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LinkRing  作者: やくも
85/130

Episode85:涙の理由


 場がひとまずの区切りを迎えたのは、それから十数分後のことだった。

 その間は誰もが終始無言で、言葉が出ないというよりは見つからないといった感じだった。

 今、事務所の中には飛鳥と氷室だけが残っている。

 飛鳥は変わらずにソファに座ったままおぼつかない視線を彷徨わせ、氷室は腕を組んで壁に背中を預けている。

 当然のように会話らしいものは何一つなく、ただ時計の秒針が規則正しく時を刻むその音だけがこだましている。

 あの後、真吾は一足先に事務所をあとにした。

「俺が消えない限り、何も終わりはしない。けれど俺は、自らの意思で命を絶つことができない。結局、誰かの手で殺されることでしか俺は消えることができないんだよ。それも、普通の人間の力じゃだめだ。神に創られた俺は、普通の人間の力をはるかに超越した存在ってことになっちまってる。その俺を殺すことができるとしたら、それは神に最も近い存在である精霊か、あるいはその力を受け継いだ一握りだけの人間……つまり、能力者として覚醒したお前達しかいない。……もしもお前達に、全てを終わらせたいと願う気持ちがあるのなら、そろそろ心を決めるときだ。断言する。他に方法は、ない」

 それが去り際に真吾の残した、回りくどい決別の言葉だった。

 恐らく、次に相対することがあるとすれば、そのときは間違いなく命の取り合いになるだろう。

 仮に飛鳥や氷室に戦う意思がなくても、真吾は殺すつもりで挑んでくる。

 自分を殺さざるを得ない状況を強引に作り出してでも、死ぬことを求めるだろう。

 誰がどう見ても、それはすごく悲しいことだ。

 死ぬことでしか終わらせられない物語があって。

 けれど、終わりを迎えるために誰が喜んで犠牲になることができようか。

 それではまるで、死ぬために生まれてきたと言っているようなものではないのだろうか。

 例えそれが、どれだけ望まぬ生だったとしても。

 神という絶対の存在の、たった一つの気紛れの中で生まれたものだとしても。

 そんな理不尽がまかり通っていいはずがない。

 そんなことは分かっているのだ。

 ただ、分かっているだけではもはやどうすることもできず。

 目にも見えず、手で触れることも叶わず、言葉を交わすこともできないそんな存在にいくら毒づいたところで、意味はなく。

 結局のところ、それも一つの運命なのだと割り切り、受け入れるという選択肢しか与えられない不自由。

 一つしかない選択肢はその時点で、すでに選択の余地など与えられていないことと同じだ。

 それでも真吾は、選んだ。

 たった一つしかないその選択肢を、分岐のない道を、それだけが自分の生まれた意味なのだと知っているから。


 カップの中の冷め切ったコーヒーを、氷室は一口ほど口に含む。

 ひどくまずい。

 苦いだけの薬の原液を飲み干したようで、途端に吐き出してしまいたくなる。

「……ねぇ」

 苦いだけの黒い液体を飲み干したところで、飛鳥の小さな声が響いた。

「……死ぬためだけに生きるってことは、どんな気持ちなのかな……」

「……さぁ、どうなんでしょうね。少なくとも、楽な道ではないと思いますが」

「辛くないのかな? 悲しくないのかな? 寂しくないのかな? 死にたくないって、そう思ったりすることは……ないのかな?」

「……誰だって死は怖いですよ。辛いし悲しいし、寂しくもなるでしょう。ですが、それは所詮一般論です。この世界の中には、死ぬことが本当に救われることに繋がっていると、心の底から本当に信じて止まない人間だっているんです。そういった人達から言わせれば、死が怖いと言っている私たちのほうがおかしくて仕方がなく映るのかもしれません……」

「……氷室は、さ」

「…………」

「……怖い? 死ぬことは、やっぱり怖い……よね?」

「……怖いかどうかは別として、死にたいとは思いませんね。少なくとも今は、の話ですが」

「怖くはないの?」

「……どうなんでしょう。私自身、よく分からないのかもしれませんね。極論を言ってしまえば、生きているということはすなわち、いつかは死ぬということと同じです。ただ、その死を迎えるときというのが一体いつなのか。明日なのか、一ヵ月後なのか、一年先なのか十年先なのか。死んだ原因は事故なのか、病気なのか、寿命なのか。そんなことは死ぬそのときにならないと分からないことです」

「……そっか。うん、そうだよね、確かにそうだよ……」

 答え、飛鳥はソファの上で膝を抱えた。

 両足を抱きかかえ、膝の上に顔を埋める。

「……私のお母さんね、私を生んだときに死んじゃったんだ」

「…………」

 唐突に切り出されたその話にも、氷室はあまり驚いた様子を見せずに無言で耳を傾けた。


「お母さんはさ、ずっと病気だったんだって。だから、私を生むって決めたときも、出産の手術に体が耐えられるかどうかすごく不安定な状態で……それでも、お母さんは手術を受けることを決めたんだって」

 顔を上げ、ぼんやりと飛鳥は灰色の天井を見上げる。

「……手術は、無事に成功。私は生まれた。生まれたときのことなんて何一つ覚えてないけどね。本当に危ない手術だったんだって。手術の最中にも、お母さんは幾度となく危険な状態になって、途中で断念せざるを得ない場面もあったんだって。けどね、おかしいんだ。危険だと判断した先生が手術を中断しようとするたびに、麻酔で完全に感覚を失っているはずのお母さんの手がね、先生の服の裾を掴んで離さなかったんだって。やめないでくれって、この子を取り上げてくれって、そう言ってるみたいに……」

「…………」

「散々迷ったみたいだけど、どうにか手術は続行。十時間以上にも及ぶ危険な手術を終えて、私が取り上げられて、母さんが痛みと嬉しさの混じった涙を流しながら生まれたばかりの私をその両腕で抱いて……」

「飛鳥……」

「……無事に生まれたそのことを、看護婦さんがお婆ちゃんに知らせにいったんだって。少しして、お婆ちゃんがやってきた。だけど、もうそのときには母さんの意識は完全になくなってたんだって。涙を流したまま、腕の中で泣いてる私を抱きしめたまま……死んじゃってたんだって」

「…………」

 氷室はかける言葉を持っていなかった。

 ありきたりな慰めの言葉なら、いくらでも口に出すことはできただろう。

 だけど、きっとそれは何にもならない。

 そう知っていたからこそ、あえて無言でいた。

「……全部、お婆ちゃんから聞かされた話だけどね」

 言って、飛鳥は抱えていた足を崩す。


「……何でなんだろ」

「……何がですか?」

「……どうしてお母さんは、自分が死んじゃうかもしれないって知ってたはずなのに、手術を受けたんだろ。死ぬことが怖くなかったのかな……」

「そうだったとも言えるし、そうじゃなかったとも言えるでしょう」

「そうだけど……だけど、やっぱりおかしいよ。死ぬって分かってて、どうしてその選択肢を選ぶことができるの? 誰だって死にたくないよ。お母さんだって、きっと生きたかったはず。私を生むことを諦めてれば……私なんか、生まれてこなければ……!」

「飛鳥っ!」

 氷室は怒鳴った。

 その怒声に、飛鳥は思わず全身を震わせ、続く言葉を失った。

「……あなたは今、絶対に口にしてはいけないことを口にした。分かっていますね?」

「……っ、だけ、ど……」

「……ええ、そうでしょうね。もしもあなたのお母さんが自分の命を真っ先に優先したのならば、今も生きて健在だったかもしれません。そうなれば飛鳥、あなたは今こうしてこの場で呼吸することもなかったでしょう」

「それは……っ」

「死に繋がる選択肢を自ら選んだ? 何を馬鹿なことを言ってるんですかあなたは。あなたのお母さんは、あなたを生み、自らも生きる可能性を信じてその選択をしたんです。その結果は悲しいものだったかもしれませんが、それでもあなたはこうして生まれ、生きているじゃないですか。それを生まれてこなければよかった? 出産を諦めればよかった? 死者への冒涜もはなはだしいですよ。そもそもあなたがそう考えることができるということは、あなたがこうして生まれたからでしょう? あなたのお母さんは、あなたにそんな思いをさせるためにあなたを生んだんじゃない。そんなはずがないんです。死を覚悟してなお選んだ道の果てに、あなたが生まれたんです。それを蔑むような、後悔するような言い草は許されることではありません。違いますか?」

「……っ」


「……生まれたことに罪はないんです。誰だって望んで生まれてくることはできない。親が子を選ぶことができないように、子も親を選ぶことはできない。それでもこおうして生まれてきたことを、生まれることができたという事実を……例えそれがどれだけの偶然が重なり合ったものだとしても、幸せなことだと思えないんですか」

「…………」

「……私なんかがこんなことを言ってもなんの説得力もないかもしれませんが、これだけは覚えておいてください。あなたのお母さんは、あなたに幸せになってほしいと心の底から願っていたからあなたを生んだんです。そしでできるなら、共に歩み、あなたが育っていく姿を誰よりも近くで見ていたいと、そう願っていた。これだけは、絶対です」

「……そう、かな……? 本当に、そうかな……?」

「ええ、絶対に」

「……うん、うん……」

 確かめるように、飛鳥は二度頷いた。

 そしてまた膝を抱えて、静かに涙を流した。

 ずっと抱えていたことだったのだろう。

 自分自身に問いただすにはあまりにも怖すぎて、誰かに話すことも恐ろしかった。

 それをどうして氷室に話すことができたのか、それは定かではない。

 真吾のことがあって、気持ちが少しだけ緩んでいたこともあったかもしれない。

 ずっと抱え込んでいくつもりだった。

 考えないようにしている方が、自分に都合がよくて楽だと知っていたから。

 だけど、それでも。

 言葉にすることで伝わること、理解できること、見つめなおせることがある。

 きっと、ある。



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