表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LinkRing  作者: やくも
88/130

Episode88:遠回りなお節介


「……っ」

 視界が揺らぎ、足元がふらつく。

 少し力を使いすぎただろうか。

 蓮華は壁に背中を預け、そのまま引きずりおろされるように地面に座り込む。

 体中が熱い。

 血液の中に熱湯を注ぎこまれているかのようだ。

 痛みよりも苦しみが先行し、気が狂いそうになる。

 よろよろと立ち上がり、それでもどうにか前進を続ける。

 分かっていたことではあったが、実際に体感するのと想像するのとではこうも大差があるものなのか。

 目の前は霧がかかったようにぼやけ、前に進んでいるかどうかすらも怪しくなってきた。

 と、ふいに体重が前のめりに傾いた。

「う……」

 今まさに倒れようとする体だが、足に踏ん張りを利かせるだけの余裕もすでに残っていない。

 そのままうつ伏せに、冷たいコンクリートの地面に叩きつけられるかというその瞬間。

「……っ?」

 ふいに体は別の力に支えられ、中途半端な体勢で崩れることを止めていた。

「……日景、か?」

「無理をするな。すでに反動が始まっているのだろう?」

 日景は蓮華の横に並び、倒れかけた体に腕をすりこませ、その体を支えていた。

「歩けるか?」

「……ああ、何とか、な……」

 日景の肩を借り、蓮華は少しずつ前に歩き出す。

「……何てザマだ。開放の反動で、まさかここまで体が言うことをきかなくなるとはな……」

「卑下にすることでもない。俺だって同じだ。いいから、今は眠れ。じきに体が力の流れに慣れ始める」

「……そう、させてもらうか……」


 扉を押し開け、二人は部屋の中に入る。

 部屋の間取りは狭く、人一人がただ寝て起きるくらいの生活をするくらいの、最低限の設備しかない。

 ベッドの上に蓮華は体を滑り込ませる。

 痛みはすでになくなり、全て熱に変換されていた。

 呼吸が荒くなり、心臓が苦しい。

 吐き出す息は気温の低さを別に考えても驚くほどに白く、まるで沸騰したままのやかんを放置しているかのようだ。

 しばらくの間、蓮華は額に汗の珠を浮かべながら苦しむ様子を見せていた。

 だが、あるときを境にその苦しみがピタリと止まる。

 落ち着きを取り戻したような体は静かな眠りの中へと落ち、部屋の中にはまた静けさが戻る。

 その様子を見届け、日景は静かに部屋を出る。

 少なくともあと半日ほどは、蓮華が目を覚ますことはないだろう。

 開放による反動で、能力者の体はその後一時的な仮死状態に追い込まれる。

 言ってみればこれは冬眠のようなもので、その間は体内で解放した力と肉体との適合処理が行われているのだという。

 個人の肉体によって適応に要する時間は差があるが、早くても半日、長くても丸一日ほどの時間で適応は完了するとのことだ。

 ただし、その間は絶対安静を余儀なくされる。

 無理に体を動かしたり、意識を戻したりすれば、体の中で開放によって増幅された力が暴走を起こし、肉体もろとも破壊するほどの勢いで外側に逆流する。

 そうなればもちろん、能力者本人の命の保障はできない。

 力とはつまり空気であり、能力者の体はそれを留めておくための風船のようなものだ。

 超過した空気が吹き込まれれば、風船は破裂する。

 器には必ず限界があるのだ。

 コップに水を注ぐのとは少し違う。

 百の容量を受け入れられるコップがあったとしよう。

 そこに百二十の液体を注ぎ込んでも、超過した二十の分は溢れて外側に零れ落ちてしまうだろう。

 そう、零れ落ちるだけならまだいいのだ。

 溢れた液体は確かにコップの中には入れないが、それでコップが壊れてしまうわけではない。

 だが、風船はそうもいかない。

 コップとは違い、風船の中に吹き込まれる空気には溢れたときに逃げていく道がないのだ。

 結局許容の限界を超え、器を破壊して外に逃げ出すことになる。

 その内側と外側の力のバランスを整え、能力者の肉体を力を使うのに適した状態へと変化させるために、この仮死状態の時間がある。

 とはいえ、素人目に見ればそのときの姿は死体と何ら変わりがないものだ。

 脈拍や心音も限りなく小さくなり、体温も急激に低下する。

 触れてみれば、すでに事切れて冷たくなった死体と同じである。


「……かりんか?」

 部屋の出ると、そこにはポツンと黒い人影が立ち尽くしていた。

 相変わらず全身を真っ黒なゴスロリの衣装に包み、両腕でこれまた黒いウサギのぬいぐるみ……通称クロウサを抱えている。

「……蓮華の具合は?」

「大丈夫だ、今眠った。しばらくは安静にしておく必要があるがな」

「……そう」

 それだけ言うと、かりんはまたどこか遠くを見るような視線を向けた。

 毎度のことだが、何を考えているのかよく分からない。

 こうして一緒に行動するようになってからの時間はまだ長いものではないが、時々かりんはこんな表情を見せるときがある。

 それが悲しみの色なのか、寂しさの色なのか、はたまたもっと別のものなのか。

 正直、日景には理解できなかった。

 他人をあまり寄せ付けない雰囲気という点では似ている部分もあったが、日景とかりんはどこかもっと根本的な部分で違う気がする。

 日景はそっと覗き込むようにその表情を見てみるが、やはりよく分からない。

 もともと他人を理解しようなどとは思っていないが、気が付くと自然に気になることというのがある。

 それはきっとどうでもいいような、本人から言わせれば余計なお世話以外のなにものでもないことなのだろうとは思う。

 だが、だから、なのだろう。

 明らかに年端もいかない、見るからに幼すぎるかりんのような人間が、自分達と同じ境遇の上に立っているなどとは……。

「……何?」

 ふと目が合って、かりんは呟いた。

 日景の視線が気になったのかもしれない。

「……いや、何でもない……」

 と、言いかけて日景は気付いた。

 クロウサを抱きかかえているかりんの両手の左手。

 その部分に、真新しい包帯が巻かれていることに。

「……かりん、その手はどうした? ケガか?」

 言われて、わずかにかりんの目の色が変わった。

 指摘された手の傷を一瞬だけジッと見つめ、その間だけ表情が苦しみに満ち、奥歯を噛み締めているようだった。

「……別に。何でもない。少し。擦り剥いただけ」

 一拍の間を置いて、かりんはそう答えた。

「……そう、か……」


 日景もとりあえずはそう合わせて答えておくが、それが嘘であることを見抜くのは簡単なことだった。

 かりんの手に巻かれた包帯からは、じんわりと血の色が滲み出している。

 ただの擦り傷や切り傷程度で、そこまでひどい出血があるわけがない。

 しかし、ここでそのことを追求したところでどうなるわけでもない。

 余計な詮索はしない。

 必要以上に他人の中に踏み込まないというルールは、日景が自分で決めて勝手にこれまで守り続けてきたことだ。

 今になってもそれを破る気はない。

 結局のところ、他人なのだ。

 今はこうして同じ目的のために行動を共にしているが、終わればまたバラバラに散っていくだろう。

 そうだ。

 必要以上に他人の内側に踏み込もうとするな。

 それは日景自身、そうされることを何よりも嫌っているからだ。

 自分は自分、他人は他人。

 同調なんてできるはずもなく、同情とは所詮哀れみの延長上にある、強者から弱者に対しての一方的な優越感のあり方をきれいな言葉に置き換えただけのものだ。

 誰だって自分以上の自分にはなれない。

 理想と現実との間にある差は、口で言うほど簡単に埋めることができるものじゃない。

 目標があり、そこの至るための道もある。

 それがイコール、到達できるということではない。

 わき道にそれることもあるだろう。

 道を踏み外すこともあるだろう。

 そんな道、最初から歩きたくないと思うこともあるだろう。

 それでも、歩かされている。

 どうして誰も、そんな簡単なことに気付かない?

 気が付けない?

 踊らされているんだ。

 いいように使われているんだ。

 早く気付け。

 そして、気付いたら、抗え。

 用意された道の果てに、何があるっていうんだ?

 そんな道は望んじゃいない。

 そんな未来は望んじゃいない。

 だからこうして、自ら間違った道をあることを決めた。

 間違いでもいいじゃないか。

 自分で選んで間違った道なら、きっと後悔はない。

 少なくとも、あらかじめ用意された、舗装された奇麗な道を靴を履いて歩くよりは……。


 ――砂利だらけの荒れ道を裸足で歩き、傷だらけになった方が、きっと……。


「……かりん」

「……何?」

 わずかな沈黙。

 一拍の後、日景は呟くように言う。

「傷を見せてみろ。ちょっとしかケガでも、化膿すれば面倒なことになるからな」

「……大丈夫……」

「それに」

 まだ何か言いそうだったかりんの言葉を遮って、日景は続ける。

「包帯がほどけているぞ。片手で巻きなおすのは手間だろう?」

 見ると、確かにかりんの左手の包帯が緩み、ほどけて地面を軽く引きずっていた。

「…………」

 しばらくの間、かりんはジッとほどけて垂れ下がった包帯を見つめていた。

「いいじゃないか、かりん」

「……クロウサ」

 ふいにクロウサが喋り出す。

「オイラじゃ包帯は巻いて上げられないし、ここはヒカゲの手を借りておきなよ。な?」

「…………」

 そしてもう一度かりんは黙り込んだが、しばらくして静かにほどけた包帯のまま左手を差し出した。

 そんな様子を見て、なぜだか日景は小さく笑ってしまうのだった。

「……何がおかしいの?」

 その様子に気付いてか、かりんが問う。

「いや、何でもない」

 かりんに背を向け、日景は歩き出す。

「道具を持ってくる。ここにいろ」

 そう言って去り行く背中を、かりんは不思議そうに首をかしげて見送るのだった。

 腕の中で、クロウサだけが日景とかりんを交互に見やりながら、やはり小さく笑っていた。


 だが、その笑みもすぐに消える。

 かりんの手にできた傷を見る。

 それは意味こそ違うものの、ためらい傷であることを、クロウサは知っていた。

 自ら失うことを選んだ強がりな女の子が、土壇場で失うことを怖がって、けれど手にした刃は止まらなくて。

 交錯する想いの中で、咄嗟に前に出たのはその左手。

 失うことを決めた、しかしそれを恐れた、罰の痛み。

 どこまでいけば痛みはなくなるのだろうか。

 クロウサは考える。

 正しいとか間違ってるとか、もうそういうレベルの問題じゃない。

 事態はとっくに安全圏を突破している。

 あとはもう、このまま流れるだけ。

 けれど、まだ終わっていない。

 流れは止まる。

 些細なきっかけで止まるのだ。

 ただ、おそらくそのきっかけにすら自分はなれないだろうと、クロウサは思う。

 だから、また密かに悔しい思いをする。

 もしも自分が人間だったら、かりんを止めることができただろうか。

 今となってはもう遅いことなのかもしれないけれど、せめて、せめて……。

 この手が自由に動くのなら。

 この足で自由に歩けるのなら。

 何かを変えることが、できるのだろうか?

 ……いや、やめよう。

 考えるだけ時間の無駄だ。

 だけど……。

 もしも、もしもだけど……。

 今、アイツがいたら……生きていてくれたなら…………。

「……きっと、変わったんだろうな……」

「……クロウサ? 何か言った?」

「ん、ああ、いや。何でもないよ」

「……そう?」

 なぁ、なんでいなくなっちゃったんだ?

 なんで、死んでしまったんだよ……。

 なぁ、ハルヒコ……。

 暗い空を見上げて、クロウサは祈るように呟く。


 「――何でいないんだよ、こんなときにさ……」


 答えはない。

 鈴代春彦すずしろ はるひこ……かりんの兄は、もうこの世のどこにも……いない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ