Episode37:取引
毎度のことながら、僕は切に思う。
どうしてこう、人間の第六感とも言われるほどの予感というものは、こう……。
――悪いことに限ってばかり、的中してしまうのだろうか……。
「お? こりゃ予想外の客人達だな」
ほとんどの樹木が焼け落ち、もうほとんど見る影もなくなった森林公園の跡地の奥。
黄昏色に染まる逆光に背を向けながら、その男は僕達三人を見返してそう呟いた。
細身で長身、外見の体格で言えば氷室に近いものがある。
その男は一体何がそんなに楽しいのか、まるでこみ上げる笑いを堪えきれずにいるようにニヤついた表情を覗かせていた。
「やれやれ。その言葉はそっくりそのままお返ししますよ。まさか、そちらから出向いてくれるとはね。探す手間が省けました」
と、氷室は嘆息と共にそう呟くと同時に、一瞬の間にその手の中に長く伸びる三又の槍を握っていた。
「ひ、氷室?」
いきなりのその臨戦態勢に、僕は少なからず驚きの声を上げる。
それは隣にいた飛鳥も同じで、いきなり何をするつもりだという、そんな表情を見せていた。
「おー、怖い怖い。ガキ共のボディガード気取りか?」
しかし男は、武器を構えた氷室を目の前にしても相変わらずの不敵な笑みを浮かべているだけだ。
しかし、この場の空気の流れがどんよりと澱み始めていたことは僕にも分かった。
少なくとも目の前にいるこの男も、僕達同様能力者の一人に違いないのだろう。
「お喋りは結構。先日の決着と行きましょうか。こちらにはまだ、聞きたいことが山ほど残っているのでね」
「……ちょっと氷室、先日の決着って、まさか……」
その言葉に気付いた飛鳥が、氷室と男を交互に見やった。
「……じゃあ、まさかこの人が、もう一人の……?」
「ま、そういうことです」
と、氷室はつまらなそうに眼鏡を軽く押し上げ、三又の槍の矛先を真っ直ぐに男へと向けた。
「……もう一人、ねぇ……」
僕の声が耳に届いたのか、男は反芻するようにその言葉を繰り返した。
その表情が不敵な笑みを失い、わずかに真剣味を覚えたものへと変わる。
「そういや、アイツもそんなこといってたっけな。俺かもう一人か、どちらかが例外だとか何とか。ま、んなことは俺にとっちゃどうだっていいんだけどな。ようは、弱いやつは死ねばいいだけの話だろうが」
「…………」
何の抑揚もない言葉に、僕はわずかに身構える。
僕達三人と男との距離はおよそ十メートル前後。
恐らく、氷室ならものの一瞬でその間合いを詰め、手にした槍で的を貫くが如く一撃を見舞うことができるだろう。
氷室を中心に両脇に立つ僕と飛鳥も、無言でその両手に力を集中させ始める。
すでに飛鳥の両手からは青白い閃光がバチバチと火花を散らし、僕の両手からも風の刃が生み出され始めていた。
合図があれば、ものの一瞬で攻撃に移ることはできる。
人数で見ただけでも三対一。
僕達は圧倒的に有利な状況に立っているはずだ。
……だが、それでも。
「……フゥン」
男は微動だにしない。
恐らく炎使いであろうその男は、戦闘態勢はおろか闘争本能のカケラさえも見せることはなかった。
すでに諦めているのだろうか?
確かに通常ならば、三対一という絶対的に不利な状況では戦うことそのものもバカらしく思えるかもしれない。
だが、だとしたら。
あの男の顔に浮かぶ、余裕とも取れる笑みは一体何なのだろうか?
まるで奥の手を隠し持っているかのように。
仕掛けた罠に掛かる獲物を待ち焦がれているかのように。
男とその周囲の空気は、グニャリと奇怪なねじれ方をしていた。
が、それもすぐに終わる。
男の口から出た言葉は、まさしく僕らの想像をはるかに超越したものだった。
「――お前ら、封印の一つを探しにきたんだろ?」
「…………!」
その言葉に、僕はわずかに反応してしまったのかもしれない。
返答のない態度を見て、男はまた不敵に笑った。
「やっぱりそうか。だとしたら、今俺とやりあうのはそれこそお門違いってもんだぜ?」
「……どういうこと?」
飛鳥が問う。
すると男は、その言葉を待っていたと言わんばかりにまた小さく笑い、言葉を続ける。
「なぁに、簡単なことだ。ここで戦えば、戦況のどうこうにかかわらずにお互いに全滅しかねるってことだ。ほら、全くもって戦うことにメリットがないだろ? あるのは互いにデメリットばかり、しかも死ぬ危険性まである。どう考えたってお門違いだろうが」
「そんな口からでまかせ、信じると思ってるの?」
「なんだったら試してみればいいさ。でまかせかどうかよく分かる。が、分かったときにはもう手遅れかもしれないぜ? 俺も、お前らもな……」
「……っ」
飛鳥はわずかにたじろいだ。
確かに口からでまかせのようにしか聞こえないが、それでも万が一と言うこともある。
敵側の言葉を丸々鵜呑みにすることはできないが、それでなくても危険性は絶えることはない。
みすみす命を放り出すほど、愚かなことはない。
無謀と勇気は紙一重であり、しかし意味合いは全く違うものなのだから。
「……それで、あなたはどうしたいんです?」
矛先を向けた槍を下げ、氷室は男に聞く。
「ちょっと氷室、こんなやつの言うこと信じるワケ?」
「まぁ、私とて不本意ではあるのですよ。ですが、まんざら全部がデタラメというわけでないんです」
「さすがに、アンタほどの頭脳があれば察しはついたみたいだな」
「全くもって嬉しくありませんが、それはどうもと言っておきましょう」
溜め息を吐き出し、氷室は呟く。
「……どういうことなの、氷室?」
僕は氷室に聞く。
「……早い話が、ここがどこだと思っているんだと、彼はそう言いたいのですよ」
「どこって……」
言いかけて、飛鳥はハッと気付く。
一瞬遅れ、僕もその言葉の意図に気付かされた。
「……もしかして、封印がある場所だから、ってこと?」
「その通りです」
と、あっさりと氷室は頷いた。
そしてもう一度眼鏡を押し上げながら、いかにもつまらなそうに言葉を続ける。
「……推測の域を出ない話ですが、仮にも封印と名のつくほどの場所。そこには膨大な量のエネルギーが凝縮され、何らかの形で封印となっているはずです。言わばそれは、地中に埋まっている地雷に等しいのですよ。タイマーの止まったままの時限爆弾と言い直してもいいでしょう。要するに、何かのきっかけで爆発を起こすか分からない、ということです。ましてやそれが、能力者同士の力のぶつかり合いだとすれば、起爆装置として申し分はない。結果、連鎖反応のようなもので共倒れになることも十分考えられます」
「ご名答。博識だな。『Ring』に関する記述は、この世界にはもうほとんど残ってないはずなんだがな」
褒めているのかけなしているのか分からない、曖昧な言葉と笑みで男は小さく笑った。
「ま、そういうことだ。どうする? それでもやり合おうってなら、気分じゃないが相手にはなるぜ?」
言うなり、男はその手に猛るほどの炎を握り締めた。
夕方の冷えた空気が急激に熱され、距離の離れた僕達の元にまで熱気が押し寄せてきた。
男の手に握られた炎は、見る見るうちにその姿を変えていく。
その形は真吾の操る赤い短剣とはまったく別の形で、細く長く。
まるで見て覚えたかのように、氷室の持つ槍とそっくりな炎の槍と形を変えた。
唯一の違いは、氷室の切っ先は三又に分かれているが、男の切っ先は真っ直ぐに刃を覗かせているということだろうか。
と、冷静にそんな分析をしている場合ではない。
互いに武器を手にしたのだ、いつ戦いが始まっても不思議はない。
もう一度僕は意識を集中させる。
すでに生まれた風は、鋭い刃を剥き出しにして舞い始めている。
これならすぐにでも攻撃に転じることは可能だ。
「……やれやれ。これで二度目ですか」
そう言うや否や、氷室はその手に握った三又の槍をあっという間に消し去ってしまう。
「……え?」
僕はその行動が理解できなかった。
「氷室、どうして……」
「……大和、飛鳥も。武器を納めてください。従うのは癪ですが、ここでの戦闘は控えるに越したことはないようです」
「……みたいだね」
不本意ながらに飛鳥も応じ、その手の中の雷撃を霧散させた。
「……分かったよ」
僕もその言葉に従い、手の中の風の刃を音もなく消し去った。
僕達三人が揃って戦闘の意思なしを提示すると、男もようやくその炎の槍を空気に溶かして消した。
「そうそう。お利巧さんだな、ガキ共。子供は素直が一番だ」
嘲笑うような言葉を浴びせるが、僕も飛鳥も完全にそれを無視した。
「で、これからどうするつもりですか? 私達が封印の場所に出向いたと知っておきながら、あなたはこのまま素直に場を明け渡すとでもいうのですか?」
氷室の言葉は挑戦的だ。
ここで返答がこじれれば、結局は戦う羽目になってしまうのだから。
もっとも、僕はそうなることを予想していた。
氷室が武器を納めたのはあくまで男を油断させるためのものだと、僕はそう思い込んでいたのだ。
しかしそれも、空回りのままで終わる。
「――構わんさ。どの道三対一じゃ俺の不利は揺るがない。だったら、無駄な戦闘は避けるに越したことはない」
明け渡してやると、男はつまりそう言っている。
「……その言葉を、私達に信じろと?」
「信じる信じないはそっちの自由さ。俺に決定権はないからな」
「…………」
氷室は押し黙る。
明らかに状況は僕達の優勢のはずだ。
にもかかわらず、男は言葉巧みに僕達の心理を操り、選択の幅を狭くする。
これはすでに心理戦という、目には見えない戦いの始まりだったのかもしれない。
「……いいでしょう。今回は見逃しますよ」
いいのかと、僕は一瞬叫びたくなる衝動を押さえ込んだ。
それは恐らく、飛鳥も同じはずだったろう。
「取引成立、だな」
男はまた小さく笑い、そのままの足でゆっくりと僕達へと歩み寄ってくる。
警戒するなという方が難しい。
「安心しろよ。俺だってバカじゃない。そうやすやすとくたばるワケにはいかねぇんだ」
薄ら笑いを浮かべ、やがて男は僕達の真横に立ち、その方向を指差した。
「封印はこの先にある。もっとも、何の封印かは俺にも分からないがな。まぁ、せいぜいがんばることだ」
そして何事もなかったかのように、男は僕達がやってきた方向へと去っていった。
まるで嵐が通過したあとのように、僕達の間では緊張しきっていた空気がようやく弛緩したようだった。
「……さて、では行きましょうか」
「それはいいけど……氷室、あんなやつ信用して大丈夫なの?」
「信用などしてませんよ。ただ、今回は辿り着いた思考の先が同じだったから信用に足ると判断しただけです。そもそも彼と私では、人間的に相容れることなどまず無理でしょうね。彼の仕草のどれをとっても、私には不快感しか生まれない」
それはもはや、完全否定だった。
水と炎は相容れないが、まさか本人達もここまでとは……。
しかしそれを言うのなら、氷室に気に入られることも相当に難しいことじゃないだろうかと僕は思ってしまう。
「どうかしましたか、大和?」
「……え? あ、いや。別に……」
と、そんなことを思っていたなどと口が裂けても言えるはずがなく、僕は何とか平静を装っていた。
「そうですか? ま、いいでしょう。それよりも、今は封印の方を優先しましょう」
僕達三人は揃って向き直る。
周囲には焼け残ったわずかな木々と、燃え果てた芝生の名残だけが広がっている。
男が指差した方向へと、僕達は歩き出す。
焼けた地面を踏みしめ、燃え尽きた木々の合間をくぐりぬける。
時間にしてわずかに一分弱。
わずかに開けたその場所に、僕達はそれを見つけた。
「これは……」
第一声は氷室だった。
僕はというと、そのあまりに神秘的かつ幻想的な、まるで絵本の中の挿絵のような風景に見とれ、声も出なかった。
「すごい……」
飛鳥が呟く。
僕も全く同じ意見だった。
というよりも、これはもうすごいという言葉でしか表現することができないような気がする。
それはまるで、一つの絵画。
展覧会の会場のど真ん中で、厳重な警備体制の下で一般公開を許されているような、言わば生きた芸術のようなものだった。
そこにあったものは……。
――あの燃え盛る炎の中でも枯れることなく、今なお美しく咲き誇る赤い花と、その赤い花に囲まれて厳かに佇む、灰色の墓石。
「……これが、封印……?」
ようやく僕は呟いた。
それは、誰の墓なのか。
彩られた真紅の花はまるで炎のように赤く染まり、夕陽の色さえも容易く塗り替えていくだろう。
すでにこの場所は、僕達の住む現実の場所ではなくなっていた。
踏み入れたそこは、紛れもなく別次元。
遠い遠い昔、聖者に近づきすぎた誰かを弔った場所。
それは聖域。
眠れぬ時を無限に彷徨い続けた、魂の揺り籠。




