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LinkRing  作者: やくも
55/130

Episode55:力の差


 変化は突然だった。

 それは天気が晴れから曇りに変わるような、そんな自然さとはまるで別物で、明らかに人為的な変化だった。

「……何だ?」

 最初に気付いたのは、その一つの出来事だった。

 戦い始めてしばらく経過し、ようやく体がフェンリルの素早い身のこなしにどうにかついていくようになった頃だ。

 私は眼前に繰り出されたその爪の一撃を、間違いなくギリギリ間合いの外へ飛び退くことで回避した……はずだった。

 だが。

「ぐあっ!」

 実際はそうではなく、それもまさに紙一重の差ではあったが、フェンリルの一撃は私の鎧の胸部をなぞるように削り、衝撃で私の体はあえなく後方へと吹き飛ばされてしまう。

「シルフィア!」

 反対側からトールの声が響く。

「……大丈夫だ、心配ない」

 呻き声を押し殺しながら、私はわずかにふらつきながら立ち上がる。

 かすっただけの一撃だというのに、衝撃は鎧を突き抜けて肉体まで十分に届いていた。

 致命傷と呼ぶのは程遠いものではあったが、ジクジクとくすぶるような鈍痛が私の胸には残っていた。

 さすがは狼王と呼ばれ、聖獣と称されるだけのことはある。

 そもそもこうして神の使いである存在と相対するなどと、私はこれまでの人生の中で夢にも思ったことはなかった。

 それがこうして、今まさに現実として目の前で繰り広げられている。

 それは光栄極まりないものなのかもしれないが、反面、実に恐ろしいことなのかもしれない。

 ……いや、よそう。

 少なくとも今は、そんなことを考えている余裕などはこれっぽっちもありはしない。

 かすっただけでこの威力、直撃すれば間違いなく絶命に至る傷は避けられそうもない。


「……っ!」

 再び剣を構え、私はフェンルに向き直る。

 対するフェンリルは私を正面に見据えながらも、左右に位置するトールとアクエリアスにも警戒を怠ってはいない。

 特に、魔術を使用するアクエリアスに関しては細心の注意を払いながら、自らの攻撃の間合いのちょうど一歩ほど外の距離を保ち続けている。

 その証拠に、アクエリアスは先ほどから得意とする魔術を一切使用できないでいた。

 その理由が、両者の間合いだ。

 どのような魔術であれ、術を行使するには詠唱という時間を伴う。

 その間、術者は極めて無防備な状態になることは必至だ。

 つまり、どれほど強力な魔術を体得した者でも、結果としてその魔術が発動に至らなければそれは恐れるに足りない。

 熟練の魔術師や、稀代の天才とも呼ばれる者になれば、その詠唱という過程をゼロに、あるいは限りなくゼロに近い状態で術式を発動させることは決して不可能ではない。

 しかしそれは、数十年という気の遠くなるような歳月の中、自らの生涯全てを魔術に捧げることと同等であり、なおかつ生まれ持った天賦の才を加えて初めて実行可能となると言っていい。

 残念だが、アクエリアスにそこまで大きな技術は備わってはいない。

 それでも、槍における戦術と魔術の組み合わせによる戦法は、確かにずば抜けた効果をもたらすものではある。

 そのアクエリアスでさえ、今だけは詠唱に意識を集中することさえできはしない。

 鋭く刺すようなフェンリルの視線が、常に警戒の色を発していたからだ。


「は、ぁっ!」

 ならばこちらから仕掛けてやるまでだ。

 私は一足飛びで間合いを詰め、フェンリルの額目掛けて真っ直ぐに剣を振り下ろす。

 かたやフェンリルは、それを迎え撃つかのように一瞬腰を屈めたが、すぐにその動きを停止して、わずかに横合いへと身を寄せた。

 それというのも、タイミングをほぼ同じにしてトールが横方向から切りかかっていたからだ。

 わずかでも警戒心を解いていれば、恐らくトールの動きには反応できなかっただろう。

 私とトールの仕掛けたタイミングはまっさに絶妙で、二方向同時からの斬撃を同時に回避することは容易ではなかった。

 だが、それでもフェンリルはその身のこなしでそれを成し遂げていただろう。

 少なくとも、この場にアクエリアスがいなければそうなっていたはずだ。

 それをしなかったのは、腸外トールの二方向同時攻撃に反応を集中させてしまえば、その分だけアクエリアスに魔術詠唱の猶予を与えてしまうことになるからだ。

 単純な肉体面での基礎体力、瞬発力では、私達はフェンリルの足元にも及ばないだろう。

 だがその反面、魔術による攻撃は効果的だ。

 魔術とは元来より、精霊の力の一部を借りて行うものである。

 精霊、つまり神の使者ともいうべき、人を超えた存在に当たる者。

 それらの力を一部とはいえ受け、行使する魔術の威力は半端なものではない。

 単純な威力の面で見ても、それは剣で切り伏せる一撃の重さの数十倍以上のものになる。

 フェンリルとて、精霊の加護を受けた神の使いだ。

 魔術の恐ろしさはよく理解しているだろう。

 だからこそ、こうして今もアクエリアスに警戒の目を向けながら、なおかつ私とトールの一撃を回避しようと無理な体勢に陥っているのだ。

「はぁっ!」

 まず最初に、横薙ぎのトールの一撃が空を裂いた。

 が、惜しくもその一撃はフェンリルの銀の体毛をいくばくか切り飛ばしたに過ぎない。

 手応えのなさに歯噛みするトールだが、しかしそれは決して無駄なことにはならない。

 その一撃のおかげで、フェンリルはわずかながらにもその体勢を崩したのだ。

 そして今なお、アクエリアスに対する警戒は解くわけにはいかない。


 それを逆手に取り、今度はアクエリアスが仕掛けた。

 魔術の詠唱を始めるかと思わせ、全くの予想外である槍による中距離からの物理攻撃。

「はっ!」

 真っ直ぐに射抜くように突き出した矛先は、しかしフェンリルの背を浅く切り裂いただけに留まった。

「むぅ……」

 が、その連続の攻めによってフェンリルはわずかに唸りを上げた。

 傷そのものは大したことではない。

 もっとも重要なのは、この最後の上空からの私の一撃だ。

「もらった!」

 滞空時間を終え、重力に引き寄せられるままに私の体は落下する。

 同時に、両手で握るその剣をただ真っ直ぐに、大木を真っ二つに切り裂くかのように振り下ろす。

 狙いはフェンリルの額。

 だが、恐らくこれほどまで崩れた体勢でもフェンリルはその体を動かすだろう。

 しかしそれでもいい。

 額への一撃を免れたとしても、今はその巨大な体が的として大きすぎるのが災いだ。

 首筋か肩口か、どちらにしても深手を負わせることはできる。

「食らえ、フェンリ……」

 その振り下ろす一撃を確信して、私がそう口にしかけたときだった。

「な……」

 突然、目の前がぼやけた。

 いや、それは少し表現が正しくないかもしれない。

 正確に言えば、目の前にいるはずのフェンリルとの距離感が、全くつかめなくなってしまったのだ。

 迷いを隠せないまま、しかしそれでも私の振り下ろす剣は止まることを知らない。

 剣先が下り、もうあと少しでフェンリルの額を切り裂く。

 という、まさにその瞬間だった。

 今度という今度こそ、その変化は起きた。


 ――私の目の前から、フェンリルの姿が煙のように消えてなくなった。


「……っ!」

 その目の前で起きた出来事に、私は剣を振り下ろすことを忘れてそのまま地面へと着地した。

「な、何が起こったというのだ?」

 私は目の前を向き直る。

 しかしそこには、やはりフェンリルの姿がない。

 いや、それだけではなかった。

 決して遠くない場所にいたはずのトールとアクエリアスの姿までもが、いつの間にかどこにもいなくなっていた。

「これは、一体……」

 わけがわからなくなる。

 何が起こったというのだろう?

 と、考え込み始めたその直後、目の前を漂う灰色のそれに私は気付いた。

「……これは、まさか……霧か?」

 その通りだった。

 いつの間にか、私の周囲全体を包み隠すほどの膨大な量の霧が立ち込めていた。

 深く濃く、どこか冷たさと息苦しささえも覚えさせるような灰色の霧。

 この森の周囲の立ち込めていたものと比較しても、その密度は計り知れないほどに大きい。


「……なぜだ? なぜ今頃になって、こんな霧が……」

 一人呟く私の耳に、答えるようにその声は響いた。

「勘違いをしているようだな、人の子達よ」

「……フェンリルか? くそっ、どこだ! どこにいる!」

 周囲を見回すが、分厚い霧に包まれたそこはもはや隔絶された別の空間のようだった。

 森の中だったはずなのに、周囲にはもう木の一本も見えはしない。

 自分の体さえも、満足に視認することはできない状態だ。

「霧に隠れて戦うつもりか? 卑怯者め、姿を見せろ!」

「何度も言わせるな。それが勘違いだといっているのだ」

「勘違い……だと?」

「……どうやら、気付くには至らなかったようだな」

 フェンリルはどこか穏やかな口調でそう呟き、言葉を続けた。

「思い出してみるがいい。我が森がなぜ、狼王の住処と呼ばれ、常に深い霧を携えているのかを」

「……なぜ、だと? この森は気候や天候、湿度やその他の様々な条件が揃って偶発的にできた、天然の迷宮ではないのか?」

「それが勘違いだと言っているのだ。そもそも、この世界に偶然というものは何一つ存在しない。例えどのような結果であろうと、結果が形となったからにはその出来事は必然なのだ。ゆえに、我が森が霧に包まれ続けているのも偶然が重なってのことではない。全ては必然の上に成り立つのだ」

「……っ、何が言いたい、フェンリル……」

「まだ分からぬか」

 そう嘲るように言い放ち、そして途端に空気がわずかに変わった。

「この森が霧に包まれ続けていることも、今こうして主の前に霧が立ち込めているのも、全ては必然なのだ。しかし、それは必然を通り越して当然のこと。なぜなら……」


 そして私は、わずかに背後から隙間風のようなものを感じた。

 壁にある亀裂のように細い隙間を、風が通り過ぎるような微かな音。

 それがまるで、誰かの弱々しい息遣いのように思えて……。

 ゆっくりと、私は背後を振り返った。

 そこに。

「気付いたか? だが、やや遅い」

 銀の体毛をなびかせた、フェンリルが立ちはだかっていた。

 私は急いで剣を強く握り締め、構えようとした。

 しかしその動作の倍は早く、フェンリルの言葉が耳に届く。


 「――我が力は、霧を操る力。言い換えれば、我こそ霧そのもの。ゆえに、霧に切るも裂くも貫くも通じはせぬ。これこそが、世界創世の頃より神と精霊に与えられり我が真の力なり」


 その言葉を言い終えるか否か、はたまた同時か。

 自ら生み出した霧さえもまとめて切り裂くように、音もなく繰り出された爪が私の体を襲った。

 痛みを忘れるほどの衝撃。

 自分の体が吹き飛ばされているのだと気付くのに、どれだけ時間が掛かっただろうか。

 次に襲ってきた衝撃は、背骨がギシと鳴る不快な音と、胃の中からこみ上げてきてたまらずに吐き出した鉄の味だけだった。

 木の幹に勢いよく叩きつけられた私は、激痛の中で閉じかけた瞳の奥に、改めて銀の聖獣の姿を見ていた。

 霧が集束していく。

 煙が一点に吸い込まれていくように、全ての霧がフェンリルへと戻っていく。

 すでに薄れ掛けた意識の中、私は激痛に抗っていた。

 そして、否が応でも思い知る。

 これが、人と聖獣との、いかんともしがたいほどの力の差であることを……。



どうも、お久しぶりです。

作者のやくもです、こんんちは。

先週からお盆を利用して里帰りしていたため、更新の時間が大きく開いてしまいました。

まずはそのことについて、この場を借りてお詫びいたします。

楽しみにしてくださっていた皆さん、どうも申し訳ありません。

今後はいつもどおり、大体2.3日置きの更新をメドに通常連載をしていきますので、今後もよろしくお願いいたします。

残暑が厳しくなってきました、夏バテなどしないように、皆さんもお気をつけて。

それでは、これで失礼します。


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