Episode30:情報交換
放課後、僕は急いで氷室のもとを訪ねていた。
するとそれはちょうどいいタイミングだったのだろうか、事務所の中には飛鳥の姿も揃っていたところだった。
が、二人とも僕同様にどこか言いようのない、掴み辛い空気を持て余しているようだった。
促されて僕はソファに腰掛けるが、しばらくは三人揃って沈黙を保つままだった。
やがて、ずれた眼鏡を押し上げる素振りを見せながら、まずは氷室が口を開いた。
そして僕と飛鳥は、その内容に少なからず驚きを覚えることになる。
「昼間、二人目の炎使いと接触しました。いえ、戦闘になったと言った方が正しいでしょうね」
「え……」
「ちょ、まさか、アンタもなの? 氷室」
「……私、も? では飛鳥、まさか、あなたも……?」
氷室の問いに、飛鳥は無言で首を縦に振った。
それはつまり、氷室同様に戦闘になったということである。
それは、誰と?
決まっているじゃないか。
能力者である僕達が戦う理由と相手など、それこそ一つしかない。
――つまり、能力者と接触したということだ。
「……いやはや、どういう偶然ですかね、これは。まさか飛鳥も他の能力者と接触していたとは……」
「それはこっちのセリフだよ。それに、接触って言っても別に私から探してたわけじゃなくて、向こうから戦いを仕掛けてきたんだから」
「ふむ。その点に置いては、私は正反対ですね。私は自分から能力者の気配の中に突っ込んでいったわけですから」
「な……アンタ、何無茶なことしでかしてるのよ……」
「確かに、ちょっと軽率だったかもしれませんね。結果として、戦闘には勝利しましたが捉え損ねました」
「……まぁ、氷室が負けるとは考えにくいけどさ」
「それはどうも」
二人の会話を耳にしながら、僕は口を挟むタイミングをすっかり見逃してしまっていた。
しかし、ここで口を挟んでいいものだろうか。
二つ重なればそれは偶然で済まされるかもしれないが、三つ重なればそれはもはや偶然という言葉の領域を超越してしまうのではないだろうか。
僕の中に、そんな不安めいた気持ちが生まれる。
しかしかといって、このことを話さずに済ませておくことはできないだろう。
何よりも今、僕達には情報が不足している。
この戦争の中で生き残るためにも、互いの情報提供はかかせないもののはずだ。
しかもそれが、他の能力者に関わることだとすれば、それはもはや最重要と言っても過言ではないだろう。
だから僕は、落ち着きかけた空気を再び揺さぶる覚悟で口を開くことにした。
「あの、さ……」
僕の遠慮がちな言葉に、二人の視線が移る。
「そのことなんだけど……実は僕も、昼間他の能力者と出会ったんだ」
「な……」
「……それは本当ですか、大和?」
「うん。そのことなんだけど……」
僕は一度話を区切り、最初から簡単な経緯を説明することにした。
僕が今日朝から体調不良で、学校に着いてすぐに保健室で休んでいたこと。
目が覚めたらもう昼休みで、そのときに見えたあの奇怪な空のこと。
学校を抜け出し、街の中を散策していたこと。
そして、かりんと名乗る寡黙な少女と出会い、そして交戦したこと。
僕が一通りの説明を終えると、二人は納得した反面、言葉を失っていた。
「……なるほど。それは確かに大和の言うとおり、その少女は音を武器にしているようですね。すると、『Ring』には音の属性もあると、そういうことになりますね」
氷室は深刻そうに考え込んでいた。
「そんなに深刻に悩むことなの? 別に驚くほどのことでもないと思うけど……」
と、飛鳥はそんな言葉をかける。
「……いえ、これは相当厄介かもしれませんよ」
氷室は顔を挙げ、真剣な目つきで僕達を見た。
「私は今まで、『Ring』の属性は基本的に自然界の元素を基準にしていると考えていました。ようするに地、水、火、風、雷など、それ単体でエネルギーとして存在しているものだと、そう思っていました。しかし……」
一度話を区切り、眼鏡を押し上げる。
「今回のことで、少し見解が変わってきましたね。確かにいわれて見れば、音そのものも一つのエネルギー体としては存在します。ですが、これでまた一つデタラメな可能性が出てくることになりました」
「何よその、デタラメな可能性って?」
「……極端な話をしましょう。仮に、命という属性を持つ『Ring』があったとします。生命そのものも生物の活動エネルギーの源なわけですから、これも理屈としては通るはずです。で、問題はその効果のほどですね。もしもそんな属性の『Ring』が実在するのなら、それは能力者の意思一つで命を奪うことができる、ということになるのではないでしょうか?」
「あ……」
「ちょ、ちょっと、いくらなんでもそんなのって……」
「ない、とは、とてもじゃないが言い切れません。事実として、大和は音の属性を持つ能力者と接触していますからね。そう考えると、間接的にでも力という要素が絡んでいれば、それだけで『Ring』の属性として存在する可能背は非常に高い……」
僕と飛鳥は沈黙するしかなかった。
氷室の言葉は現段階ではただの想像に過ぎないものだが、それは決して具現化しない想像ではない。
何しろ僕達は、とっくに常識外れの世界の真っ只中に位置しているのだから。
だがしかし、もしも本当にそんな理屈がまかり通って、挙句そんな『Ring』が実在するのだとしたら、それこそ本当にデタラメだ。
「……考えるだけでも仕方ありません。今はお互いに、そのときの各自の状況を情報交換しましょう。余計な詮索はかえって混乱を招く要因になりかねません」
とりあえず、僕も飛鳥も氷室の言葉に頷いた。
確かにそんなことが起こりうるとすればこの上なく脅威だが、逆に言えばそんな脅威が起こってない今は、まだ比較的安全と言えなくもない。
今の僕達がすべきことは一つ。
他の能力者について、まずは知ることだ。
「……そんなわけで、確かに戦いにはなったけど、決着って言うか、そういうのはなかったんだ」
と、僕はかりんと出会ったときのことを説明した。
成り行きで戦うことにはなったものの、とりあえずは互いに無事生存し、敵対関係を破棄するに至ることにはなったということ。
「やれやれ。相変わらず、大和らしいですね」
と、氷室は苦笑いしながらどこか呆れた笑みを浮かばせていた。
「ま、大和らしいっちゃ大和らしいけどさ。今回は相手がよかったんだと思って、気を抜いちゃダメだよ」
飛鳥からも念押しを受け、僕はそれに素直に頷いておくことにした。
「大和の話からするに、そのかりんという少女も何らかの望みがあって、それを叶えるために戦争に参加しているようですね。ですが、一つ腑に落ちない点があります。彼女にこの戦争のことを教え、その先に望みが叶うと示した人物。これが誰であるか、現段階ではまだ分かりかねます」
「ある人が教えてくれたって、かりんはそう言ってた。でも、それが誰なのかまでは……」
「まぁ、仕方ありません。身勝手な想像は現実とはかけ離れるものです。今は置いておきましょう。では、次に飛鳥ですが……」
「あ、うん。私はさ……」
飛鳥は自分の状況の説明を始めた。
襲われたのは郊外の空き地であること。
相手の名前は天宮蓮華という女性であり、地の属性の『Ring』を所持していること。
生半可ではない身体能力を持ち、武器は日本刀を扱っていたこと。
どこか古臭い口調で、一見侍のような仕草を見せていたこと。
「……と、こんなところかなぁ……」
「これはまた、大和に勝らずとも劣らずの正直者ですね」
「……何だろう。褒められてる気がしない……」
飛鳥と氷室は互いに小さく笑い、しかしすぐに表情を元に戻す。
「まぁ、それは置いておくとして。確かに、珍しいタイプではありますね。普通、戦う前に自らの手の内をさらけ出すことなどまずしないでしょう。戦いに置いて、それは自殺行為と何ら変わりありません。にもかかわらず、彼女がそうしたということは、単純に武士道精神によるものなのか、それとも他に理由があったのか。まぁ、飛鳥の説明からするに恐らくは前者でしょうけどね」
話を聞くだけだと、確かの僕もその蓮華という女性には裏があるようには感じなかった。
恐らくは、そういう環境の中で育ってきたのだろうと思う。
それにしても……侍か。
米国などでは未だに衰えを知らないほどの人気があるとは聞くが、まさか今の時代のこの街にも、そんな志を持った人がいるとは……。
「それで、実際に戦った感想として、どうでしたか?」
氷室が問いかけると、飛鳥は表情をさらに真剣なものにした。
「……隠す理由もないから、はっきり言うよ。あの人、本当に強い。多分、『Ring』の力なんかなくったって私は負けていたと思う」
「え? 飛鳥、負けたの?」
「ううん。今回に限っては引き分けって言うか……相手が勝手に興醒めだって言い出して、中断しただけ」
「興醒めですか。それはまた、ずいぶんと侍のようで……」
「……だけど、正直私はそのおかげで助かったようなもの。あのまま戦い続けてても、私には勝ち目はなかったと思う。どうにか逃げ切ることだけを考えて、私は戦ってたから……」
人一倍勝気なはずの飛鳥がこんなに消沈するなんて、それはよほどのものだったのかもしれない。
「多分、彼女もまだ能力に目覚めて日が浅いんだと思う。だから、思うようにコントロールできずに、結果としてそれが今回は私にとって優位になっただけ」
「何にせよ、まずは自分の無事を喜ぶべきですよ、飛鳥。その蓮華という人が文字通りの侍なら、それこそ情けなどかけないでしょう。敗北はまさしく、あなたの死を意味するものだったはずです」
「……そう、だね。うん……」
「付け加えるなら、よく無事でいられたものです。飛鳥の戦闘手段は主に、中距離から遠距離にかけての遠距離戦。対して相手は、剣を使う接近戦。互いに間合いが最重要となるわけですからね。身体能力の基準から見ても、飛鳥は常人から見ればすこぶる優秀です。しかし、相手はそれ以上だった。仮にも剣を使いこなすくらいですから、体術においてかなりのものがあると思えます」
「……そんなに、すごかったの?」
不謹慎ではあったが、僕は隣の飛鳥にそう聞いてみた。
「うん。本当にすごかった。これ、行き過ぎた表現かもしれないけど……」
飛鳥は一度目を閉じ、そのときのイメージを掘り起こすようにして言った。
「――多分、風の力を使った大和と比べても、互角かそれ以上の速さかもしれない」
「…………」
僕は言葉を失った。
「私がかろうじてその動きに反応できたのも、実際に大和の動きを間近で見ていたからだと思う。もしもそれがなかったら、私はもうとっくに土の中だよ……」
悔しげに、飛鳥はギュッと両手で拳を握っていた。
「……私は、もっと強くならなくちゃ。今の能力だけで満足しているようじゃ、簡単に足元をすくわれる」
「同感ですね。しかしそれは、飛鳥に限らず私にも大和にも言えることです。戦うということ、生き残るということ、逃げ延びるということ。その全てにおいて、私達は今より強くなる必要があります」
「強く、か……」
漠然と言われ、僕はどこか戸惑っていた。
強くなるということは、力をつけるということ。
でも僕は一体、何のために強くなるというのだろう。
身を守るため?
この戦争に勝ち残るため?
強くならなきゃいけない理由はあるのに、強くならなければならない理由が見当たらない。
今更に僕は思う。
どうして僕は、選ばれたのだろうか、と。
その後、僕達は氷室の接触した炎使いの話を聞き、最後にお互いの行動に注意を払うことと、何かあったらすぐに連絡をすることを互いに示し合わせ、その場は解散となった。
陽はもうずいぶんと沈み、夕暮れ色の街並みは黄昏色へと変わりつつあった。
僕と飛鳥は一緒に事務所を出て、歩道の上で電話番号を交換した。
またねと、軽く挨拶を交わし、僕達はそのまま背中合わせにそれぞれの帰路へと歩き出した。
ふと、僕は歩く道のうえでそのことを思い出す。
今日一日で、僕も飛鳥も氷室も、何らかの形で他の能力者と接触している。
と、いうことは。
「……もしかしたら、真吾も……?」
その炎使いの少年の名を、僕は何気なく口にしていた。
しかし、口にしてしまえばもうそれまでだ。
気になるという衝動は、気持ちでは止めることなどできない。
僕は帰る足をそのまま、あじさい園へと向けることにした。