Episode28:急襲の大地
道はどこまでも永遠に続くものではない。
もちろん、中には永遠と思えるくらいに遠く長く続く道もあるだろう。
とはいえ、大抵の道はいつしか必ず行き止まりという壁にぶつかってしまうわけで……。
「……行き止まり、か」
それは飛鳥も例外ではなかった。
市の中心を通る道路沿いに道を歩くこと約二時間。
その間、一体自分が何をぼんやりと考えていたのかさえもあまりよく覚えてはいない。
ただ自然と足が向いた方向に歩いていただけ。
そこに理由もなければ、目的もなかった。
しかしこうして立ち止まってみると、周囲の景色はおよそ見覚えのないものばかりで囲まれている。
建物はおろか、家屋すらまばらで、だだっ広いだけの空き地の中心のような場所だった。
かつては広い草原のような場所だったのかもしれないが、今ではその面影もほとんど残ってはいなかった。
地肌が覗く地面は荒れ果てた荒野のようで、雑草さえもまばらにしか生え残っていない。
それでもところどころに草の緑が残るので、砂漠と呼ぶにはまだ早い気がした。
飛鳥はその空き地の真ん中で、暮れかけていく空の色をぼんやりと眺めていた。
まだ空は明るく、遥か遠くの空の向こうだけが、ほんのりと淡いオレンジ色に染まりかけていた。
真上の空はまだまだ青く、白い雲ものんびりと流れている。
空を飛ぶ鳥達の姿はなかったが、秋晴れの気持ちのいい青天だ。
しかしあえて文句を言わせてもらうならば、それはたった一つだ。
「うー……寒い」
徐々にだが、気温が冷え込んできていた。
日中の暖かさを考慮して、薄着で外出した飛鳥としてはこれは堪える。
しだいに風も出てきたようで、飛鳥の足元から救い上げるように、秋の冷たい木枯らしがヒュウヒュウと鳴いていた。
「上着、持ってくればよかったかな……」
そうは言うが、時はすでに遅い。
短めのスカートが災いして、冷たい風が素肌を直接打ち付ける。
痛みはないが、痺れるようなこの感覚が飛鳥は苦手だった。
両手で自分の肩を抱き寄せながら、飛鳥は身震いする。
それはそうと、どうして自分はこんな何もない場所に突っ立っているんだろう?
と、内心で呟いたその問いに自分で答えることができなかった。
答えはすぐ傍にあるような気がするのに、いくら手探りで手繰り寄せても見つからない。
入り口から出口までが一本の直線でできている、そんな迷路で迷ってしまったかのよう。
ただ真っ直ぐ歩けば、迷わずに出口に辿り着けるというのに……。
「迷路、か……私も、とっくに迷い込んでるのかなぁ……」
言って、飛鳥は手近にポツンと置き去りにされた小さな岩に腰掛けた。
ここから眺める景色は初めて見るものなのに、なぜか懐かしさのようなものを覚えてしまう。
いつか、どこかで見た、名前も知らない場所を見ているような。
だけどそれは、ここだけどここじゃない場所。
似ているけど違う。
違っているのは何?
それは簡単。
なぜなら、そのよく似た景色を見たその日、飛鳥は一人ではなかったから。
隣にもう一人、手を繋いでくれた人がいた。
暑い、夏の日だったともう。
幼い頃の自分。
手を引かれ、同じ道の上を歩いてやってきた。
二人分の影が前に伸びて、いくら追いかけても追いつけない。
太陽の熱を反射するアスファルト。
ジリジリと、陽炎が揺れていた。
見上げればそこには、懐かしい面影。
麦藁帽子のリボンが風に揺れて、小さなこいのぼりのようにはためいていた。
そこから覗く笑顔。
暖かくて、優しくて、それでいて心強かった。
だけどそれはもう、今は遠い夏の日の最後の記憶。
一緒に手を繋いで歩いたその人は、もう、いない。
この世界のどこを探しても、決して見つかることはない。
その人は、終らない旅に出かけてしまった。
最後の最後に、たった一言。
ごめんね、と。
そんな、望んでもないメッセージだけを残して。
「…………」
時間だけがさらに過ぎていった。
飛鳥の体はすっかり冷えてしまっていたが、しかしそれはまるで冷たさを感じさせなかった。
「……お母さん」
ふいに呟く。
その声は、木枯らしに乗ってどこかへと運ばれていくのだろうか。
「――どうして、死んじゃったの……?」
そしてまた、冷たい風が吹いた。
身を裂くようなそれは、しかし痛みを感じさせることはなかった。
そんな痛みなどなくても、飛鳥の心はもうとっくの昔に傷だらけだったから。
最愛の人が死んでしまった、あの夏の終わりの日。
正真正銘、飛鳥は一人ぼっちになった。
飛鳥にとって母親が全てで、世界そのものだった。
例えるならそれは、カチコチと時を刻む大きな時計。
クルクル回って、新しい時を刻む。
チク、タク、チク、タク……。
共に歩んでいける時間は、まだまだあったはずだった。
秒針がゆっくりと、しかし確実に時を刻みつけるように。
二人で歩いていける時間は、それこそ永遠のように続くのだと信じてやまなかった。
……しかし。
時計はその日、突然に動きを止めた。
電池が切れたわけでもなく、ネジが止まったわけでもない。
その時計は、時計としての生涯をそこで終えてしまったのだ。
時計の仕事は時を刻むこと。
時が刻めなくなったら、その時計はそこでおしまい。
新しい時代の時を刻むのは、次の時計の役目だから。
だから今は、飛鳥が時計。
自分自身の時間を刻んでいく。
母親が死んで、もう十二年が経った。
どうにかやってはいる。
辛いことも多かったけど、同じくらいに楽しいこともあった。
この街は好きだし、一人でいることも何も苦痛には感じない。
……だけど、それでも。
飛鳥の時間は、もうずっとあの日から止まったままだった。
時間は確かに刻んでいる。
だけどそれは、仮初のものに過ぎない。
季節が変わるのと同じで、放っておいても時間は流れていくものだから。
だから本当の飛鳥の時間は、その辺に置き去りのまま。
何も変わってなどいない。
あの夏の終わりの日、握り締めた手が逃げるように抜け落ちたその日から、今までずっと止まったまま。
「……もし本当に、願いが叶うなら」
俯いて、飛鳥は呟く。
「私は、お母さんを取り戻してもいいのかな? それを願っても、いいのかな……?」
誰かに向けたその問いは、しかし誰にも届くことはなく。
答えの代わりに、木枯らしだけが悲しげな声で鳴いていた。
「…………」
日が暮れ始めた。
飛鳥は岩から腰を上げた。
うっすらとオレンジ色に染まり始めた地面に、飛鳥の影がやけに長く伸びていた。
そこにあるのは、あの日と同じ自分の影。
走っても追いつけない、過去の名残。
その、隣に。
「……え?」
飛鳥は気付いた。
――その隣に伸びている、もう一人分の影があるということに。
慌てて飛鳥は背後を振り返った。
するとそこには、銀色に輝く長い髪の毛を風に揺らす、一人の女性の姿があった。
どういうわけか、女性はその手に何か長い棒のようなものを持っていた。
長い紐のようなものでグルグル巻きにされ、何であるかまでは一目では分からなかった。
振り向いた飛鳥は、その女性とバッチリ目が合ってしまう。
その女性……いや、歳で言うなら恐らくまだ十代後半、つまり飛鳥と大きな差はないはずだろう。
その割りに、女性は端正な顔立ちのせいかひどく大人びて見える。
同じ女性の飛鳥が見ても、素直に奇麗だと思えるくらいに美しい女性だった。
「…………」
「…………」
向かい合う二人は、しかしどちらからも話しかけることはない。
互いに初対面で面識などあるはずもないのだから、それは至極当然のことだった。
しかしそれでも、まるで見詰め合うかのようにこうして視線を交わしているというのはどうにも気分がよくない。
向こうが声をかけないのなら、こちらから一声かけてみればいいだけの話だった。
「……あの」
どうかしましたかと続けるよりも早く、その女性……いや、少女は唇を動かした。
「――私は天宮蓮華。大地の精霊、ガイアと契約を果たした能力者の一人」
「……は?」
と、飛鳥はあまりに突発的なその言葉に思わず固まってしまった。
……今、何と言ったのだろう?
何度も胸の中でその言葉を繰り返した。
しかし、何度自分の耳を疑ったところで、答えはいつも同じもの。
つまり。
彼女は能力者であり、大地の精霊というその言葉から察するに、属性は恐らく土。
いや、そんなことよりも。
一体全体、どうして彼女はそんなことをわざわざ公にしてしまっているのだろうか?
「ちょ、ちょっと待って。え? 何? 能力者? どうしてここに……」
それでも頭の混乱は収まらず、飛鳥は一人でパニック状態に陥ってしまった。
「私は名乗った。さぁ、お前も名乗れ」
としかし、飛鳥の質問などどこ吹く風といった感じで、蓮華はマイペースに話を進めようとする。
「だから、ちょっと待ってって。大体どうして、能力者が私に一体何の……」
何の用、とは聞けなかった。
それは聞くまでもない愚問だったからだ。
能力者が能力者と出会うという、ただそれだけのことで、それは……。
――戦いの合図に他ならない。
「名乗らないというのなら、それまで。戦いの中で吐かせてやる」
言うなり、蓮華はその手に握っていた長い棒のようなものに巻かれている布をシュルシュルと解いていく。
どこまで長いんだというくらいに解かれた布の中からは、黒塗りの鞘に赤い柄を見せる日本刀が納められていた。
パッと見た感じでも、それがオモチャの類ではない、紛れもない真剣だということはすぐに分かった。
「ちょ、ちょっと! アンタ、何考えてんの?」
「問答無用。行くぞ!」
本当に問答無用で、蓮華は瞬く間に剣を構えて飛鳥に向かって走り出していた。
同時に、カチャリと鍔元が鳴る音がした。
「人の話を……」
さすがに真剣を抜き出されてまで悠長に語らいを続ける余裕などはない。
飛鳥は頭を切り替え、瞬時に戦闘体制へと入る。
その両手に、青白く迸る雷光を握り、抜き出された白刃を迎え撃つ。
「最後まで聞けっての!」
後ろに飛び退きながら、飛鳥は三本の雷撃の矢を放つ。
蓮華の走る速さを考えれば、正面と左右の三方向同時攻撃ですでに逃げ道はない。
最低でも一発は、体のどこかの命中を余儀なくされる。
……はずだった。
文字通り、目にも留まらぬ速さで蓮華は抜刀した。
その、抜刀の圧力だけで……。
「な……」
飛鳥の雷撃の矢は、薙ぎ払われたように散っていった。
そして驚愕の事実はまだ続く。
「その程度か、雷使い」
「……っ!」
その一瞬の間に、蓮華はすでに飛鳥の背後へと回りこみ、無防備な背中目掛けて剣を振り上げていた。
速い。
そう思って、口にするそれよりもさらに早く、蓮華は静かすぎり声色で囁くように告げた。
「――名刀、天地の露と消えるがいい……」
そして、剣は振り下ろされる。
その名と共に。
「――弐式・地裂閃」
体を縦に両断する勢いの一撃。
受け止めることはできず、しかも背後からの決定的とも言える位置取り。
逃げ場は、ない。