Episode67:静から動へ
「本当なのですか、それは?」
にわかには信じ難いという表情で、姫はすぐさま聞き返す。
「はい、事実です。すでにいくつかは、活動を開始しているとのことです。国境検問所の警備兵からの通達ですから、まず間違いないと思われます」
しかし冷静に、アクエリアスは繰り返すようにその言葉を肯定した。
時刻は昼と夕方のちょうど中間、場所は城内の謁見の間。
集められた人数はわずか十人にも満たない少数ではあるが、揃った顔ぶれはどれもがいわゆるお偉方の面々だった。
逆に言えば、そんな場所に私を含めた三人の騎士団長達が居合わせることが場違いにも見えてくる。
が、どうやら事は急を要するようなので、そんな細かいことにはいちいち構っている余裕はない。
私達がこの場所に集められたのは、アクエリアスによる召集の声があったからだ。
至急、姫を含めて耳に入れておきたいことがある。
そんな鶴の一声で、我々はこうして集まった。
そしてアクエリアスは、単刀直入に用件を口にした。
誰の頭でも至極簡単に理解できるような、しかしあまりに大それたその事実を。
「――国境検問所付近にある死火山群の一部が、活動を再開しました」
言葉にすればそれだけのこと。
しかし、その言葉が意味するところは多大なる危機を我々に対して告げるものでもあった。
「バカな!」
すぐに姫の側近を務めるクレイオが声を上げた。
「国境付近の火山群といえば、恐らくディオル渓谷一帯のものでしょう? あの辺りの火山は確かに、過去にはいくつもの活火山が連なる危険な場所として知られていましたが、それも今から何百年も前の話です。その頃にちょうどやってきた国土全体の異常気象に伴い、全ての活火山は活動を停止し、そのまま死火山となっているはずだ。それが今になって、活動を再開したなどと……!」
「クレイオ、認めたくないのは分かります。私だってこの報告書に目を通し、あなたと同じ事を思いもしました。ですが、これは紛れもない事実なのです。すでに活動を再開した火山の一部からは溶岩が溢れ出し、山の斜面をゆっくりと下る様子が見て取れたそうです」
「……そ、そんな……」
愕然とするクレイオ。
それは無理もないことだ。
そして同時に、それは我々に対して規模の把握できない大惨事が近づいていることを意味している。
もしもこのまま火山活動が激しさを増し、さらに多くの死火山が連鎖的に活動を再開することになれば、大変なことになる。
この王都クリムゾニアは、地形で言えばちょうどすりばちの底の部分に当たる地形に位置している。
そこに流れ出した溶岩がとめどなく押し寄せれば、どうなるかは明白だろう。
もちろん、今すぐにどうこうということはないだろうが、それでも不安の色は残る。
自然の力とはそこまでに底が知れず、際限のないものなのだ。
無論、溶岩とて地表に出れば気温が冷えたことによって固まってはいくだろう。
なので、今も恐らく山の斜面を流れ続けているであろう溶岩が、そのまま固まって岩にでもなってくれればなんということはない。
が、それだけで済むとは思えない。
長い間……それも数百年単位で活動を停止していた死火山が息を吹き返したのだ。
これは憶測だが、その間に溜め込まれていたエネルギーの総量は、恐らくちょっとやそっとのものでは説明がつかない。
山一つを動かすほどの力なのだ、それも当然だろう。
「何とかならないのでしょうか?」
姫が懇願するように、アクエリアスの顔を覗う。
「……残念ですが、今は打つ手がありません。私達が太刀打ちできる範囲の相手ではないのです。戦争ならば敵兵を倒せばいい。ですが、今の敵は自然そのものです。どれほど兵の戦力をつぎ込んだとしても……いえ、恐らく人の手でどうこうできる範囲のものではないでしょう」
淡々とアクエリアスは言葉を述べる。
冷酷な言葉かもしれないが、それは紛れもない事実だ。
人間の力がどれだけ集まったところで、自然の力の強大さには手も足も出ない。
自然とはつまり、神に次ぐ精霊に次いでこの世界で強大な力を持つ、言わばあまりにも身近すぎるほどの敵なのだから。
「しかし、だからといって……」
やりきれないという表情で姫は困惑する。
何もできないと分かっていても、何もせずにはいられない。
分かっている。
姫に限ったことではなく、それが人間というものの考え方なのだ。
「とにもかくにも、今は落ち着いて今後の対策を考えるしかないでしょう」
後ろで控えていたトールがそう口にし、一歩前に出る。
「こうして手をこまねいていたところで、何かが起こるわけでもありますまい。奇跡を起こす神が都合よくいるのならばいくらでも祈りましょうが、どうやらそこには期待できないようです。我々にできることに最善の力を注ぐ。これが唯一の打開策では?」
「……私もトールに同感です。何もしないでいるよりは、何か行動を起こした方がずっといい」
私とトールの言葉を受けて、アクエリアスが頷く。
「そうですね。遅かれ早かれ、民もこのことに嫌でも気付かされるでしょう。もしかしたらすでに噂として広がっているかもしれません。そうなれば、街は混乱に陥ります」
「……民には、このことを勧告した方がよろしいのでしょうか?」
控え目に姫が聞く。
「……止むを得ませんね。本来なら余計な混乱を避けるべく、逆に気持ちを落ち着かせるべきなのですが、そうも言ってられません。人道的な動きなら予測は可能ですが、自然とはあまりにも気まぐれです。今は大丈夫でも、次の瞬間にはすぎに顔色を変えて襲ってくるやもしれません。それならば、事前勧告をして少しでも万が一に備えての非難の準備をさせておくべきでしょう」
「……分かりました。私はこれから勧告文を作成します。クレイオ、手伝ってくれますか?」
「承知いたしました」
「他の者は、このことを城内の者に伝達して事の重大さを認識させてください。騎士団長各位は、それぞれの部隊の兵に事情を説明後、速やかに兵を使って街全域にこのことを通達すること。ただし、決して騒ぎを大きくしないように。くれぐれもこれは注意を呼びかける程度のものにしておいてください」
アクエリアスの言葉にその場の全員が無言で頷き、静かに、しかし慌しくいくつもの足音が散開していく。
私達三人も足早に部屋を後にし、急ぎ足で各々の部隊の詰め所へと向かうことになった。
城内の廊下を走るたびに、いくつかの足音が急かすように交差する。
鎧の重さも忘れて、足を動かした。
走りながら、横目に城下の街並みに目を向ける。
そこは、まだ何も起こっていない……何も知らないありふれた日常が、当たり前のように広がっていた。
だが、数秒の後にその景色が、見る見る惨劇の色に染まり果てるかもしれない。
考えただけで寒気がする。
まだ何も手遅れになっていないというのに、何だろうこの焦りと憔悴は……。
「……くそっ、何だと言うんだ……!」
内に残る不安を無理矢理に振り払って、私は足を動かした。
階段を何段も飛ばしながら下り、中庭へ続く扉を乱暴押し開ける。
そのけたたましい音に、訓練中だった多くの兵の視線が私に集中した。
ああ、これならちょうどいい。
嫌でも私に視線が集まるから、集合させる手間が省けた。
「隊長、どうしたんですか……?」
肩で息を切らしながらそんなことを考えていると、トライはそんな声を漏らした。
答えず、私は大急ぎで呼吸を整える。
そして顔を上げ、今し方知ったばかりのことをその場にいる兵に伝えようと、口を開きかけたところで……。
――何の予兆もなしに、大地が咆哮した。
「な……」
「うわ……っ」
「な、何だ?」
「地震か?」
揺れを感じた多くの兵が、口々にそんな言葉を漏らす。
だが、そんな余裕もすぐに消えてなくなることになる。
揺れの勢いが、弱まるどころかさらに激しさを増していく。
最初は微弱な横揺れだけだったのが、今は縦も含めた全方向からの振動に切り替わっていた。
何か支えになるものがなければ、二本の足だけで大地に立つことなど不可能なくらいに、その揺れは大きくなっていた。
あまりに大きなその揺れに、すでに多くの兵が地面に組み伏せられたかのように倒れていた。
こうなると、地面にしがみつくくらいしか頼りになるものはない。
が、それさえもやすやすと打ち破るように、吼えた大地は雄叫びを上げる。
ビシリという亀裂音。
まさかと思いながらも地面に目を向けると、地面にはすでにいくつもの裂け目が生まれているところだった。
土色の地面の上だけではなく、亀裂は石畳の地面にもいくつも生まれ、岩盤を砕くかのようにその亀裂をどんどん枝分かれさせて走らせていく。
私もついには、肩膝をついて倒れてしまいそうになっていた。
剣を支えにどうにか堪えはするが、そう長くは持たないかもしれない。
これほど大きな地震の揺れは、生まれてこの方感じたことがない。
よもや、地面に裂け目を作るほどのものなんて……。
そこまで思い返して、私はハッと気付かされる。
同時に、わずかに耳に届いた新しい亀裂の音。
しかしそれは、足元の地面からではなく。
もっとこう……はるか上空、上方向から聞こえてきたもので……。
振り返るように天を仰ぐと、そこには。
――この揺れによって剥がれ落ちた城壁の一部の岩盤が、今まさに落下しようというところだった。
その大きさは、楽に十人以上を押し潰すことができるくらいの面を持っていて。
とてもじゃないが、今から逃げろと叫んだところで、体勢を崩した兵達は気づくことが精一杯だろう。
パラパラと、岩盤の一部が零れ落ちる。
そして、一瞬の間を置いて、岩盤は重力から解き放たれた。
直感する。
無事ではすまないと、本能が告げた。
「逃げろぉぉぉっ!」
無駄だと分かっていても、やはり私は叫んでいた。
そして思ったとおり、多くの兵はその声に気付かされ、ゆっくりと天を仰ぐことしかできず……。
何が起こったか理解する頃には、岩盤の下敷きになって血まみれになっているに違いない。
間に合え、間に合ってくれ……っ!
願い、不安定な大地の上にもう一度二本の足で立つ。
支えの剣を引き抜き、無我夢中でその剣先に全神経を集中させた。
風が生まれる。
すでに剣は振るわれている。
下から上へ、切り上げるように素早く、力強く。
「間に合えぇぇぇっ!」
風の開放。
剣先から解き放たれた紺碧の光は弾となり、落下してくる岩盤に向けて正面から激突した。
そして、爆音。
大砲が壁を突き破るような、そんな爆音を響かせながら、粉々に砕かれた城壁の欠片がそこら中にパラパラと落ちてきた。
粉塵が舞う中、何が起こったのか理解できていない兵も多い。
しかしどうやら、誰一人として大きなケガは負わずにすんだようだ。
「……っ、う……」
グラリと、私の体が遅れて重力に引き寄せられる。
「た、隊長!」
その体を支えてくれたのは、隣にいたトライだった。
「大丈夫ですか?」
「……ああ、平気だ。少し、張り切りすぎただけだ……」
本来、この力を解放するには一定時間の溜めのようなものが必要なのだ。
今回に限り、それを全く無視して力を解放してしまったため、それだけ体に跳ね返る負担も大きかった。
揺れは今もまだ続いている。
一時に比べればずいぶんと弱まってはいるものの、それでも油断はできない。
「一体、何が……」
トライのその言葉に、私は思い出したように告げた。
「……トライ、緊急事態だ。天変地異か何かかは知らないが、今この国そのものが不安定な状態にある。もしかしたら、この地震もその影響かもしれない。すぐに兵達にその旨を伝えて、街の民にも注意をするように促すんだ。そのあとは、今の地震で被害が出ていないかどうかを調べろ。いいな……」
「ちょ、隊長? どこ行くんですか?」
「私は一足先に、街の様子を見てくる。お前も後から続け。任せたぞ……」
ふらつく体に鞭打って、私は急いで城下への道を走る。
「副隊長、これは一体?」
「何が起こってるというんですか?」
背中でそんな兵達の声を聞きながら、私は急いだ。
気がかりで仕方がないことが、一つだけあった。
「……アリス」
少女の顔が浮かぶ。
「無事で、いてくれ……」
約束はまだ、果たせてない。
いや、果たせなくなるかもしれない。
そんな不安さえも振り払って、走る。
青い空は、もうどこにもなくなっていた。
まるでいくつもの絵の具が混ざり合ったように、不気味な混沌を思わせる色が、空には広がっていた。