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LinkRing  作者: やくも
82/130

Episode82:子供な大人


 前方から迫り来るのは炎の短剣。

 炎であるが故にそれらに実体はなく、しかしその鋭さは実際の刃物をはるかに超越した残酷な切れ味を持っている。

 命中すれば、即座に傷口気斬ると同時に焼くその刃を、氷室は最小限の動作で紙一重で全て回避する。

「はっ!」

 回避の直後、反撃の一撃を見舞う。

 手にした三又の槍が空を裂き、突くと斬るを同時に併せ持つ切っ先が振り抜かれた。

「……」

 しかし真吾もその一撃をあっさりとかわす。

 後退しながらも常に目線は氷室から外さず、休む間もなく新しい短剣を生み出していく。

 一見して、一進一退にも見えるこの状況。

 だが、外からはそう見えても当時者達はどうだろうか?

 少なくとも、氷室はもう感じ取っている。

 言いようのないその、違和感を。

「……どうしたんです? 本気でやったらどうなんですか?」

 突き出したままの槍を袂へ引き戻し、氷室は言う。

「けしかけたのはそっちでしょう。それとも、今になって心変わりでもしたんですか?」

「まさか」

 としかし、真吾は氷室の言葉をあっさりと否定する。

「相手の手の内も分からないのに、最初から全力でやるわけないだろ。それに、本気を出してないのはアンタも同じだろう?」

「…………」

 答えずに、氷室は眼鏡を押し上げた。

 ……違う。

 やはり、何かが違う。

 氷室は思う。

 得体の知れない違和感が確かに存在しているのに、その正体が何なのか分からないでいた。

 ふと思い出したことを口にしようとして、他の誰かが話題を変え、気が付くと何を思い出していたのかを忘れてしまっているような、そんな感覚だ。

 もう少し強く言うのならば、何かが頭の奥に引っかかっている。

 真吾が本気を出していないことがそうではないのだろうかと、最初は思った。

 が、真吾の言うとおり、氷室もまだ本気を出さずに様子見程度の力具合で戦っていることも事実だ。


 「――俺を殺してくれ」


 やはり一番引っかかるのはこの言葉。

 だが、そう言ったときの真吾の表情はとてもじゃないが、ふざけているようには見えなかった。

 使い方は間違っているかもしれないが、真剣そのものだった。

 なぜ、なのだろう……?

 今になり、氷室はもう一度考えを改める。

 殺してほしいというその考えは、納得こそできないものの理解できないわけではない。

 自分を殺してほしいと思う人間も、決して多くはないが存在はするだろう。

 そこに存在する理由も千差万別ではあるが、共通するのは苦しみから解放されたいというその一念に尽きると言っても過言ではない。

 人は誰だって、心のいくつかの傷を背負って生きている。

 浅い傷、深い傷、傷痕の消えた傷、傷痕の消えない傷。

 それは決して珍しいことじゃない。

 むしろ当たり前のことだ。

 だとすると、今の場合はどうなのだろうか?

 目の前の真吾は、一体その胸のうちにどんな傷を負っているのだろうか?

 その胸の内にある、逃れたい苦しみとは、一体何だ?

 何がそこまで死を急がせているのだろう。

 生きることが苦痛だと感じる人は少なくない。

 だけど、その気持ちを全て汲んで、理解してあげることはできない。

 生きることが苦痛だと思いつつも、人はその苦痛の日々を今もこうして生きている。

 例外はない。

 それはもちろん、氷室にも言えることである。


「……やはり、どうにも理解できませんね。最近の若者は、一体何を考えているんだか……」

 やれやれと溜め息を吐いて、氷室は呟いた。

「理由はどうあれ、せっかく生まれたその命を大事にしようとは思わないんですか? 言ってしまえば、命なんてものは軽くもないし重くもない。そもそも重さなんてないものです。ですが、あなたや私がこうして生まれたことは、ただの偶然の過ぎないんですよ。無数にあったはずの中の一つの精子と一つの卵子が受精して、その結果として私達という人間が生まれた。ほんの少しでもズレがあれば、きっとそこから生まれてきた私達は、今の私達には成り得なかったはずです」

「生物学上は、確かにそうなのかもな。あいにく、生命の誕生の神秘さは認めるが、興味はないんでね」

 どうでもいいと吐き捨てて、真吾は答える。

「そんなに難しく考えるなよ。今を見ようぜ? 簡単だろ? アンタが俺を殺せばそれで終わり。殺せなかったら、俺が大和と女を殺してそれでも終わり。どっちに転んでも俺に有利に働くし、もうこの際どっちでもいいんだけどな。が、アンタは後者を選ばせるわけにはいかない。だからこうして戦ってるんだろう?」

「……ええ、確かに」

 槍を構え直し、氷室は続ける。

「ですが、どうにも理解できません」

「何度も言わせるな。理由なんて詮索する暇があったら、さっさと俺を殺せ……」

「だったら」

 そこで一度、氷室は言葉を区切る。

 続くはずだった真吾の言葉をかき消した一言が、沈黙を生む。


 「――だったら最初から、自殺でも何でもしてしまえばいいでしょう? なぜそれをわざわざ、私に頼む必要があるんです?」


 その言葉に。

「…………」

 真吾は返す言葉を持たなかった。

 そうだ。

 考えてみれば、それは当然の疑問だったのだ。

 真吾が死を求める理由は、正直なところ分からない。

 けれど、それは悪ふざけや冗談の類ではなく、確固たる意思を持って言っているということは確かだ。

 命を捨ててまで成し遂げたい何かがある。

 あるいは、成し遂げるためには命を捨ててしまわなくてはいけない。

 そう解釈したとき、真っ先に浮かぶのは……そう、自殺だ。

 想像したくもないが、それが一番手っ取り早い上に、リスクが少ない。

 だが真吾は、それをしなかった。

 こともあろうか、わざわざ氷室の事務所を訪ねて人気のないこんな場所にまでやってきたその上で、後から取ってつけたような選択肢を与え、殺すことを強制させているのだ。

 それはつまり、真吾に精神的余裕がなかったことを示している。

 逆に言えば、それだけ追い詰められているということになる。

 だとしたら、それは一体何だ?

 決まっている。

 そこにある理由には必ず、『Ring』が関わっているに違いない。

 そうだ、思い出せ。

 この場所にやってきた真吾が言った、あの言葉を。


 「だからこそ、俺はアンタに俺を殺すように頼んでるんだ。大和でもあの女でも、きっと俺を殺せないだろうからな」


 きっと、殺せない。

 ……殺せない?

 そう、それはつまり。

 力量的に殺す殺せないとか、そういう意味ではなく。

 もっとこう、単純な理由が絡んでいるだけで。

 殺せない。

 それはつまり、殺すことができないということ。

 なぜか?

 それはきっと……。


 ――あの二人は、きっと氷室以上に優しすぎるから……。


 だからあの二人には、きっと真吾を殺せない。

 同じ選択肢を与えればどうなるか分からないけど、それでもきっと殺せない。

 だから、氷室なのだ。

 三人の中で、唯一心も体も満足に大人へと成長していて、道理よりも本能で考えて動ける人物だったから。

 無理に理解しようとせず、あるべきことをあるがままに受け入れること。

 言葉で言うのは簡単だが、それはとても難しいことだ。

 人間には道徳というものがある。

 ある日突然、私を殺してくださいと懇願する人物が目の前に現れたとして、それを素直に分かりましたと実行できる人間がどれだけいるだろうか?

 正直、一人としていてほしくはないと思う。

 もしかしたら数えるほどはいるかもしれない。

 その数えるほどの一握りは、何を思ってそうするのだろうか。

 それはきっと、誰にも理解することができないだろう。


 それと同じで、氷室には真吾の意図が理解できない。

 ただ分かることは、真吾は何かに追い詰められているということ。

 目には見えない、それは言わばプレッシャーのようなものなのかもしれない。

 それも、死を選ばざるを得なくするほどのものすごい重圧だ。

 恐らく、真吾自身にもまだ迷いはあるはずだ。

 だが、その迷いと向き合う余裕さえも奪われた。

 時間がない。

 ただ、それだけの理由で。

「……アンタが気にするようなことじゃないさ。アンタはただ、今この場で、俺を殺すことだけを考えて戦えばいい」

「……そうですか」

 そして氷室はまた溜め息をついた。

 やれやれと、内心でで何度も何度も呟いておく。

「それで、結局理由は話さずじまいですか?」

「言う必要はない。言ったところで何も変わりはしない」

「そうですか。でしたら、こっちも少し趣向を変えさせてもらうことにします」

「何?」

 もう一度しっかりと槍を構えなおし、氷室は臨戦態勢に入る。

 だが、先ほどまでとは違う。

 殺すとか殺さないとか、そんなことはもう関係ない。

 そもそも、忘れてもらっては困る。

 氷室だって、誰一人犠牲を出さずにこの戦争を終わらせるそのために、戦うことを決めたのだから。


 「――殺す殺さないは二の次です。まずはその堅い口、無理矢理にでもこじ開けさせてもらいましょうか」


 それはつまり、徹底的に懲らしめてやるという意味で。

「お前、何言って……」

 あまりに唐突なその態度に、真吾も呆気に取られるしかなく。

 そんな表情を見て、氷室は微かに笑うのだった。

 きっとこれで、殺し合いは終わったのだろう。

 きっとここから、ただのケンカが始まるのだろう。

「一つ、忠告しておきましょう」

 氷室はもう一度眼鏡を押し上げ、相変わらずの笑みを浮かべたまま言った。


 「――子供はもう少し、大人の言うことを聞くべきですよ」


 もう一度だけ言おう。

 今、ただのケンカが始まった。



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