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LinkRing  作者: やくも
92/130

Episode92:そして、夜


 意識を失っていた時間はどれほどだっただろうか。

「……う」

 呻き声を漏らしながら、氷室はあすふぁるとのうえにうつ伏せになっている自分の体をゆっくりと起こした。

 全身にあちこちにまだ痺れるような感覚が残っており、さらに重力が自分とその周囲だけ強くなっているのではないかと疑うほど、体は鉄の塊のように重苦しかった。

 自身の体重を支えながら立ち上がるだけのことがこんなにも辛いのは、恐らく生まれて初めての体験だろう。

「っ、私は、何を……」

 重苦しいままの頭で、現在の状況を整理する。

 脳までもが鉄球のように重苦しかったが、間もなくして思考は普段どおりに活動を再開した。

「……そうだ、やつは……」

 思い出したように周囲に視線を這わせる。

 が、街外れの一角には人気どころか猫の仔一匹さえもその姿を見せず、とうに夕暮れを迎えた秋の寒い木枯らしだけが、行き場を失った迷子のように吹いていた。


「くっ……!」

 いくら不意をつかれたとはいえ、これは大きな失態だった。

 せめてもう少しでも早くこの場を離脱できていれば、こうはならなかったはず。

 ……いや、だがあのとき冷静にこの場を離れようとしたところで、恐らく彼がそれを黙って見過ごしていたとは考えにくい。

 もとより彼に戦う意思はなかったのだろうが、それでも恐らく同じ目に遭っていただろう。

 あれが催眠術の一種なのか、それとも何かしらの魔術めいた力なのかは分からない。

 だが、どちらにしても常識で考えられる範囲のものではないことは確かだ。

 『Ring』によって氷室達も人知を超えた力を手にしているので、そこを疑うことはない。

 しかし、あれはそんな似たような力でありながら、何かが絶対的に異なるものであると氷室は理解する。

 面と向かってみて初めて分かる。

 恐怖でも不安でもない。

 危機感でも絶望感でもない。

 あらゆる負の感情が凝縮され、それを引き連れて歩くあの姿は、やはりバケモノとしか形容することができない。

 しかしバケモノとはいっても、今の氷室達も一般常識から見れば同じ部類のはずだ。

 常識では考えられない、ありえないとされるはずの力を手に入れている時点で、バケモノに一歩近づいていることは間違いない。

 それでも氷室は断定する。

 自分達とあれは、違う。

 決定的に違う。

 同じ一本のラインに並んでいる中で、あれだけが直線を乱している。

 整然とした図形の中に歪な図形が一つだけあれば、誰もが不審に思うだろう。

 それと同じだ。


 過程をすっ飛ばして、今こうして成り立っているという点では同類だ。

 だが、根本的な部分があまりにも違いすぎる。

 言い換えるならそれは、生い立ちと言ってもいい。

 人間の子供が母親の胎内から何ヶ月も時間をかけて出てくるところを、あれだけが自分から母親の体を突き破って這いずり出てくるようなものだ。

 本来ならそれは未熟児として死を迎えるところ、あれは生き延びている。

 生まれたときから狂っているのではない。

 生まれる前から狂っているのだ。

 それも、極めて冷静に、なおかつ真剣に狂っている。

 聞こえが悪い言い方をすれば、自分がその世界の中心に位置しているという思考で動いている。

 だがそれは、あれの場合に限って言えば決して間違っていることではないのだ。

 現時点でこれはまだ推測に過ぎないが、もしもあれが真吾の話していた、自分の分身に当たる存在だとしよう。

 そうすると、あれもまた神によって創られ、そして世界を監視するために放たれた存在ということになる。

 神の分身。

 それはつまり、神と同等の力を持っていたとしても不思議ではない。

 分身とはつまり、鏡に映るもう一人の自分のことだ。

 鏡に手を触れたところで、その手は表面に触れるだけ。

 無理に力を入れれば鏡は砕け、触れた手は血に染まるだけだろう。

 しかし神は違った。

 触れ、その奥から、引きずり出す。

 その身の写し身を引きずり出す。

 それはまさに、完全なる複製。

 神であって神ではない、しかし神と等しい力を持つ存在。

 本来それは、一つの世界に一つだけ放たれるはずだった。

 しかし偶然の果ての運命の中で、この世界には二つの神の化身が放たれた。

 一人は真吾。

 そしてもう一人がさっきのあれではないかと、氷室は考える。


 何をしようとしていると問い、あれは答えた。

 じきに分かるときが来る、今はただ待てばいい、と。

「……待てばいいというのは恐らく、全ての封印の開放のことと見て間違いないはず。全てが開放されると、何かが起こるということなのか、それとも、それさえもまだ何かの過程に過ぎないということなのか……」

 しばし考えをめぐらせるが、やはり現段階でははっきりと分かる答えは浮かんでこない。

 結局はこのまま、あれの言うとおりに待つしかないということなのだろうか?

 現状維持ほど不満に繋がるものはない。

「……もう少し、何かあと一つでも、手がかりになることがあれば、何かが見えてきそうですが……」

 その何かが、今は見えない。

 その目が曇っているわけではなく、真実とは常に闇の中で呼吸するものだからだ。

 闇。

 それはつまり、あれが引きずっていたもの。

 あの中に、隠蔽された真実があるのかもしれない。

 そうだとして、ではどうする?

 あの闇の中に、手を突っ込んで引きずり出してみようか?

 ……冗談じゃない。

 氷室は内心で呟いた。

 あの闇は普通の闇とはわけが違う。

 手を突っ込むどころか、触れることさえも敵いはしないだろう。

 触れるより先に、近づくだけで精神が灰になりそうなプレッシャーだった。

 万が一、その闇に触れることができたとしても。

 それはそれで、もう終わりだ。

 触れれば最後、跡形も残さずにその闇自身に全てを喰らい尽くされるだろう。

「……戻りますか。ここは、冷えますね……」

 誰に呟くわけでもなく、そう一言口にして、氷室は重いままの体を引きずって歩き出す。

 黄昏は一面の空に広がり渡っていた。

 間もなく、夕闇が闇へと姿を変える。

 何かが起こるなら、これからだ……。




 クロウサはぼんやりと空を見上げていた。

 いや、空というにはその景色はあまりにも殺風景なものだった。

 雲もなければ太陽もなく、星もなければ月もない。

 なんとなく時間の感覚で、今が夕方と夜の間なのだということは分かっているが、それだけだ。

 上を見るということが空を見るということならば、きっと今のクロウサは上を見ているだけなのだろう。

 瓦礫の下にできたこの場所からでは、外に出ないことには本当の空模様を見ることはできない。

 壁際に座らせられ、自由に動かせない手足をだらりとぶら下げて、ぼんやりと上を見る。

 昼過ぎに、蓮華が戻ってきた。

 言葉は交わさなかったけれど、ずいぶんと疲労した様子だったところを見るからに、封印の開放を終えたのだろうと思った。

 これで残りはあと三つ。

 そういえば、かりんの持つ音の封印もまだ開放していないなぁと、クロウサは思った。

 もしも開放したら、やはり他の人と同じように苦痛に耐えなくてはいけなくなるのだろう。

 自分で言うのもなんだが、幼いかりんにそれを耐え、乗り切ることができるのだろうか?

 心配の種は他にもいくつかあったけど、今一番大きな割合を占めているのはそのことだった。

 本音を言うと、封印開放なんて真似はしなくてもいいと思う。

 だけど、そう言ったところでかりんは考えを改めることはないだろう。

 過去にも何度か似たような話を持ちかけたことはあったけど、答えはいつもノーだった。

 かりんが追い求めている望みを思えば、それも当然のことだろうとは思う。

 だけど、オイラは今でも信じられない。

 何でも望みが叶うだなんて、そんなことがあるわけない。

 もしもそれが事実なら、今あるこの世界は途端にバランスを崩してしまうことになる。

 能力者として選ばれなかった人間達が、我先にと『Ring』の元へ集まるだろう。

 富を求め、地位を求め、力を求め、永遠を求める。

 そして世界は間違いなく崩壊する。

 本当の意味で戦争が起こることになるだろう。


「…………」

 表情は変わらないが、クロウサは実際のところ少し迷っていた。

 かりんと共に歩むことを決めたのは自分自身だけど、その道が正しいかどうかなんてそのときは疑わなかった。

 たとえ間違っていても一緒に行くと決めたし、反面、本当に間違っているときは必ず止めてあげようとも心に決めていた。

 けれど、徐々にだけど、オイラの言葉はかりんに届かなくなっている。

 もうすぐ全てに区切りがつくと知って、かりんは少なからず喜んでいる。

 無理もないだろう、願いが叶う瞬間がもう少しというところまできているのだ。

 かりんでなくたって、喜びを隠せないはず。

 けれど、オイラは違う。

 その区切りが近づくにつれて、オイラの中の不安はどんどん大きく溢れてくる。

 これでもかというくらいに押し寄せて、おいらは押し潰されそうになってしまう。

 だけどそんなこと、かりんには言えない。

 あんなに必死になっている姿を見たら、言えるわけがない。

 もうやめてくれ、なんて。

 諦めよう、なんて。

 言えるわけ……ないだろ……。

「かりん……」

 上を見て、その名を呼ぶ。

 返事はない。

 オイラは思う。

 多分この道は、間違いなんだ。

 でも、それでもオイラは……最後までかりんと共に、歩いていくことを選ぶと思う。

 例えこの先が、暗闇だらけの未来でも。

 与えられた希望が、みせかけだけのものだとしても。

 どこまでも行こう。

 けれど、もし……もしも、かりんが間違いに気付くことができた、そのときは……。


 「――大丈夫さ、かりん。必ずオイラが、助けてあげるから……」


 そう、一言。

 上ではなく、見えない空に呟いた。



更新が途絶えてしまってすいませんでした。

先月末から風邪をこじらせてしまい、今もまだちょっと完治とは言いがたい状況です。

寝たきりで数日過ごしていたので、そのせいもあってすっかり続きを執筆できませんでした。

どうも申し訳ありません。

とりあえずは動けるくらいに回復しましたので、ややスローペースではありますが、執筆の方も再開していきたいと思います。

ご迷惑をおかけしました。

今後もよろしくお願いします。


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