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LinkRing  作者: やくも
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Episode63:微笑の傷痕


「そうだったんですか。あなたがアリスの言っていた騎士の方だったんですね」

 台所でカチャカチャと食器類の音を立てながら、先ほど私とぶつかった女性……アリスの姉である彼女、エルクは言った。

「ええ、まぁ……」

 と、私は曖昧な返事だけを返して、目の前に差し出された紅茶の入ったカップをゆっくりと持ち上げ、一口含んだ。

 店先でばったりとアシルと再会を果たしてしまった私は、ことのあらましをアルクに対して簡単に説明した。

 昨日の今日ということで、エルクもまだあまり詳しい事情を知らないようではあったが、それでもアリスの言葉から察するに、話の中に出ていた騎士が私であるということは理解してもらえたようだった。

 そうして二言三言交わすうちに、立ち話もなんだからまずは中に上がってくれないかと言われたのだ。

 確かに、立ち話を続けるにしたって店の中では迷惑になってしまうだろう。

 それにもともと、私はアリスの花屋を訊ねる目的でこうして外出しているわけであって。

 断る理由はなく、私はエルクの言葉に促され、お邪魔させてもらうことにした。

 それに、何より。

 彼女……エルクには、知る権利がある。

 昨日という長すぎた一日の中で、一体何が起こっていたのか。

 結果として、何がどうなったのか。

 全てを語るべきだろう。

 言葉にすれば短い、しかし信じられないようなその出来事の発端、そして結末を……。


 さて、どこから話せばいいものだろうか。

 わずかに緊張の走る沈黙を前にして、私とエルクは静かに向かい合っていた。

 一方アリスは、何も知らずに店先で花の世話をしている。

 もちろんアリスも当事者の一人ではあるのだが、まだ幼いアリスには少し難しく、込み入った話になってしまうことだろう。

 気を利かせたというわけではないだろうが、エルクはアリスに店番を頼むことで、人払いのようなことをしていた。

「エルクさん、あなたは昨日の事について、どこまでご存知ですか?」

 まず私は聞いてみる。

 もしも昨日、アリスを送り届けた兵から簡単にでも事の一部始終を聞かされているのなら、同じ説明を繰り返す必要もないだろう。

 としかし、聞いた直後に私は思った。

 結局のところ、アリスを最後に目にしたのも私自身だ。

 いくらフェンリルに遭遇した時点で全員が一緒だったとしても、兵達の多くはその後何が起こったかまでは知るはずもないだろう。

「私が聞かされたのは、アリスが無理矢理に皆さんと一緒に、薬草となる花を採りに行っていたということくらいです」

「なるほど。では、そうなるに至った原因には、心当たりは?」

「……それは……ないわけではありません。シルフィアさんももうアリスに聞かされているとは思いますが、私達の母の容態のことはご存知ですよね?」

「…ええ。アリスから聞かされています」

「だとすれば、原因はきっとそれなのでしょう。あの病気、というか症状は、過去にもほとんど例を見ないほどの難病で、一種の呪いではないのかと囁かれているほどのものです。どうして母がそんな病に伏せてしまったのか、その原因は未だに分からずじまいですが、それを知ったとき、正直私は絶望的でした。アリスには難しすぎた話でしたが、それでもあの子なりに、母が苦しんでいて、それが医者の手にかかっても治すことのできないものだということくらいは分かったようです……」

 エルクは視線を動かす。

 その先には、せっせと店先で動くアリスの姿があった。

 花に水をやり、棚の上を掃除し、どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。

 そんな表情を見ていると、こっちまでつられて微笑んでしまいそうになってくる。

 幸いなことに、アリスのケガは大事に至るものではなかったらしい。

 膝の辺りに小さく包帯を巻いてこそいるものの、あれも転んだ際の擦り傷程度のもののようだ。

 本当によかったと、改めて私は胸を撫で下ろした。


「症状が極めて特殊だと分かって、私達も八方手を尽くしました」

 エルクは視線を戻し、話を再開する。

「街中の医者を駆け回って、似たような症状に対する薬も処方してもらいましたが、効果は全くと言っていいほどありませんでした。聖堂教会の知人を頼って、治癒術を施してももらいましたが、こちらも全く……。薬も治癒も利かないのでは、もう手の打ちようがありませんでした。それでも何かないかと、私は様々な薬草を洗いざらいに調べました。アリスは、それを一緒に手伝ってくれてたんです」

 これがその資料ですと、エルクはテーブルの上にその分厚い本を何冊も積み上げた。

 ざっと見るだけでも相当の量が見て取れる。

 一冊一冊が厚さ五センチ近いような、そんな資料だ。

「正直、望みはかなり薄かったです。藁にもすがるというのは、あのときの私達のようなことを言うのでしょう。それでも諦めるわけにはいかず、必死で目を通しました。作業は夜を徹し、気付いたら私は日中の疲労と重なって、寝入ってしまっていたんです」

 パラパラと、エルクはその中の資料の一冊を取り上げ、次々にページをめくっていく。

「夢に決まってる。悪い夢に違いないと、そう願わずに入られませんでした。目が覚めたら全てが嘘で、母はきっと何事もなかったかのように、いつもと変わらない朝食を用意してくれているんじゃないかって……逃避ですよね、こんなの……」

「……そんなことは」

 かける言葉が見つからず、口から出たのはそんなありきたりな言葉だった。

 それさえも最後までは綴られることなく、私は力なく言葉を区切ってしまう。

「……でも、そうじゃなかった」

 ページをめくり続けていたエルクの手がふいに止まる。

 そしてその分厚い資料の一つのページを、エルクは私に差し出すように見せた。

「これは……」

 そこに載っていたのは、間違いなくあの伝説の上のものとされていた花……オリビアの花だった。

 純白を超える白さを放つ、女神が愛した光の花。

 その香りは全ての傷を癒し、その露はあらゆるものに活力をもたらすだろう。

「朝目覚めたら、私の背中には毛布が一枚かけてありました。そしてテーブルの上に散らばったいくつもの資料の中で、この本のこのページだけが大きく見開かれて、そしてアリスの姿がどこにもいなくなっていたんです」


 なるほど、そういうことだったのか……。

「起き抜けの働かない頭でも、すぐに分かりました。アリスは……あの子きっと、この花を探して家を飛び出して行ったのだろうと。私もすぐに追いかけるべきでした。だけど、母をそのままにしていくわけにはいかなかった。お店は休むことができるけど、母の傍を離れることはできなかったんです……」

 エルクにとって、それは苦渋の選択だったのだろう。

 アリスを連れ戻さなくてはいけないという感情と、母の傍を離れるわけにはいかないという二つの感情が競り合ったのだ。

 どちらに傾いても、どちらかを危険に置き去りにすることになる。

 かといって、どちらにも手を伸ばすことはできない。

 二兎を追うものは一途をも得ずとは、まさにこのことなのだろう。

「そんなときでした。たまたま私は、早朝から騎士団の方達が遠出をするという話を耳にしたんです。その行き先が、偶然オリビアの花の生息地とされている霧深い森……狼王の住処だと知って、私はその偶然の一致に望みを託すしかできなかった」

 エルクにとって、その偶然こそが後の奇跡に繋がる一歩だったのかもしれない。

 事実として、私達騎士団は道の途中でアリスと出会い、事のあらましを聞くことができた。

 恐らく、ここまではアルクの望みが果たされていたのだろう。

 が、問題はまさにその後のことだった。

 伝説は、現実となって我々に襲い掛かってきたのだから。


 できるだけ詳しく、私はこの目で見たことをエルクへと伝えた。

 最初は半信半疑だった彼女も、話の内容と実際の私のこのケガを見て、話を信じないわけにはいかなくなっていた。

「……これが、あの森で起こった私の中の最後の記憶です」

「……そう、だったんですか……」

 どれだけの時間を費やしたのだろうか。

 ずいぶんと長く感じるが、その割にはカップの中の紅茶はまだ完全には冷め切っていないようだ。

「…………」

「…………」

 やや長い沈黙。

 やがてエルクは、見開かれた本を手元へと引き寄せ、静かに白い花のページを閉じた。

「……私は」

 その微かな物音を合図にするように、私は口を開く。

「私は、あなた達に謝らなくてはいけません」

 答えず、エルクは黙って先を促した。

「私は、アリスを守ると誓った。にも関わらず、私は斃れた。目の前に、あの子の影を見ていたのに、斃れたのです。騎士にとって、誓いは絶対にして唯一のもの。それを果たせなかった時点で、すでに私に騎士を名乗る資格などは、もうないのです……」

 両膝に手を添え、静かに頭を下げる。

「謝って済む問題ではないと分かっています。しかし、今の私にはこうすることでしか自分の罪を償うことができない。本当に申し訳なく思っています……」


 ――剣に掲げた誓いは、何を犠牲にしても守り通せ。


 私が騎士を志したとき、目標としていたその人が言っていた言葉だ。

 だが、どうやら私はそれを果たせなかったようだ。

 やむをえない状況だったかもしれない。

 どうしようもない展開だったのかもしれない。

 しかしそれを口にしてしまえば、それだけで私は逃げたことになる。

 例え騎士であることを捨てるときがあっても、逃げるわけにはいかない。

 逃げればそれは、今日までの自分と、今日までの自分を支え続けてきてくれた全ての人達を裏切ってしまうことになるから。

 両手の拳を強く握り締めた。

 傷付いた拳は、ズキズキと頭に響く痛みを発する。

 奥歯を噛み締める。

 傷よりも、今は心が痛い。

 だが、それでも。

「……何を謝ることがあるのですか?」

 エルクは言ってくれた。

 憎しみや悲観など、微塵も感じさせないほどの優しい笑みを浮かべて、言ってくれた。


「顔を上げてください、シルフィアさん。あなたがそんなにも傷付いて守ってくれた命に、もっと誇りを持ってください。これから先、あの子は昨日の思いを胸に秘めて生きていくんですよ? 私には、命の恩人である素敵な騎士の人がいるんだって」


 そしてエルクは、視線だけで促した。

 私は振り返る。

 そこにある、小さな小さな少女の笑顔。

 間違いもなく、紛れもなく、疑いようもなく、それは……。


 「――……目を開けて、今を見てください。そこにあるものは、きっとあなたが誇れる未来に繋がっているはずですから……」


 アリスが振り向き、目と目が合う。

 そして少女は、本当に嬉しそうに、楽しそうに、そして優しく。

 まるで、天使のような笑顔で微笑んでくれた。

「……ええ、本当に……」

 目の端が途端に熱くなる。

 ああ、しまった。

 うっかりしていたが、もうどうにもならないな。

 胸の奥でそう呟く。

 間もなくして、透明な雫は音もなく静かに私の頬を流れ落ちた。


 うららかな日差しの、よく晴れた日の午後のことだった。



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