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LinkRing  作者: やくも
54/130

Episode54:戦う理由


 まず聞こえたのは、風を切り裂く音だった。

 薙ぐように、そして払うように、かつ暴虐に、容赦のない狼王の爪痕は軽々と地面を抉り取った。

「くっ!」

 衝撃で体後と吹き飛ばされそうになるのを、後ろに飛び退くことで相殺する。

 が、体勢を崩されたことには変わりはない。

 そこを狙い済ましたように、フェンリルはその大きな体躯の重さをまるで感じさせない速さで地を蹴り、突進してきた。

 雄叫びのような声が響き、その牙を剥き出しにして噛み砕かんと言わんばかりに襲いくる。

 私は剣を構えたまま、体を大きく横に転ばせた。

 へたに体勢を維持したまま回避するより、いっそのこと転がってしまった方がはるかにかわしやすいと判断したからだ。

 私が地面を数回転がり、起き上がるまでの間、フェンリルの側面からは大剣を構えたトールが大きく振りかぶった。

「食らえ!」

 フェンリルの爪と及ばずながらも、風を切る轟音を響かせながら大剣が振り下ろされる。

 重さも相当なものであり、扱うには常人の数倍の筋力がなくては無理といわれる大剣、クレイモア。

 クリムゾニアの騎士団の中でも、トールほどに大剣を使いこなす者は他にいないだろう。

 剣の重さと筋力の強さ、加えて振り下ろす際の速度による加重。

 これだけの攻撃力を兼ね備えた一撃は、たとえ大木の幹であろうとあっさりと両断するだろう。

 が、その重い一撃さえも、フェンリルに言わせれば大したものではなかった。

「ふむ」

 頷くようにそう呟き、フェンリルはその爪であっさりと一撃を受け止めてしまった。

 まるで鉄の塊でも切り付けたかのような、金属同士がぶつかりあう音がした。

 音は波紋のように共鳴をし、耳鳴りさえ覚えるほどのものだ。

「ぐぅっ!」

 一撃をあっさりと弾かれたトールが、わずかばかりによろめいた。

「いい一撃だ」

 と、それを賞賛するかのようにフェンリルは語る。

「だが、人の子にしてはの話に過ぎん」

 そして弾いた爪を、今度はトールの鎧目掛けて大きく振り抜いた。

 ガゴンという鈍い金属音がして、直後にトールの体はまるで球のように宙を舞っていた。

「トール!」

 咄嗟に私は叫んだが、とても助けに回れる距離ではない。

 このまま頭から落下すれば、怪我どころの話ではすまない。

 しかし空中という領域では、人のみならず多くの生物があまりにも無抵抗だ。


 緩やかな放物線を描き、トールの体が静かに地面へ向けて落下する、その刹那。

「大地の流動よ、此処に集え」

 詠うような言葉。

 それは、呪文だった。

「アースクラフト!」

 アクエリアスがそう叫ぶと同時に、目の前の地面がまるで噴水のように隆起した。

 そしてそれは、落下するトールの体をしっかりと受け止め、やがて砂のようにゆっくりと崩れて消えていった。

「ほぅ、魔術も使えるか」

 これまた感心したように、フェンリルはその様子を覗いながら呟いた。

「すまんアクエリアス、助かったぞ」

「礼は後回しで結構。さぁ、構えてください」

 言われるがまま、トールは再び大剣を構えなおしてフェンリルに向き直る。

 と、そのときになって気付いた。

 トールの鎧の表面には、フェンリルの爪によって何本かの切り裂かれた痕がくっきりと残っていた。

 鋼鉄を何重にも編み込んで作られた特殊な鎧を、いともかんたんに引き裂く寸前まで追い詰めている。

 もしもこの鎧が身を守っていなければ、今頃トールの体は肉を引き裂き骨を砕かれ、見るも無残な死体と成り果てていたことだろう。

「……っ!」

 考えただけで背筋に悪寒が走る。

 私はこのとき、ようやく理解した。

 目の前のこのフェンリルという存在は、人間とか獣とか、そういう言葉でくくりきれるようなものではないのだと。

 これは確かに、精霊と神の加護を受け、世界誕生のそのときから、永きに渡ってこの大地に生を司られた崇高なる存在。

 言い換えれば、もはや神の化身と言っても過言ではないだろう。

 それほどの強さと、威圧感、存在感を持ち合わせている。

「ふむ」

 そしてまた一つ、フェンリルは小さく頷いた。

「肉体、精神、共によく鍛えられた者達のようだ。人の子でありながらそれほどの力を身に宿すとは、驚嘆に値する」

 そしてフェンリルは一度、構えを解いた。

「なおのこと、後の世界にお前達のような者はなくてはならぬ存在となろう。引くがよい。命までは取るまい」


 それは遠回しながらも、フェンリルが我々の力を認めたということに他ならなかった。

 だからこそ、無益な命の奪い合いをせずに、大人しく引き上げろと、そう言っているのだ。

 残念だが、実際にそのほうが懸命な判断だったのは間違いない。

 私も含め、多くの者はすでに騎士として十分な強さを持っている。

 が、その力をいくつまとめてぶつけたところで、恐らくこの狼王の前では赤子同然の扱いを受けることだろう。

 面と向かい、その目を見たから分かる。

 これはもう、強さや力の次元が違う。

 言葉どおり、それはまさに神と人との差にも等しいほどのものだった。

 勝ち目などという、そんな甘い希望は何一つ見当たらない。

 逃がしてくれるというのなら、その言葉に素直に従わない理由も見当たらない。

 だが、仮にそうだとしてもだ。

「……恐縮な言葉ではあるが」

「……ええ。確かにその通りですが……」

「……そこで素直に引き下がれるほど、騎士という称号は安いものではないのでな」

 私達は三人揃って、再び武器を構えた。

「……口で言っても無駄ならば、止むを得まい。その命、賭す覚悟で闘うがいい」

 やや腰を落とし、フェンリルも迎撃の態勢を取る。

 かたや我々は三人がかりとはいえ、優劣の差はあまりにも明らかだ。

 こんな急場では策も練りようがないし、正直八方ふさがりもいいところである。

 だが、そうだとしてもだ。

「…………」

 私は一度だけ、背中を振り返った。

「あ……」

 背後の木の陰に、兵と共に身を隠すアリスの姿が見えた。

 不安げな色を隠せないその目に向けて、私は小さく微笑んで、すぐに向き直った。


「狼王、フェンリルよ」

 私の言葉に、フェンリルが耳を傾ける。

「私達は、少なくとも貴方と争うためにここにいるわけではない。行方不明の者達の消息を追い、オリビアの花を採取しにきただけだ」

「そちらの事情など、我には関係のないこと。ここは我が森。魔境にして聖域なり。そこに許可なく踏み入ることは、それ相当の覚悟が必要という、ただそれだけのこと」

「だが、そうも言ってられないのだ」

 剣先を向け、私は続ける。

「少なくとも今、こうしている間にも失われるかもしれない一つの命が確かにあるのだ。それを黙って見過ごすことなど、私にはできない」

「…………」

 フェンリルは答えない。

 ただ、その視線が私を超えてその後方に佇むアリスの姿を端に捉えているような気がした。

「無理にでも押し通る。この判断に変わりはない」

「……ならば、その力で押し進んで見せよ」

「言われるまでも……」

 私は剣を構え、一直線に地を蹴った。

 踏み込むその足に、ありったけの力と、もう一つの魔力を注ぎ込んで。

「な……」

 それは、狼王が漏らした初めての驚愕の言葉だったのかもしれない。

 それのそのはずだろう。

 フェンリルの正面に立ち、確かに地を蹴ったはずの私の姿は今、すでにそこにはない。

 ただ、そこには確かに地を蹴った靴跡が残っていた。

 では、私は今、どこにいるのか?

「……この速さ、まさか……!」

 そう言いながら背後を振り返るフェンリルの視界に飛び込んだのは、剣を掲げて振りかぶる私の姿に他ならなかった。

「ないっ!」

 そして振り抜いた斬撃は、狼王の背中を切り付けた。


「ぐ……っ!」

 わずかに苦痛に歪む声。

 剣先にはわずかだが赤い血が付着し、今の一撃が多少なりともダメージを負わせたことを物語っている。

「むぅ……」

 目つきを鋭くし、フェンリルは威嚇のような眼差しで私を睨みつけていた。

 その目には、驚愕のほかに疑問の色も見て取ることができる。

 その目に向けて、私は今一度剣先を向けて言う。


 「――人の子をあまりなめてもらっては困るな、狼王よ」


 これは死闘ではなく、私闘である。

 ただ、そこにあるゆずれない理由と、木陰で見守る少女の想いだけは、ただ一つの確かなものだった。

「……なるほど。やはりお前達は、加護の欠片を受け継ぎし者だったか」

 フェンリルは言う。

 負った傷は浅く、身体能力に関して大きな影響を及ぼすほどのものではなさそうだ。

「……よかろう」

 そしてフェンリルは、雄々しいその目で私達を見渡す。


 「――人の子らよ。その力に敬意を評し、我も真の力で戦わせてもらおう」


 そして、周囲にわずかな変化が起き始めていた。

 あれほど奇麗に晴れた霧が、また少しずつ集まりつつある。

 そのことに、私達は全く気付いてはいなかった。

 少なくとも、このときは、まだ……。



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