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LinkRing  作者: やくも
68/130

Episode68:ワールドエンド

 目の前の光景に思わず目を疑う。

 何だ、これは?

 思わずそう呟きたくなるほどの光景が、実際に目の前に広がっていた。

 ひび割れた地面、倒壊したいくつもの家屋や店先、そして路上に倒れる人々の姿。

 舞い上がる砂煙はまるで砂漠のようで、あれほど賑やかだった街並みはすでにどこにも見当たりはしなかった。

 わずかに聞こえるのは、苦悶を思わせる人々の呻き声と、今もなお地響きを続ける大地の咆哮だけ。

 不安定すぎる地面の上、私は呆然とその光景を見ていることしかできなかった。

 が、ほどなくして我に返る。

 目の前の状況を把握するよりも早く、助けなくてはいけないという思考が働いた。

「くっ……!」

 駆け出す。

 城門から一般道へと続くこの架け橋も、ずいぶんと亀裂が生じており、正直言って走ることなど言語道断だ。

 だが、それでも急がずにはいられない。

 こうしている間にも、またどこかで建物が倒壊し、誰かがその下敷きになって命を落とすかもしれないのだから。


「大丈夫か? しっかりしろ。すぐに助けが来る」

 すでに多くの騎士団兵が住民の救助に当たっており、私の不安もわずかばかりに軽くなる。

 間もなく聖堂教会のシスター達もやってくるようであり、怪我人の手当てはそちらに任せたほうが無難だろう。

 今はまず、一人でも多くの人々を救わなくてはならない。

 倒壊した建物の破片がそこらじゅうに散らばり、思った以上に道は歩き辛い。

 立ち込める砂煙は依然として残ったままで、視界も悪い。

 加えて、大小様々な亀裂が地面を引き裂いているので、そこに足をつまずかせてしまう危険もある。

 細心の注意を払いながら、それでもできる限りの急ぎ足で私は走った。

 向かう場所は一つ、大通りから少し外れた路地裏の小さな花屋。

「……っはっ、はぁ……」

 息が切れる。

 砂埃を丸ごと肺の中に吸い込んでいるようで、ひどく気分が悪い。

 だが、なりふり構ってはいられない。

 少しでも早く、無事な姿をこの目に刻み付けるまでは……。

 記憶を頼りに路地を曲がる。

 一転して、視界が開けた。

 どうやらこの通りは、まだ建物などの倒壊などには至っていないようだ。

 比較的整然とした街並みが広がり、惨事が起こっていることなどまるで気付かせないほど。

 そんな一角に、小さな花屋は無事な姿のまま佇んでいた。

 屋根も潰れていなければ、壁も壊れ落ちていない。

 よかった、無事のようだ。

 内心で安堵の息をついて、私は歩調を緩めかけ……。

「…………?」

 視界の端に映るその景色に、目を疑う。

 それは、わずかな違和感。

 普段なら鉢植えが置かれている木の棚。

 その、下の辺りから。

 何か、こう……あってはならないような、そんなものが覗いていたような気がして……。


「…………っ」

 見れば見るほどに、それは不可解なもので。

 緩めた歩調を再び急かせるよりも早く、心臓の鼓動が跳ねた。

 ドクン、と、大きく一つ。

 それは。

 小さな手。

 それは。

 微動だにしない五本の指。

 それは。

 広がる赤い水溜り。

 あっては、ならないもの。

「……っ、アリスッ!」

 叫んだ。

 駆け出したのが先か、叫んだのが先だったか。

 いや、もはやそんなことはどうでもいいことだ。

 この目で、確かめなくてはならない。

 そこにあるものが、夢幻のものか、残酷な現実なのか。

 前者であってほしいと、願わずにはいられなかった。

 それはもちろん、アリスではなく、彼女の姉のエルクであってもだめだ。

 だからこれは、きっと私の見間違い。

 悪い夢でも見ているんだと、そう思いたかった。

 足音が地面を打つ。

 ずいぶんと乱暴な足音だった。

 焦りが、不安が、恐れが。

 ありのままに形となって現れていた。

 そして、覗き込んだ視界の先に広がるそれは……。


 刹那、地鳴りがした。

 大地がいっそう激しく揺れ出し、あちこちで小さな悲鳴が連続した。

 まともに立っていることもままならず、多くの人々は転び、膝をついた。

 そんな中で。

 私だけが、やけに自然体のままで立ち尽くしていた。

 しっかりと二本の足で地面を踏みしめて、微動だにせずに。

 ただ、見ていた。

 この目に映る、紛れもない現実を。

「……ウソ、だ……」

 呟く。

「ウソだ…………」

 呟く。

 何度も、何度でも。

 誰かがこの言葉に続き、嘘だと認めてくれるまで。

「そん、な…………ウソだ……」

 地鳴りが止んだのに、私の膝は軽々と折れた。

 ガクンと体が沈み、鎧の重さがそれを後押しするように両肩にのしかかった。

「どう、して……」

 片言の言葉しか出てこない。

 否定することだけを繰り返して、目の前の現実を受け入れることができない。

 受け入れられるわけがないだろう。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 誰でもいい、嘘だと言ってくれ。

 ……まだなんだ。

 まだ、花を選んでもらってないんだ。

 一緒にお見舞いに行く約束もしたんだ。

 全部、果たせてないんだ。

 ……なぁ、だから。


 ――嘘だと、言ってくれ…………アリス……ッ!


 横たわる小さな少女の体。

 四肢は力なく地に伏せ、その顔も瓦礫の山に埋もれて見ることができない。

 唯一、その瓦礫の山から這い出るように伸びた右腕が、その先にある小さな鉢植に必死で手を伸ばしているようで……。

 その先にある鉢植えは、無残にも砕け散り、土は零れ、花は地面に転がっていた。

 真っ白な花だった。

 まるで、あのオリビアの花のように白く美しい、光のような花だった。

「うあああああ…………っ!」

 叫んだ。

 叫び声さえ、地鳴りに巻き込まれて消えていく。

 どこで何を間違えてしまったのだろう。

 間違いの始まりはいつからだったのだろう。

 巻き戻れ、時間。

 そう願わずにはいられなかった。


 砂埃に身を包まれ、私は街外れへとやってきていた。

 どこをどう歩いたかなんてもう覚えていない。

 人々の救助に当たることさえも忘れて、木の幹に背中を預ける。

 ズルズルと背中を引きずって、腰を折った。

 途端に訪れる虚無感。

 がらんどうな大穴が開いてしまったかのよう。

 その穴は底なしに深く、永遠よりも暗い。

 奈落というものが本当にあるのだとすれば、それはこのようなものなのかもしれない。

「…………」

 言葉が出ない。

 何かを考えようとすれば、ついさっき目の当たりにした光景が鮮明に甦ってくる。

 瓦礫をどかしたその下からは、無残な少女の姿が出てきた。

 本当にひどい有様だった。

 言葉で形容するだけで、私は憤慨にもにた感情を沸き立たせてしまうだろう。

 それでも顔には傷痕が少なかったことが、せめてもの幸いだろうか。

 アリスの瞳は硬く閉じられ、もう二度と開くことはない。

 目の端に涙の流れた跡があった。

 痛みに負けて流れたものなのか、それとも、こない助けを待ち続けて流したものなのか。

 そのどちらだとしても、私は結局間に合わなかったのだ。

 痛みを和らげることも、駆けつけてもう大丈夫だと声をかけてやることもできなかった。

 本当に、呆れるほどに無力だ。

 どれだけ力があっても、その力は人一人さえ救うことができず。

 すでに事切れた亡骸を前にして、私は何もできなかった。

 アリスは一体、何を思って最後の時を迎えたのだろう。

 あの子の手が伸ばした先に、何があったのだろう。

 あの花は、誰に向けて……。


 何度も胸の中で繰り返す。

 そのたびに、答えはいつも同じことを教えてくれる。

 きっとあの白い花が、アリスの選んだ花だった。

 殺風景だった私の部屋を飾る花になるはずだった。

 どんな想いで、その花を選んでいたのだろうか。

 あれこれと試行錯誤し、悩んでいたのかもしれない。

 次に私がやってくる日を待って、わずかに胸を躍らせながら。

 喜んでくれるだろうか、とか。

 笑ってくれるだろうか、とか。

 そんなことを思いながら、選んでくれた花なのだろう。

 手を開く。

 真っ白な花弁が、砂埃に汚れて静かに揺れた。

「……何で……」

 いっそのこと、力任せにその花を握り潰してしまえばいい。

「どうして、お前が…………」

 手が震える。

 何も怖くないというのに。

 震えが、止まらない。

「……っ、どう、して…………っ!」

 両手でその花弁を包み込む。

 今更になって、どうしようも悲しくて仕方がなくなって。

 遅すぎた感情の昂ぶりが限界を超えて、涙となって私の頬を伝った。

 心が冷たい。

 なのに、涙はこんなにも暖かい。

 わけが分からない。

 心はすっかりからっぽになっているようなのに、どうして涙はこんなにも暖かいんだろう。

 どれだけ泣いても。

 どれだけ叫んでも。

 どれだけ喚いても、過ぎた時間はもう戻らないというのに。

 こうしてこの花を握って、アリスのことを思うだけで、自然と心が軽くなる。

 見えない腕に包まれているよう。

 もううろ覚え程度にしか覚えていない、母親の腕の中によく似ている。

 頬を伝う涙が乾いていく。

 それを後押しするように、優しい風が一つ、私の隣を通り抜けた。

 そして……。


 「――啼かないで」


 その声は聞こえた。

 私はゆっくりと顔を上げ、目の前に向き直る。

 そこに。

 彼は、いた。

 大きすぎるぶかぶかの三角帽子を被り、真っ黒な外套に身を包み、なぜかとても悲しそうな目をしてそこに立っていた。

 祭りの夜に出会った、アルと名乗った吟遊詩人の少年が、そこにいた。

「……どうか、啼かないで。世界が泣いて、貴方が啼いて、それじゃあきっと未来まで泣いてしまうから」

 相変わらず、彼の言葉はどこか意味が分からないままだった。

 しかし、それでも。

 なぜだろう。

 今ならその言葉の意味が、分かる気がした。

 分かる気がしたんだ……。

「残酷かもしれないけれど、この世界はもうすぐ終わる。何もなかったことになる。誰に記憶にも残らず、誰の過去にもならない。そして誰の未来にもなれず、朽ち果てていく」

「…………」

「もうたくさんだ。こんな結末を、僕は幾度と泣く繰り返してきた。もう見たくもない。絶望すら感じている」

 彼の言葉に耳を傾ける。

 語るように詠うように、言葉の一つ一つが溶けていく。

「だけど僕は、希望を信じずにはいられない。たとえ同じ基盤を持つ世界だとしても、その運命さえも捻じ曲げて変えていく、そんな世界があることを期待してしまうんだ」

 彼は帽子を取り、手に持つ。

「誰だって、望んで生まれてくるわけじゃない。なのに、生まれたら死という終わりが付きまとう。そんな理不尽の中で、それでも懸命に生きて、明日を見て、昨日を見て、今日を歩いていく。だから、きっと……」

 そして最後に、ほんの微かにだけ微笑んで、言った。


 「――次こそは、どのレールの上も走らない運命があらんことを祈って…………」


 そう告げて、彼の姿は静かにその場から姿を消した。

 まるで最初から何もなかったかのように、忽然と。

 その言葉を、私はどこまで聞いて覚えていたのだろうか。

 遠くでまた悲鳴が聞こえる中、そのまま私は意識を失っていった。

 木の幹に寄りかかり、眠りにつくように。

 そして、本能的に分かっていた。


 ――もう、目覚めは訪れはしないだろう、と。


 少なくとも、この世界では……。



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