Episode81:嵐のうねり
結局僕は目的を見失い、建前のままに病院へとやってきていた。
平日の朝方ということもあって、思った以上に来客の姿は少なく、僕もさほど長い時間を待たされることなく診察室へと名前を呼ばれることになった。
問診を受け、聴診器を当てられ、簡単な検査を受けて診察を終え、僕は今広間のロビーで再び名前が呼ばれるのを待っているところだ。
縦に長い黒の椅子には、まばらではあるが来客の姿が見て取れる。
ロビー中央には大型のテレビが備え付けられ、画面の中では朝のニュースが次から次へと足早に流れているところだった。
と、その中に嫌でも目立つ内容のものがいくつかあった。
それは近日中に起きている、あの森林公園の火災と僕の通う高校の旧校舎が一夜にして氷漬けで発見されるという、奇怪な事件の連続に関することだった。
ダイジェストのように流れる画面では、その二つの事件は簡単にしか説明はされていない。
しかしその反面、全くの原因不明ということでちょっとした騒ぎになっていることも事実だ。
言われてみて気付くが、確かに以前までと比べて街並みやそこを歩く足並みが違ってきているようにも思える。
恐らく、誰もがわけの分からないままに多少の不安を抱えており、それが色濃くなって空気の中に溶け込んでいるのかもしれない。
噂ばかりで真相は闇の中。
原因不明というその言葉が、よりいっそう人々の不安をあおっているようだ。
この二つの奇怪な事件は何らかの共通点があるのではないのだろうか?
二つの事件は同一犯、もしくは同一犯行グループによる、愉快犯目的の仕業なのだろうか?
などなど、テレビの中ではそんな討論が専門の学者達を交えて展開されている。
僕はただジッと、一言も発さずにその画面に見入っていた。
違う。
そんなんじゃないと、内心で何度も呟きながら。
やがてロビーにアナウンスが流れた。
「十二番の番号札でお待ちの黒栖大和様、会計カウンターの方までお越しください」
名前を呼ばれ、僕は椅子から立ち上がる。
会計へ向かい、そこで処方された風邪薬の用法などを簡単に説明され、会計を済ませる。
渡された薬袋をコートの内ポケットにしまい込んで、僕はそのままロビーをあとにした。
自動ドアをくぐりぬけ、青空の下に出る。
日差しは強くも弱くもなく、気温も高くも低くもない、典型的な秋晴れの空だ。
ただ、やはり風邪を引いているせいだろうか、わずかばかりの肌寒さを抱えながら、僕は歩き出す。
本当ならこのまま真っ直ぐ家に帰宅するのが正しいのだけど、ここまでで僕の目的はまだ半分ほどしか達成されていない。
つまり、氷室と会って話をしていないということだ。
病院にやってくる前に事務所を立ち寄ったが、どうやら氷室は留守のようだった。
病院での待ち時間でも、一度メールを送ってみたのだけど、まだ返事は返ってこない。
やはり携帯を事務所に置きっぱなしにして、どこかへ出かけているようだ。
だが、だとしたらどこに出かけたのだろう?
買い物一つ済ませるにしたって、もうかれこれ一時間以上が経っている。
さすがに事務所へ戻っていてもおかしくないと思うのだが……。
そう考えたところで、しかし考えは全くまとまらず、ぼんやりと考え事をしながら足を動かすだけ。
やがて交差点の信号にぶつかり、僕はしばしの足止めを食らう。
その間も頭の中ではいろいろなことを考えていた。
考えすぎて何もかもがまとまらず、最終的には何を考えていたのか自分でも分からなくなってしまっていた。
ちょうどそのときになって、信号が赤から青へと変わる。
先行く人々の足音に僕は意識を戻されて、人波に呑まれるようにして横断歩道を渡り終えた。
さて、これからどうしようか。
やはりもう一度事務所を訪ねてみて、それでもまだ氷室がいなければ少し待ってみることも考えよう。
場合によっては飛鳥にももう一度連絡をとって、事情を話して……。
そんなことを考えながら、僕は途中で一軒のコンビニに立ち寄った。
体が冷えていたので、温かいコーヒーの一つでも買っておこうと思ったのだ。
自動ドアをくぐり、店内へ。
店員のいらっしゃいませの声を適当に聞き流しながら、缶コーヒーの陳列してある奥の棚に向かう。
が、その途中で。
「あれ、大和?」
と、そんな声が背中からふいに聞こえ、僕は思わず振り返った。
そこに、飛鳥がいた。
本日発売の週刊誌を立ち読みしている飛鳥の姿が、そこにあった。
「あ、飛鳥?」
思わず僕は聞き返す。
どうしてこんなところにいるのと、そう聞くよりも早く、他に聞きたいことがいくつも、今頃になって思い出せた。
「ここに住んでるの?」
「うん」
一足先を案内されやってきた僕は、目の前のマンションを見上げて呟いた。
「一人で?」
「そ。一人で」
「……へぇ」
どうしてと、聞くのはなぜだかはばかられた。
玄関部分に当たる大きなガラス張りのドアを押し開けて、僕達はエレベーターホールへと進む。
ボタンを押し、上のフロアからエレベーターガやってくるのを待つ。
やがて電子レンジのような音を立ててドアが開き、僕達は乗り込む。
飛鳥は七階のボタンを押し、ドアを閉めた。
ゴゥンゴゥンという機械音と共に、僕達は上昇を続けていく。
時間にすれば大したものではなかったが、僕達は終始無言だった。
僕は何か言うべきかと迷い、飛鳥は僕が何か言うのを待っていたのかもしれない。
もちろん、真偽のほどは分からないけれど。
再び電子音を鳴らし、ドアが開く。
七階に到着した僕は、先を歩く飛鳥の背中を追って廊下を歩いた。
マンションは十八階建てで、各階の部屋数は十二から十八までとなっている。
飛鳥の部屋は七階の端の方、七百二号室の部屋だった。
上着のポケットから鍵を取り出し、飛鳥は扉を開ける。
「さ、入って。何もないけどね」
「あ、うん。おじゃまします……」
促されるまま、僕は玄関口に体を滑り込ませた。
パッと見て、間取りはごく普通の広さだった。
それらしい言葉で言うなら3DKと言ったところだろうか。
最初から思っていたことだが、とても同い年の人間が一人で生活するような空間ではないように思える。
物件を買ったのか、それとも月ごとに家賃を払っているのかは分からないが、経済的に負担はないのだろうか?
などと、僕がそんなことを考えていると、飛鳥はさっさと僕の横を通り抜けて家の中へといってしまう。
玄関で棒立ちしていた僕も、靴を脱いでそのあとに続いた。
「あ、その辺に適当に座ってて。お茶とコーヒー、どっちがいい?」
「あ、えっと……じゃあ、コーヒーをお願い」
「オッケー」
そう答え、飛鳥は戸棚の中からカップを二つにインスタントコーヒーの瓶などを取り出し、手際よく作業を進めていく。
その間僕は、あまりいい意味で捉えられることではないが、部屋のあちこちを見回していた。
一言で言ってしまえば、片付いているというよりもどこか殺風景な印象だった。
まぁ、それも当然といえば当然だろう。
3DKという間取りは、一人で暮らしていく上では必要以上に広すぎる空間だ。
キッチン周りも、最低限の生活必需品だけを敷き詰めたような図柄に見える。
逆にゴチャゴチャしているよりはずっといいのだけど、どこか寂しげな空気が流れているようだった。
「はい、お待たせ」
そんなことを考えていると、ちょうど隣にカップを手にした飛鳥がやってきていた。
「熱いから気をつけて」
「あ、うん。ありがと」
とりあえずカップを受け取り、僕は一口ほど口に含んだ。
特に何の感慨も沸かない、至って普通のコーヒーの味が広がる。
一方飛鳥も、僕の隣に腰掛けて同じようにコーヒーをすすっている。
しばらくの間……といっても数分のことだが、僕達は互いにコーヒーを飲み続けているだけだった。
「……あのさ」
と、僕は飛鳥に声をかけた。
「ん、何?」
ずっとここで一人で暮らしてるの?
と、そう聞くつもりだったのに、やはり寸前でブレーキがかかってしまう。
何かこう、踏み込んじゃいけない場所に土足で踏み入ってしまうような気がして……。
「……えっと、それでさ、氷室のことなんだけど」
僕は話題をかえ、本題である話を持ちかけることにした。
「来る途中も話したように、連絡が全然つかないんだ。色々と相談したいこともあったんだけど、飛鳥は心当たりとかないかな?」
「電話にも出ないんだっけ? だったらその辺で買い物でもしてるんじゃないのかな?」
「うん、僕もそう思ったんだけどさ。さすがにもう二時間近くも反応がないと、ちょっとね」
「んー……私も氷室と特に付き合い長いってワケじゃないし、行動パターンとかは全然わかんないよ。けど、確かに氷室は黙ったまま行方をくらますような人間ではないと思う」
「そう、だよね。じゃあやっぱり、考えすぎなのかな? 携帯を事務所に置き忘れたのもたまたまで、本当にどこか近所で買い物とかでもしてるのかな……」
「え? ちょっと待って。どういうこと? 氷室の携帯は事務所にあるって、何で分かるの?」
「最初に事務所を尋ねたときに、中から返事がなかったから、その場で電話をしてみたんだよ。そしたら、事務所の中から携帯のコール音が聞こえたんだ」
「ってことは、別に氷室は出かけたとかじゃなくて、疲れて熟睡でもしてるんじゃないの?」
「でも、何回か扉をノックしたけど、何の反応のなかったんだ。寝てたにしても、氷室なら応対しそうだけど……」
「そりゃまぁ、確かに……」
互いに小さくうなりながら、さらに考え込む。
余計な心配とかいらぬ世話とか、氷室に限って万が一なんてあるとは思わない。
けど、あってしまったらそれはそれで大変なことだ。
仮に今のこの状況が、連絡を取れないのではなく、連絡を取ることができないのだとしたら。
それはきっと、何かしらの悪い状況に事態が進んでいることを示しているからだ。
「……ちょっと、マズイかもね」
わずかに不安の色を見せながら、飛鳥は言った。
「……嫌な予感がするんだ。何か、大変なことが起きるような気がして……」
それは予感か。
それとも、すでに始まってしまっているのか。
それさえも分からないことが、さらに不安の色を濃く染めていく。
僕達は無言のままもう一口ずつコーヒーを口に含んだ。
そして小さな溜め息と共に、カップをテーブルの上に置き、コトンと音を立てたその直後に。
「……っ!」
「……!」
僕達は揃って顔を上げ、過敏なくらいの反応を示した。
「飛鳥、これって……」
「うん、間違いない……」
にわかに緊張が走る。
その気配を手探りではなく、第六感のような感覚で探り当てる。
そして、確信した。
「……これ、もしかしたら」
「……氷室だ」
同時に立ち上がり、ベランダへと躍り出た。
目の前には青く晴れた秋晴れの空と、町の景色が広がっている。
目下には米粒のように小さな人影や、右往左往する車の影。
そんないつもと変わらない街並みの一点に、不穏な気配は確かに集約していた。
「飛鳥、あそこって確か……」
「森林公園? でも、どうしてそんなところに……」
「……行こう!」
考えている暇はない。
僕達が揃って感じ取ったのは、紛れもなく『Ring』の力による余波だったのだから。
それが感じられるということは、つまり能力者が能力を使っているということ。
そしてその反応は、二つ。
イコール、戦闘している可能性があるということだった。
その二つのうちの一つにでも、氷室の可能性があるのならば、放っておくわけにはいかない。
「アイツ、一体何考えてんのよ!」
靴を履き、乱暴に鍵を締めて僕達は走り出す。
真昼の空の下、そこだけが暗雲を巻き起こしているその場所に向けて。