間なく。


 やがて出来上がるのは二枚の巨大な氷の隔壁。一部が崩れて脱出しやすくなった城壁の元へと繋がる、一本の道であった。

 仕舞いには友里たちの背後まで隔壁を生み出し完全に中と外を遮断する。

 全工程に十秒もかかっていない。



「すご……」



 もはやそれしか言葉にならない。若干下がった気温に身震いし、抱き締めたサバトラのぬくもりで、思い出す。


 これは夢ではない。まぎれもない、現実であると。



「っしゃ! じゃあ行くぞ!」



 バサリと大きく翼をひろげ、鞍馬が友里を抱き寄せる。夢現のような光景を前に、友里はほとんどされるがままだ。

 沙雪のことも招き寄せ、左右の小脇に抱えこむ。



「しっかり掴まってろよ!」



 一瞬で重力を振り切り、鞍馬の翼は上空へと駆け上がる。

 機械の力を用いず、空を掴み、宙を往く。

 人類未踏の感覚に、友里は再び酔いしれた。



「……ははっ」



 両脇でそびえる氷壁も。周囲を包む喧騒も。城壁の破壊跡も。すべてを押し流すように空を滑り往く。気がつけば、城はすでに遥か後方だ。


 眼下を流れていく夜の森は、何が潜んでいるかもわからない。


 それでも友里は今、愉しくて仕方なかった。





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