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LinkRing  作者: やくも
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Episode4:風の暴走


 大和が慌てたように部屋を出てから、もうかれこれ十五分以上が経っている。

 トイレにしては長いようにも思えるし、やっぱり本当は具合が悪かったのかもしれない。

 私は大和の分のカップも持って、一度大和の部屋を出た。

 階段を下りると、ちょうどリビングには八重子さんの姿があった。

「あら? どうしたの、唯ちゃん?」

 小母さんは私に気が付くと、小走りに駆け寄ってくる。

「あ、これ。飲み終わったんで、持ってきました」

 私は空になった二つのカップを手渡す。

「そう。わざわざありがとうね」

 受け取ると、小母さんはそれを持ってキッチンへと向かっていく。

「あの、小母さん」

 その背中に、私はもう一度声をかけた。

「ん? 何?」

「その、大和はどうしたんですか? やっぱり、具合でも悪かったんですか?」

「具合が悪いって、あの子が?」

 小母さんは小首を傾げてそう返す。

「あの子だったら、ちょっとコンビニまで買い物に行くって出て行ったけど。何かあったのかしら」

「……そう、ですか……」

 コンビニに買い物?

 とてもじゃないけど、そんな風には見えなかったけど……。

 あのときの大和は、何かこう……急いでいるっていうか、慌てているっていうか。

 うまく言えないけど、とにかく様子が普通には見えなかった。

 けど、それを確かめようにも肝心の大和本人がいないわけだし……。

「じゃあ、私もう少し部屋で待ってますから」

「ごめんね。帰ってきたらすぐに向かわせるから」

「はい」


 私は八重子さんと会話を終え、再び大和の部屋に戻った。

 数学のレポートも大半は終わり、あとは見直しをするくらいだけ。

 私はちょっとだけ眠くなっていたので、目を覚まそうと思って大和の部屋の窓を開けることにした。

 カーテンを開け、鍵を開けて窓を開ける。

 外からは涼しい夜風が流れ込んできた。

 ほんの少し肌寒く感じはするけれど、これはこれで心地いいものだった。

 そういえば……。

 ふと、私は数分前のことを思い出した。

 大和が部屋を出て行って間もなくして、外から何かの物音が聞こえてきたのだ。

 それに続くように、今度は自転車を走らせるような音も聞こえてきた。

 この時間にしては珍しいなと思ったけど、私はレポートのほうに集中していたので気にも留めなかったのだけど……。

「さっきのあれ、大和だったのかなぁ……」

 コンビニまでは歩いても五分ちょっとの距離だし、自転車を使う必要もないとは思うけど。

 そんなことを考えながら、私はよく晴れた夜空をぼんやりと見上げた。

 ところどころに厚い雲が流れているけど、今夜はいつもより空が広く見える気がした。

 光る星は数えるほどで、月も半分しか顔を覗かせていないけど、こういう奇麗な夜空は見ているだけで気持ちが落ち着く。

 と、そんなときだった。

 遠くの空……あれは多分、街外れにある廃工場の方角だ。

 そこの空が、一瞬だけ落雷があったかのように青白く光ったような気がした。

「今の、雷が落ちたのかな……って、そんなわけないか。大体、空も晴れてるもんね」

 だから私は、そのことを気にすることもなくまた空を見上げた。

 黒というよりは、青をどこまでも深く染め続けたような色の空。

 秋の夜長は、実に平和な空模様だった。




「ったく、何でこうなるのよ!」

 相変わらず少女はグチをこぼしている。

「ぼやかないで、早くあれを何とかしてくださいよ飛鳥」

 相変わらず青年は他人任せだった。

「私に言うな! たまにはアンタも働きなさいよ、氷室!」

「年寄りに何させようって言うんですかアナタは。若いんですから、多少の無茶しても死にはしないでしょう」

「だーっ、もう! その減らず口叩いてる余裕は何なのよ!」

「お互い様でしょうに」

 飛鳥と呼ばれた少女と、氷室と呼ばれた青年は、互いに一定の距離を保ちながら工場の敷地を疾走していた。

 ただ走るだけではなく、本当に全力疾走だ。

 なぜなら、そのくらい速く走らないと追いつかれてしまうからだ。

 一体、何に追いつかれるのか?

 それは……。

「さすがに速いですね……」

 口調こそまだ冷静だが、氷室はすでに全速力で走っている。

 息一つ乱さずに涼しげな顔をしているが、それは生まれつきのポーカーフェイスのせいなので、決して余裕があるわけじゃない。

「っていうか、速さ勝負じゃ勝ち目ないよ、私達。だってアイツ、風でしょ?」

「そのようですね。いやはや、全くもって他人を疲れさせるのが得意な属性です」

 やれやれと、ずれた眼鏡を直しながら氷室が言う。

「で、どうするの?」

 隣を走る飛鳥が聞く。

「どうもこうも、逃げるしかないでしょう。まさか殺してしまうわけにもいきませんからね」

「うー、メンドクサイなぁ。はっきり敵って分かってる方が、割り切れる分だけまだ楽なのに……」

「同感です。とりあえず、二手に分かれましょう。恨みっこなしで、ね」

 言うや否や、氷室は右の道に一足速く退路を変えた。

「え、ちょ、ちょっと氷室……」

「いやぁ、若い人は体力が有り余っているでしょうから。よかったですね、飛鳥。ダイエットにもなるし、一石二鳥じゃないですか」

 わざとらしく微笑んで、氷室は一足飛びに距離を離していく。

「わ、私はそこまで太ってないわよ! ってアンタ、ドサクサに紛れて逃げてんじゃないわよ!」

「余所見をしてると、あなたでもケガじゃ済みませんよ?」

 その言葉に飛鳥は我に返り、そして気付いた。


 ――すぐ後ろに、無数の風の刃が迫っていた。


「……ったく、ホントに今日は厄日なんだか、らっ!」

 振り向き様に、飛鳥はその手からいくつもの雷の矢を放つ。

 風の刃と雷の矢は、それぞれが一対一で相殺し、飛鳥の目の前は瞬く間に消滅の際の白煙に包まれる。

 相殺の音がいくつもこだまする。

 しかし、その音もやがて聞こえなくなる。

 どうやら全てを相殺し終えたようだ。

「ハァ……何で私がこんなに疲れなくちゃいけないのよ……」

 徐々に晴れていく白煙を目の前にして、飛鳥はいかにもダルそうに立ち尽くす。

「早いトコ何とかしないと、私の安眠に関わる大問題になっちゃうわね……」

 そう思えば思うほど、逃げた氷室がムカついてならない。

 覚えてろ、あのメガネ。

 そう胸の内で憎々しげに呟いて、飛鳥は一歩白煙の中に足を踏み入れようとして……。


 ――瞬間、霧が晴れるように白煙の全てが視界から掻き消された。


「な……」

 その光景に、飛鳥の足が一瞬だが硬直する。

 白煙の消えた視界の向こう、そこに……。

「速い……っ!」

 巨大な風圧の塊が、目にも留まらぬ速さで突き抜けた。

 かろうじて反応できた飛鳥は、しかしその風の塊をギリギリで避けることが精一杯だった。

 完全に避けきることは敵わず、通過した後の風圧で軽い体は簡単に空中に吹き飛ばされる。

「っと……」

 吹き飛ばされた飛鳥は、空中で体勢を立て直し、そのまま足から地面へと無事に着地する。

 傷らしい傷はないが、今の着地の際に足が痺れてしまっていた。

 少なくとも、この足では全力疾走をすることは難しいだろう。

「……ちょっと、ヤバイかも。今の速さ、並大抵のものじゃなかった……」

 風の力もハンパじゃないなと、飛鳥は舌打ちする。

 それでも飛鳥の操る雷は、音速を軽く超える速度を生み出すことは可能だ。

 速さ勝負なら引けはとらないはずである。

 しかしそれは、能力の本来の使い方と大きく異なるものになるのだ。

 飛鳥の操る雷は、確かに音速を超えるほどの速さを持つ。

 だがそれはあくまでも、飛鳥の手から放たれた『雷そのもの』が持つ速さであり、飛鳥自身の運動神経によるものではない。

 一方この風の能力は、能力者本人にも大きな影響を及ぼすようだ。

 言ってしまえばそれは天然の加速装置を常に背負っているようなもので、しかも天然なだけにエネルギーもほぼ無尽蔵だ。

 さらに付け加えるなら、風そのものも速さの象徴として相当レベルが高い。

 右に出るものなど、それこそ光速を誇る光くらいのものではないだろうか。


「分かっちゃいたけど、速さ比べじゃ勝負にならないな……」

 先の戦いのこともあり、飛鳥はすでに相当量の体力と精神力を消耗している。

 調子に乗って大技なんて使うんじゃなかったと、今更に後悔していた。

「接近戦に持ち込まないと無理か。だけど、速さじゃ絶対に敵わないし……ああ、もう。少しは働けよあのノッポメガネ!」

 苛立ちを隠せず、飛鳥が吐き捨てるようにそう言うと。

「……よほど氷付けになりたいようですね、飛鳥」

「わぁっ!」

 いつの間にか、その隣に氷室が立っていた。

「な、何よ! いるならいるって言いなさいよね、全く……」

「いちいち驚かないでください。今に始まったことでもないでしょう」

 頭痛を訴えるように、氷室は飛鳥の言葉に呆れ果てる。

「ま、今はそんなことはどうでもいいです。とりあえず、飛鳥が時間を稼いでくれたことに関しては礼を言っておきます」

「……まるで感謝された気分がしないんだけど……まぁいいわ。今はまず」

「ええ。そういうことです」

 暴走したこの風の力を止めなくてはいけない。

「では、行きますよ。合図をしたら雷撃を地面に向けて撃ってください。全力で」

「ハァ、明日は筋肉痛だなぁ……」

「ぼやかないでください。私だって相当力を使っているんです。お互い様ですよ」

「あー、ハイハイ。そうでござんしたね」

 と、お喋りもそこまで。

 先ほど飛鳥がかろうじて回避したあの風の塊が、再び放たれようとしていた。


「行きます」

 氷室のその言葉で、二人は同時に物陰から飛び出した。

 それに対し、まるでレーダーのような精密さで、まずは風の刃の群れが二人を襲う。

 しかし、この対処に力をつぎ込んでいる暇はない。

 なので、二人は身体能力のみでこれを全て避けながら走り続ける。

 風の刃が二人の衣服のあちこちを切り刻む。

 まさしく紙一重で、それらの傷はかろうじて二人の皮膚には届かない。

 ようやくのことで風の刃の中を駆け抜けると、今度こそ本命が待ち構えていた。

 今までの攻撃がマシンガンなら、今度の一撃は間違いなくロケットランチャー級の破壊力がある。

 直撃はおろか、かすることさえも致命的。

 ましてやそれは風の力、発動と直撃までの速さはまばたきさえ許してはくれないだろう。

 その一点に、渦を巻くように風の力が集束していく。

 飛鳥はその両手に、ありったけの力を集めた。

 これをやったら最後、もうガス欠の車みたいに動くことさえままならなくなってしまうのは間違いない。

 周囲の風が、吸い込まれるようにその一点に集まる。

 青と緑が混ざった、一見鮮やかにも思えるその色合いは、しかし確実に飛鳥と氷室の命を奪うだけの威力を誇るものだ。

 やがて風の集束が少しずつ弱まり、一瞬だが完全に風が消えた。

「今です! 飛鳥!」

「ったく、ホントに……」

 言われて、飛鳥は思い切り真上に跳躍する。

「人使いが荒いんだか……らっ!」

 地面の上に飛鳥の雷撃が落ちるのと、風の塊が射出されたのは同時だった。

 音速をものともしない速さで、風が迫り来る。


 その風の下を、這うようにして飛鳥の放った雷撃が波を打つように突き進む。

 いや、それは正確に言えばただの雷撃ではない。

 通常の雷撃では、通電性のない土の中では瞬く間に威力は殺されてしまう。

 先の戦いで、飛鳥の放った雷撃の矢が地面に突き刺さると同時に消えてしまったのもそれが理由だ。

 では、一体何が雷撃に地面の上を這わせているのか。

 答えは簡単だ。

 土の中に、通電性のある物質があればいい。

 まさしく、この場には水の力を操る氷室という男がいるのだから。

 水は電気をよく通す。

 小学生の理科の問題だ。

 予め氷室は、この工場の敷地一体の地面の下に水路を張り巡らせていた。

 飛鳥の放った雷撃は、まさに今、油の染み込ませた導火線に引火した炎のように水の中を走り抜けているのだ。

 そして、その水路の行き着く先は一つ。

「間に合うか……!」

 氷室は唸るように呟いた。

 予想以上に、風による攻撃の速度は速かった。

 すでにもう目の前まで、風の塊はやってきている。

 ここから先は刹那の速度で命が削られる。

 風が直撃するのが先が、地を這う雷撃が届くのが先か。

 どちらも音速を軽く超えるほどの速さ。

 その速さの中では、一秒という時間さえもとてつもなく長く感じる。

 風の塊は勢いが止まらない。

 すでに氷室の体には、台風のようなものすごい風圧が叩き付けられつつあった。

 そしてその風が、氷室の体そのものを呑み込むほどに迫り……。


 ――直後に、空気に溶けるようにして音もなく霧散した。


 同時に、何かがドサリと倒れる音。

 咄嗟に身構えていた氷室は、目の前の風の塊が消えたことを確認すると、ようやく思い溜め息を吐き出した。

「何とか、なりましたね……」

 氷室の見下ろす地面の上。

 そこは風圧によって地面が抉り取られ、まるで隕石が落下したかと思わせるほどのものだった。

「氷室、無事?」

 飛鳥が駆け寄り、訊ねる。

「ええ、とりあえずは。それよりも、彼のほうが気がかりです」

 そう言うと、氷室は小走りに駆け出した。

 ちょうど、あの風の塊の発生源ともなった彼の下へと。

 飛鳥もそれに無言で続いた。


 距離にしておよそ四百メートル。

 それほど離れた場所に、彼は倒れていた。

 駆けつけた氷室が、倒れた彼の脈を取り始める。

「……どうやら、命に別状はないようですね。気を失ってはいますが、呼吸も心拍数も正常です」

「まぁ、これで死なれたらこっちとしてはものすごく後味悪いしね」

「全くです。今夜は本当に、必要以上に力を使い過ぎてしまいましたね」

「でもまさか、まだ新しく能力に目覚めるヤツがいたなんて……」

 言いながら、飛鳥はそこに倒れる彼を見下ろす。

 歳は恐らく自分と同じくらいで、およそ争いごととは縁がなさそうなほどに優しい顔をした少年。

 彼の右手の中指には、能力者の証である『Ring』がはめられていた。

 そう。

 彼が能力者として目覚めたのは、本当にたった今のことだったのだ。

 ただ、結果として力は制御できず、暴走する形になってしまい、それをようやくのことで飛鳥と氷室が止めたのだ。

 彼の属性は風。

 風には癒しの力もあるはずなので、しばらくすれば彼も目を覚ますだろう。

 だからこそ、それまでに二人はこの場を去っておきたかった。

「でもまぁ、なっちゃったもんは仕方ないか。私達だって似たようなもんだったわけだし」

「投げ槍ですが、確かにその通りですね。どの道今の私達も、相当に消耗しています。今夜はもう戻った方がいいでしょう。それに……」

 と、氷室はそこで一度言葉を区切り、眼鏡を押し上げながら続けた。

「この少年も近いうちに、嫌でも思い知るでしょう。思いのほか、再開する日は遠くないでしょうね」

「……そう、だね。こんなこと言うのも何だけどさ、少しだけ、この子に同情するな……」

「……よしてください、飛鳥。それはつまり、私にも同情するということですか? そして、あなた自身にも」

「……ゴメン、バカなこと言った」

「……疲れましたね。早く戻って、今夜はもう休みましょう」

「ん……」

 一足先に歩き出す氷室に続いて、飛鳥も歩き出す。

 ただ、去り際にもう一度だけ、飛鳥は彼のほうを振り返った。

 その表情が、わずかに悲しみに染まっている。

「もう、逃げられないんだね。私も、アンタも……」

「……飛鳥」

「ゴメン、今行く……」

 そうして二人は去っていった。

 後に残されたのは、壁に背を預けて静かに眠る一人の少年。


 ――黒栖大和の姿だけだった。


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